* 喫茶店事情 1 *














桜都国で喫茶店を始めてまだ数日。
なのにここ『キャッツ・アイ』では大変な賑わいで一杯だった。



「さくらちゃーん。これ5番ねー。」
「はっはい!」
ファイに比べたら幾分慣れない手つきでたどたどしく仕事をするさくら。女の子独特の柔らかい服装を軽く風に遊ばせながらウェイトレスとしての仕事を全うしていた。最初は皿を持つだけでも怖がっていたのに比べれば全然良くなったと思う、とファイはさくらを見守った。


「お待たせしましたー、こちら『はちみつレモンのシフォンケーキ』と『ヌワラエリヤ』ですー。」


それでも手を休めることなくファイ自身も外まで出て接客をする。さくら一人では到底間に合わないのだ。
喫茶店、というと女性が多いイメージがあるが、此処では少し違う。勿論女性の客も少なくないのだが、鬼児退治を生業にしている男性が休憩場所として多く利用する事があるらしい。そっちのほうが情報収集しやすいので好都合だとファイは笑った。
しかしそれを余りよく思わない人物も居る。


黒鋼だ。


黒鋼とファイは、現在恋人と言っても過言ではないような立場にある。
勿論お互い本気ではないという空気を纏って相手に接しているのだが、黒鋼は直にファイを求めた。
最初は妙、そして次に嫌悪ときて、何故かそれが好意に変わっていったのである。その間黒鋼自身の中でも葛藤があったのだろうが、そんな事ファイは知った事ではない。元来受身派なファイが黒鋼の気持ちに答え、こういう関係になっているのだ。最初の交わりは強姦に似たものを感じさせたが、今は違う。性欲処理から愛し合う行為へと変わっていったのだ。


そう、だからこそファイが喫茶をやるのにあまり賛成は出来なかった。
危ない輩だけではないだろうが、人の目に付かせたくないというのが黒鋼の本音だ。
危険な事があれば彼自身の力で回避出来るだろうし、それだけの技量がある事も知っている。しかし流されやすく己を捨て身にしたファイの事も充分に理解している黒鋼はファイが喫茶をやると言ってからここ数日不機嫌のままだった。情報収集だけならば何も喫茶店を開く事は無いだろう、と言葉任せに罵ったのは何時の事だっただろうか。


「(黒たんまだ怒ってんのかなー・・・。)」
ファイがふとした間に頭の中に浮かぶのは、今日も朝から不機嫌だった黒鋼の仏頂面。笑うという事をしない黒鋼だったが、あそこまで不機嫌を露にしなくてもいいだろうにと胸中悪態をつく。大体怒る理由が分かっていないファイは何か悪い事をしたかな、程度にしか思っていない。否、それくらいしか思うことが出来ないのだ。
口を開く毎に怒鳴られている気がするので何を本気で怒られているのか分からない。
「(名前きちんと呼ばない・・・のは、今更だよねー。朝甘いものを無理やり食べさせた、とか・・・も、此処最近毎日だしー。この前白詰草探してた時に鬼児にやられたアレ、まだ怒ってるのかなー?)」
世界中で一番嫌い、とまで豪語されちゃったしな、と黒鋼の声を思い出して思わず自嘲する。
しかしそれも束の間。
チリンチリン
オーダーを取ってほしい、と合図する鈴で我に返る。
儲かるのはイイけれど、忙しすぎるのも考え物だと思いながらファイは音のした方へ歩いて行った。
「お待たせしましたー。ご注文お聞きしますー。」





「今日は二人とも遅いねー。」
午後6時を過ぎた時点。
店内に人気は無くなり、多分本日最後と思われる客が勘定を支払って出て行った。その後姿を見ながらファイがポツリと呟くと、テーブルを拭いていたさくらが心配そうな顔で頷いた。
どうしたものかと思案して、結局どっちかが外に出る事も出来ず(さくらを一人にしてはおけない)待つことにした。夕飯は揃って食べた方が良いという暗黙の了解が二人の間に出来ていて、ファイが作った5人分の夜ご飯(モコナも一人分)も後は盛り付け、と言う段階まで出来ていた。


そのまま穏やかな時がゆっくりと流れ、さくらは眠たくなってきたのかカウンターのテーブルに突っ伏したままうとうとと舟をこぎ始めている。ファイは新作のケーキ作りの手を止めて時計を見た。
もうすぐ7時だ。
いつも特訓から鬼児退治へ移る時は一旦此処へ帰って夕飯を取る。
今日はそのまま退治を始めてしまったのかと思ったファイはさくらに夕飯を取る事を勧めた。
「今日二人とも遅いから、さくらちゃん先に食べてていいよー?」
「でも、シャオラン君も、黒鋼さんも、頑張ってる・・・か、ら・・・。」
眠たい目を擦りつつ顔を上げるが、どうにもなりそうも無い。
「うーん・・・でも、さくらちゃん眠いでしょ?シャオラン君帰って来た時にさくらちゃんが夕飯取ってないまま寝たって聞くと心配するよねー。」
諭すような言葉が決め手だったのか、さくらは少し考えた後に小さな声で「じゃあ、いただきます」とだけ答えた。その答えに満足しながらファイが夕飯を温めて皿を出した。
他愛もない会話をしながらファイはさくらと向かい合ったカウンターの中で新作のケーキを試作している。
夜ご飯を食べているさくらの鼻にブランデーの香りが届き、少し暖かい気持ちになる。カウンターの中のケーキを盗み見すると、ブランデーがひかれたタッパーにブラックチョコスポンジが浸されているところだった。時間を置かなければならないのか、ファイはその間どんな形にするか簡単なスケッチを紙に取っていた。
手際のよさと温かい空気に母のような感じを抱いたさくらだったが、食べ終わってフォークを置いた瞬間気が抜けて意識を失った。


カランと金属同士がぶつかった音にファイがメモ帳に走らせていたペンを止めて顔を上げると、さくらがカウンターに突っ伏したままの体勢で規則正しい寝息を立てていた。
「あ、寝ちゃった?」
返ってこない返事に笑って皿を下げる。綺麗に食べてあるところを見ると、多少はお腹が空いていたのかもしれない。
ささっと軽く皿を洗った後、さくらを起こさないように注意をしながらソファまで移動させる。ゆったりと沈むソファは丁度さくらをスッポリと包み込む大きさである。店の奥から持ってきた淡いパステルピンクの毛布をかけてやる。本当は彼女の部屋があるのだが、女の子の部屋に了承を取らず入るのは何だか申し訳ない気がして、後でシャオランに運んでもらおうと思案する(シャオランはいいらしい)


戻ってきたファイは作業を続けるべく、余り大きな音を立てないようにケーキを作り始めた。
スポンジのブランデーの染み込み具合を見る為に少し切って頬張る。実際にナマクリームや飴細工、それに果物と合うか等を調べながらそれを口にした。ブランデーそのものと味比べをして味を調整していたファイだったが、気が付いて時計を見ると時刻は8時を回ろうとしていた。
「(様子、見に行ってみようかなぁ。)」
ドアに鍵をかければ大丈夫だし、もしかして何か大変な目に遭っているのかもしれない。
ひと段落ついたケーキを冷蔵庫に片付けてエプロンを脱いだファイはさくらに置手紙を書いて慌てるでもなく店を後にした。
「(そこら辺探して見付かんなかったら帰ろうっと。)」
そう、安易な気持ちで。









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本誌で色々発覚する前の産物なのですいません(先に謝っておく)



071001 水方 葎