「・・・と、そろそろ飯の時間かな。」 皆に怪しまれない内に戻らなければ、と独り呟くチェスター。 頬に張り付く水色の細い髪を適当に払い、使った矢を樹の幹から引き抜く。案外深く刺さっていて、最初の内は軽々と抜けた矢は今では抜けないものもあるほどだ。 沈みかけた夕日を背に特訓し始めたのは大分前の事で、今では日課になりつつある。 「こんな事あのバカ女に知られたら絶対何か言われるに違いねぇな。」 愚痴なのか唯単に予想しているだけなのか分からない口調でチェスターは弓を手に持ったまま元来た道を帰ろうとした。 ・・・その時、 ガアアアアァッ 魔物の鈍い咆哮が森全体に響き渡る。 そう近くは無いもののチェスターは身構えて弓を握った。 「・・・チッ。ここらの魔物は知性もあるし、ヤな感じだぜ。」 昼戦った魔物の中には人語を話せる奴も居て、散々罵られたことを思い出す。確かに魔物から見れば悪劣非道なことをやっているのかもしれないが、ダオスはもっと酷いことをやっている。それに、罪の無い人達を殺しているんだ。 「アミィ・・・。」 出来るだけ戦闘は避けようと、チェスターは慎重に歩いた。 「全くクレスの奴…!」 ガサガサガサ・・・ チェスターとは正反対に草木を掻き分け苛々した足取りで進んでいるクラース。 「だがアイツ、なんで今日に限ってそんな事・・・。」 『貴方に触れられる時間が反比例して減って、いつかなくなってしまう』 「分かってるさ、私だって。」 小さく口の中で呟いた。 分かっている。離れなければならない事も、一緒に居れない事も。 だが、これは何をしても変えられない事実であり、変えてはいけない事でもある。駄々を捏ねてもしょうがないのだ。 その為に、何も出来ない自分が、そして不安を言うクレスが、腹立たしい。 「いつから私はこんなになったのか・・・」 立ち止まり、俯いて息を吐く。 そんなつもり無い旅だった。 ただ自分は精霊の研究が出来ればと思って、それが結果的にダオスを倒すことになれば、と思っていた。 「クレス達を、手伝いたいと思った・・・。」 ゆるぎない事実。 そして再び歩き出す。 が、気が付くと。 「・・・・・・ここは・・・、何処だ?」 冷や汗が頬を伝った。 「クレスさん?今お戻りですか?」 「あぁ・・・ぅん。ただいま。」 非常にゆっくりした足取りでテントまで戻ってきたクレス。 外ですずと雑談をしていたミントがそれを見つけて声をかけるものの、覇気が無い。同時に異変に気が付くすず。 「クラースさんはどうされたのですか?」 「う・・・。」 痛い所を突くなぁ、とクレスは思う。 「ちょっと、ね・・・。って、アーチェ何やってんの?」 話を逸らそうと目を泳がせたところ、ミント達とは離れて調理中の鍋を覗き込んでいるアーチェが視界に入った。訊ねると、ドキリと体を強張らせて鍋から素早く離れるピンク髪。 「え、えぇ!?いや、別に、何も!?今日の夕飯まだかな〜って思ってさ!!」 手を振って身の潔白―何も疑っていないのだが―を主張するアーチェ。 「もしかして、喧嘩・・・されたのですか?」 ミントがおずおずと遠慮がちにクレスに聞く。 煮え切らないクレスの態度と、クラースが居ないのが何よりの証拠。クレスは何かに付けてクラースの傍に居たがるので、居ないということは喧嘩した、としか見えないのである。それはパーティの中で『公認カップルなんだ』と認識されていたり『仲が良いんだ』と認識されていたりさまざまではあるが、二人が一緒に居ないというのはかなり珍しい事であった。 「けっ喧嘩!?まさか、ねぇ・・・アハハ・・・。」 「どの道クラースさんお一人というのはかなり心配です。もし魔物に出会ったら召喚術だけでは詠唱中に隙が出来ますし。」 妖しい笑いで誤魔化そうとしたところに、すずの厳しい指摘が入る。 「それに、地図も持っていないみたいですし。」 「地図?地図ならクラースさんが持って・・・」 「その手のモノは?」 「・・・え。」 地図。 そう、クラースが持っているとばかり思っていた地図は今、クレスの手の中にあった。 先程クラースが離れようとクレスの体を押していたときに一緒に押し付けられてしまったのだろうか。 「な・・・!」 改めて驚くクレス。 「このままじゃこの広い森で迷子になってしまうどころか、魔物に出くわしてあんな事やこんな事された挙句・・・!うああっ!僕は、僕は何てことを!!」 「声に出てます。」 頭を抱えたまま苦悩するクレスに水を差すかのように冷静に言うすず。 「行ってくる!!」 「はいはいお気をつけて〜」 「何かあればすぐに連絡して下さい。」 「あの・・・クレスさん、お気をつけて・・・。」 三者三様の返事を背に受けながら、クレスは元来た道を走り出した。 『この広い森で迷われたのですか?』 いきなりかけられた声に、クラースはビクリと体を強張らせた。 確かにこんなにキョロキョロして不安定な道筋を歩いていれば、誰だって迷子のように思うだろう。ただ、思われた相手がマズかった。 それは、人間の声ではなかったのだ。 「・・・来たれ、月の精霊よ。御身、千の顔を持つ者よ。冷たく無慈悲な月の女王。神秘の光を注ぐもの。静寂の―・・・ 『させません』 ドンッ 「ぐっ・・!」 横から掛けられた声に返すことも無く小声で詠唱をしていたクラースだったのだが、如何せん相手は魔物であり、聴覚に優れている。ミスティシンボルを付けているにも関わらず詠唱が半分も終わらない内に魔物がクラースを突き飛ばした。 勢い良く飛ばされた為大樹に体を預ける形で踏み止まるクラース。だが、衝撃が強く一瞬眩暈が起こる。その隙に魔物はクラースの体を大樹に縫い付けるように拘束した。首に、手がかけられる。 「ぁ、っ…!!」 魔物はイシュラントに良く似た大型の非行型ものもで、もしかしたらココの地域を管轄している謂わば『中ボス』なのかもしれないと、頭の端で思う。 呼吸をしたくともままならない状況に心の中で舌打ちをした。 『くっくっく・・・貴方を使って他の小僧共を誘き出し、抹殺する。ダオス様への良い土産モノになるというものです。』 ・・・迂闊だった。 いくら強い召喚術が使えても、いくら早く唱える事が出来ても、自分独りでは生きる事が出来ないのだ。そう、前線に立つ者に詠唱の時間を稼いでもらって、その後攻撃をする。 一人だと、何も出来ないのか・・? 『お楽しみは、これからです。』 next→ 2007.10.1 改 水方葎 |