青々しい独特の草の匂いが風に乗って運ばれる。 緩やかな坂があるその草原で、クラースは一人暖かな気持ちで寝転んでいた。 ゆったりとしたそよ風に頬を撫でられてふと目を開けると、何時の時代でも変わらない空と雲。150年経っても不変の物が有る事にちょっとした安心を覚えたクラースは、再び眠りの世界へ入り込もうと目を閉じた。こんな壮大な景色の中眠るのも悪くない。大きな呼吸を一つして美味しい空気を堪能すると、先程まで眠っていた所為か眠気がどっと押し寄せてきた。 が、本格的に眠りの態勢に入ろうとしたクラースは、ある声でソレを阻止されることになる。 「人間の睡眠というものは、ある程度…そうだな、そよ風程度の風力があったほうが熟睡出来ると聞く。」 聞き覚えのある声に睡眠を妨げられたクラースは、心中舌打ちを一つして無視を決め込んだ。 「0.81×摂氏温度+0.01×相対湿度(0.99×摂氏温度−14.3)+46.3で不快指数が出る。今現在の気温と相対湿度を入れて計算してみると67というキリの良い数字が出た。」 「・・・。」 「これは人間が最も快適に思う数字であり、また、睡眠へと誘い易い数字でもある。」 「・・・。」 「気温、湿度、風力、不快指数。これらと草原という森林効果を上乗せして考えると、確かに眠りに付きたくなるのは分かる。」 「・・・。」 「ここ数日強行軍で、碌な睡眠を取れなかったことも手伝っているだろう。しかし、」 「ああもう、煩いな。悪かった。だけど気持ち良いだろう。」 チクチクと刺すような言葉攻めに、負けを認めたのはクラースだった。 一体何故不快指数なんてわざわざ計算したのだろうかと疑問に思うが、それも眠気と眠気を妨げられた怒りによって掻き消えてしまう。主人に負けを認めさせた当の精霊は、長い金髪を風に遊ばせながら歩み寄ってくる。顔には少し呆れた表情と、怒ったような表情。 「主よ。この辺りにはパーティでも苦戦するような強い魔物が徘徊しているのだぞ。」 基本的には魔物も生態系ピラミッドに入っている。なので魔物が魔物を襲うことも勿論あったし、動物よりも弱肉強食の強い世界と言えるだろう。この地ではそうして強い者だけが生き残りを果たしているので、いくら戦闘に手馴れたクレス達でも梃子摺る事が多々あった。だんだん魔物が凶暴化していることもあるだろう。 咎める精霊の王、オリジンの台詞に何だかこそばゆいものを感じたクラースは、小さく笑って言った。 「分かっているよ。それとも、心配してくれたのか?」 「そうだ。主は、我の主。それと同時に愛している者でもある。」 からかおうと口に出した言葉にカウンターを喰らったクラースは一瞬呆けた表情を取るが、すぐさま上半身を起こしそこで初めて横目でオリジンの顔を見る。 「お前・・・結構恥ずかしい奴だな。」 自分を見下ろす端正な顔が少しも表情を変えていないのを見て、クラースは溜息混じりに言ってやった。 「これくらいストレートに言わないと主には分からないであろう。」 「人を鈍感みたいに言わないでくれ。」 「鈍感ではないか。」 「・・・。」 不敵な笑いと共に飛んでくる反論にクラースは溜息をついた。オリジンは楽しそうに言うが、何だか口で負けた気がしたクラースは拗ねた表情でそっぽを向いた。第一自分は眠たかったのではないかと思い出し、欠伸を一つ落とす。 少し沈黙が続いたが、風に乗って聞こえる微かな魔物の咆哮にオリジンが素早く反応した。眉を寄せて声がした方を睨み見る。その様子を盗み見していたクラースは、片手を腰に当てて地平線を睨む精霊を何だか尊大だと思う。こんな偉大な、書物でしか聞いたことの無い精霊が自分の目の前に居る事がまだ不思議でしょうがなかった。夢なんじゃないかと思う事だって度々ある。しかし、そういう考えが頭を過ぎると、必ずと言って良いほどオリジンから声がかかるのだ。 「?どうしたのだ?」 今回もまた、然り。 「別に、どうもしないよ。」 「・・・。ならば良いのだが。」 掛けられる声が偽者でないことが、何よりの言葉。たまに自分の考えがオリジンに伝わっているのではないかという錯覚を起こすほど、彼はいつもタイミング良く声をかけた。 オリジンは分かっている。彼が自分という精霊と契約できた事をまだ疑っている事や、一緒に居る時間がいつか無くなってしまうのではないかという不安。それらを感じるといつも声をかけるのはオリジン自身だ。考えこそ伝わっていないと思うものの、自分に対する感情は事細かに読み取った。 「主よ。ここは危険だ。眠るならば皆の所でも良かろう。」 「オリジン。」 「?」 呼びかけてこちらを向いたオリジンに、心の中で有難うと呟きながらも別の言葉を口にする。 オリジンはオリジンで、不安の心が消える事を祈りつつ自分の視界にしっかりと彼を入れる。彼のために、自分の為に。 「ちょっとここに来てくれ。」 少し離れているオリジンに向かって、隣を指差すクラース。暗に座れと言っているそれを理解したオリジンは眉を寄せて溜息をついたものの、実行しなければならないような気がして大人しく横へ来て座る。長い髪を踏ん付けてしまわない様に草原へ落とし、何かを企んでいそうなクラースを覗き見る。銀の瞳と蒼の瞳が交わった。同時にクラースから悪戯が成功したような笑みが漏れる。 「じゃあ、オヤスミ。」 「! 我が言った事を聞いていなかったのか!?」 座ったオリジンに寄り添うようにして、再び眠りの態勢に入るクラース。オリジンはやられたとばかりに怒鳴った。 無視を決め込むクラースだったが、ふと、精霊の癖に自分より体温が高いはずのオリジンの体が冷えているという不審な点に気が付いた。心なしか髪も乱れている気がする。 「(あぁ、そうか…)」 この精霊は、自分が熟睡していた時から少し離れたところで自分を守ってくれていたのだ。 妙に安心して眠れていたのはその所為か、と妙に納得して目を閉じた。きっとその間、どう起こそうか考えながら、けれど起こすことが出来ずに暇で不快指数なんかを計算していたのだろう。でなければ体温の高いオリジンが低くなるはずが無いし、風に吹かれて流れる髪が絡まる事も無い。 「ずっとココに居てくれたんだろう?」 「!」 クラースはその事を知らない筈と思い込んでいたらしいオリジンは図星を突かれて驚いた。見開く目が空の蒼に似ているんだろうな、なんて思いながらクラースは安心したように笑う。 「お前が居るから、安心して眠れる。」 無理にでも起こして休憩している仲間の元へ連れて行こうとしていたオリジンだったが、立とうとしていた足を地面に縫いつける。 「・・・・・・・・主も結構恥ずかしい事を言う。」 呟くオリジンに小さく笑って眠りに落ちたクラース。元々眠たかったのでそれは早かった。 「我は主から、離れたりせぬ。・・・・たとえ、契約を解除したとしても。」 何処に居ても一人ではないのだと、この旅が終焉を迎えても傍に居ると、オリジンは不安を抱える恋人が安らぐように優しいキスを一つ落とした。 もしかして唯単に見張りとして使われているのでは、とオリジンが気付くのはもう少し後のお話。 2007.10.1 改 水方葎 |