午後3時。 丁度書き上げようとしていた研究書が一纏めしたので休憩にしようと、クラースはオリジンを呼んで小さな茶会をする事にした。 ダオスを倒す事が出来て、クラースの言う『現代』に帰ってきて数週間。 するべき事が沢山あるクラースは、エターナルソードを封印した後、精霊の研究を学会に発表した(余談だが、その時使われたのはオリジンらしい)。自分の研究の纏めと本の出版、それから精霊についての奥深き研究。忙しい毎日の中、クラースはこの「お茶会」を楽しみにしている。 これは精霊と契約を結び始めてから、余裕の無い時を覗けばほぼ欠かさず決行している日常の一部でもあった。色々な精霊を呼び出してはお茶をしながら話をするのだが、オリジンと契約してからは専ら彼と一緒にお茶会をするようになっている。オリジンがクラースに惹かれたのも勿論、クラースもオリジンに惹きつけられたのだろう。 これは、まだ精霊達と契約を解除していない時のお話。 「・・・・主よ、ソレは少し違うのではないか?」 「は?何がだ?」 白いテーブルクロスの上に、冷たい紅茶と亜麻色の焼き目が付いたパイがそれぞれ2つずつ。 ミラルドが朝焼いたと言うパイはクラースが好物としているチェリーパイで、実を言うとオリジンと食べるのを楽しみにしていた。ミラルドは今日出掛ける用事があると言ってベネツィアへ外出しているので、家には二人きりだ。静かで穏やかな時を過ごしていた家に二人分の声が響く。 さてそれではと、自然に話しながらフォークを持ちパイに手を伸ばした時、オリジンからストップの声がかかった。 話していたトレントの森の事についての話題も一時休憩させてまで止めさせたその行為。クラースにとっては何が悪いのか良く分からない。髪も大分伸びて緩く結んでいるだけの銀髪を揺らしながら首を傾げるクラースに、オリジンはクラースのフォークを指差した。そこには、パイの後ろを刺さんとしている髪色とは違うキツイ銀色のフォーク。 「・・・・これが?」 「これが?・・・って、おかしくないか!?」 「??」 一体何が言いたいのか分からないクラースは、唯ひたすら小首を傾げた。 「普通パイというのは先端から食べるだろう?」 そう、オリジンが言いたいのは、パイの後ろから食べようとしているクラースの行為の事。 その一言から本日のお茶会の議題は『トレントの森とエルフについて』から『パイの食べ方』に変わってしまった。 「・・・私が変だって言いたいのか?」 「そうは言っていないだろう。」 「そう言ってるじゃないか。」 「ただ普通はこちらから食べるだろうというだけの話だ。」 「普通こっちだろう?」 「それは変だ。」 「ほら、変だって言った!」 「その食べ方が変だって言っただけであろう!」 「こっちから食べて何が悪い!?」 「我の美学に反する!」 「何が美学だ、そんな変な美学を人に押し付けるな!」 「だっておかしいだろう!」 「じゃあ他の者に聞けばいい!―――シルフ!」 果てなく下らない論戦の末、傍迷惑な二人の為に呼び出されたのは風の精霊シルフ。風と共に卓上に現れたシルフは、机を挟んで一触即発と言わんばかりに睨み合っている二人を見て怪訝そうに眉を顰める。精霊の王と謳われ、畏怖されているオリジンが何故穏やかにパイを食しているのかはこの際言及しないでおこう。 「どうかしましたか?マスター。」 「聞いてくれ、シルフ!」 シルフが言いながらクラースの方へ浮遊すると、彼はいつもの鳴子を心地良い音で鳴らしながらシルフの両肩を掴んだ。驚いて一歩後退したものの、逃げ場が無いシルフは大人しく(恐らくは下らないであろう)マスターの言葉を待った。 「パイは後ろから食べてもおかしくないだろう?」 「・・・・・・・は?」 「いや、絶対おかしい!」 「おかしいのはお前だ!」 口元を引き攣らせてどう対応しようか考えているシルフを他所に、再び口論を再開するオリジンとクラース。最初『少し違う気が』と口にしていたオリジンも意地になってしまっているのか、『絶対おかしい』と豪語するようになってしまっている。 「えと、お二人とも・・・?」 「後ろから食べて何が悪い!?」 「前から食べた方が何となく綺麗であろう!」 シルフが風のようなソプラノの声で口を挟むが、二人の耳にはお互いの声しか聞こえていないのか、益々喧嘩はヒートアップしていくばかりだ。 一体何故こんな事になったのだろうかと頭を押さえるシルフ。放っておいて帰りたかったのだが、呼び出されて何もしないというのは精霊としてどうかと思い、マスターを弁護する為に口を開く。 「でも、どこから食べても味は一緒だと思いますよ、オリジン。」 これでオリジンも少しは頭を冷やしてくれれば良いのだが、と思うがその願いは儚く消え去った。 「ほら見ろ、お前の負けだ!」 『負け』と言われたのがよっぽど嫌だったのか、オリジンは引き下がる様子も無くシルフにフォークを突きつけた。 「シルフはどっちから食べる!?」 「先端から・・・。」 思わずサラリと言ってしまった言葉にハッとなって後悔するが、全て後の祭り。 「主こそ負けを認めたらどうだ!やはり後ろから食べ始める奴なんて少ないだろう!」 「たまたまだ!たまたま!」 「なら全国の皆に聞きに回るのか!?」 「行ってやろうじゃないか!」 「主一人で?有り得ないな!」 「・・・な!私だって一人旅くらい出来る!」 発展していく痴話喧嘩に、もう何も言う気になれないシルフはこういう喧嘩を、ことわざで何と言うのだったかと思考を巡らせる。 最早シルフにも呆れられて会話に入ろうとしない二人のそれは、まだ続いている。 「立て板に水、じゃなくて・・・言いたい事は明日言え、でもなくて・・・」 因みに立て板に水というのは、スラスラ言葉が出てくる事。言いたい事は明日言え、というのはゆっくり物事を考えてから喋れ、ということわざである。一応は当てはまるのだが、もっと、こう、スッポリ当て嵌まるものがあった気がする。 「またそうやって自分を危険に晒して我に心配をかけるつもりか!?」 「魔物だって弱くなってる!私一人でも十分だ!」 「我も行く!」 「お前が来たら一人旅にならないじゃないか!」 「要はパイの食べ方を皆に聞きに行けばいいのだろう!ならば一人でも二人でも同じだ!」 「ダメだ!絶対に私一人で行くからな!」 「何を言われようが着いて行く!覚悟しておくがいい!」 「・・・あぁ、そうそう、『夫婦喧嘩は犬も食わず』だったわね。」 ピッタリだわ、と言い残して思い出せない気持ち悪さをスッキリさせた風の精霊は、ポンと音を立てて帰って行った。 それすらも気付かずに論点のズレた夫婦喧嘩をしている二人が食堂に残ったのであった。 2007.10.1 改 水方葎 |