物心ついたときには、傍に兄が居た。




自分が『何』から生れ落ちたのかも知らない。

何故タナトスという男と一緒に生活しているのかも分からない。







それでも、己の幼い手を引いて歩く姿に、心のどこかで暖かいものを感じていた。





























           ― 情 景 ― 



























思えば本当に、兄が中心の生活だった。

気付いた時には既にセンサスとの戦争は始まっていて。

それでも"死神"という職業を誇りに兄は地上へと降り、魂を狩る。













真似事をするように、小さな鎌を手に振り回した幼少期。

兄が不在のときにも、その小さな鎌を持って天界の戦場跡を徘徊したり、下界を覗いたりしていた。




・・・後で帰宅した兄に滅茶苦茶怒られたが。























親代わり、というよりも、育ての親であった。






元々大人しい性格だったので、手はかからなかった・・・と、後から聞いた。


それでも、死神という忙殺される職業に就いていながら、時間に隙が出来ればいつも傍に居てくれた。


天界の事や礼儀作法、死神という仕事の事まで、全て兄によって教えられてきたのだ。


誇りを以って仕事を全うする兄を、何度自慢に思った事か。












それによって己も死神という職業に惹かれていったのだ。



















目指そうと思ったのだ。





















兄に憧れていた。それもあった。

何より、一から手解きを受け、今よりもずっと一緒に居られる。























一緒に、仕事が出来る。























幸い兄の教育は行き届いていた。

幼い頃から死神になるべく仕込まれており、仕事は苦痛に感じなかった。












人が出す『サイン』を見抜き、識別し、狩り取る。


魂を送り、結果報告を作成する。




















下で戦争が続けば狩る魂も倍増し、天界に帰る日など皆無だった。

それでも兄と一緒に過ごせれば、何処であろうとそこは己にとって『家』だった。


























共に居る事が当たり前だと思っていたし、何より兄から離れる事など想像もつかなかったのだ。



























全てだった。





























「ヒュプノス様!貴兄タナトス様が・・・!」












本当に、想像もつかなかったのだ。
















「人間の娘に・・・」












  嘘だ。






























もしかしたら本当の兄弟ではなかったかもしれない。


血の繋がりなど、なかったかもしれない。






















それでも、自分は。


兄を。







































どうして?何故、捨てた?



何も言わずに。



共に、とは思わなかったのか?




己よりも、その娘が恋しいか。

























愛しいか。








































兄が、全てだったのに。






























何の相談も無く。



あの日仕事へ向かう兄を、『いってらっしゃい』と送り出した己が憎い。





どうして己は兄の様子に気付かなかったのだ。
























心情を話す価値も無い。


それ程までに己は重荷であったのか?


























もう、我侭など言わぬ。

困らせるような所業もせぬ。






















だから、だからどうか。















声を、聞かせてくれ。









話をさせてくれ。









どうかどうか、どうか。







おねがいだから。


























おねがいだから。
























心が、潰れてしまいそうなんだ。













































元老院に呼び出されたあの日。



『 時が経てば、タナトスも己の過ちに気付く。


ラティオに戻ってくる。


御前は兄が帰る場所を、守るべきではないのかね? 』










 ― いつか逢える日まで、ラティオを守るべきだ ―



























いつか、逢える日まで













































ベットの上で膝を抱え毛布に包まってから、大分経つ。
元々体温が高くない故に布団は冷え切ってしまっていたが、身体は何も感じない。

感じなくて良いのだ。



リカルドは無表情のまま、ただ静かに涙を零した。




















                 瞼の裏の情景

         幽かに見えるは最期まで焦がれた兄の背中





























「兄者…」


さよなら、さようなら。


もう二度と、会うことの無い兄へ。























『愛していた…』

























消えゆく声は、誰がものぞ







禁忌を犯した者は、天界へ帰る事は出来ない。
知りながらも、心のどこかで期待していた。

逢いたい。ただ、それだけだった。






MIDI素材:遠来未来



恋愛と兄弟愛の境界線に立っていたヒュプノス。
2008.01.08    水方 葎