* 一方通行バレンタイン *






戦場では、日付の感覚が当然のように麻痺してくる。
休日や祝日がある訳がなく、当然その日も作戦会議やゲリラ戦で迎える筈だった。
ピンクの殺人鬼が現れるまでは。



「・・・はぁ…」
鬱蒼とした茂みを掻き分けながら、リカルドは小さく溜息を漏らした。
テノスならば毎日のように雪が降っているであろうこの季節、弱弱しい光は地面に当たりもしない。足場を探すのに苦労しながらも、リカルドは確実に歩を進めていく。得意なゲリラ戦を展開する場所でもあるし、元来気配を絶つ事は息を吸うようにしてきた事だ。魔物に気付かれずに足場の悪い道を歩くなど容易い。
溜息を吐きたくなるのはこの場所を歩んでいることではなく、歩かざるを得なくなった理由にあったのだった。

嫌な予感はしていた。昨夜から本日午前中まで繰り広げられていた戦の後、総隊長がぶつぶつと呟いていたのだ。
「あの殺人鬼が見当たらない」と。
終いには"奴が懐いてるソルダートにでも行かせるか…"などと口走る始末。なぜそこで自分の名があがるのだと反論したいのは山々だが、現にハスタに唯一言い寄ってこられているのでそう見られてもおかしくはない。全く持って迷惑な話ではあるが、周囲の目にはそんな印象ばかり与えてしまうのだ。
上官の所為で勝利により高揚していた気分は急激に冷えたものの、己には関係ない事だと、適当に聞き流した筈だ。踵を返すのも忘れない。それでも彼方此方から聞こえる"ハスタ行方不明"の声に頭が痛くなってくる。

ハスタという人物は良くも悪くも、とても目立つ。奇抜な井出たちに、出鱈目な強さに加えて言語不確定な殺人鬼。同じ部隊に出れば嫌でも名前を覚えてしまうし、行動が目に入る。姿を晦ましたり自分勝手な行動に出るのも今日が始めてではなく、それは日常的に行われている。引き上げの合図が出ても殺し足りずに一人で敵陣へ突っ込んだり、いつの間にか大将首を持ち帰ってきたり。つまりは殺人欲が満たされていない場合に姿を晦ますのだ。
しかし、いくら此方側に有利な働きをするからと言っても、必ずしも良い事があるとは限らない。敵味方区別無く槍に血を吸わせ、命を奪う事もある。つい先日もゲリラ戦後、基地が分からなくなっていたらしいガラムの新人兵士とハスタがバッタリ出逢ってしまい、哀れ肉塊となって基地へと帰ってきたばかりであった。

今回は誰が犠牲者なのか、敵に刃を向けてくれれば此方の命拾いだと皮肉めいた声がリカルドの耳に入る。
関係ない、関係ない。
そう己に言い聞かせ、ほぼ使い果たした弾薬を補充するために武器庫へ向かった時だった。血の臭いが、リカルドの鼻につく。錆固まった血ではなく、鮮血のような生臭さ。
「やぁやぁリカルド氏。オレ待ちくたびれちゃったぽん。」
「・・・ハスタ。」
かけられた声と血の臭いに、リカルドは武器庫の扉にかけた手を戻して、ゆっくりと振り返る。
見慣れた、ピンクと黒のような赤。
槍を肩にかけて薄気味悪い笑みを浮かべるハスタは、肌の色が見えないほどに血を被っていた。それはまだぬらぬらと流れ、ハスタが揺れ歩く度に地面へ血溜りを作ってゆく。
思わず顔を顰めたリカルドは、己の意に反しながらも言葉をかけずにはいられなかった。
「何だ、その血は。それに、帰還したなら先に総隊長へ報告を…」
「えへっへへへへへ〜・・・・へへ・・・」
リカルドの言葉を遮り、低く笑い出したハスタにリカルドは僅かに首を捻る。
今日のハスタは、いつものハスタよりも更におかしい。
そんな気がしたのだ。
「おい、ハスタ。聞いているのか?」
いつの間にか周囲の人間はリカルドとハスタを避け、基地内だというのに人が見当たらなくなっていた。先ほどまではまばらだが他の奴の姿が見えていたのだ、皆己の命を思っての移動だったのだろう。
とりあえずハスタが帰還したということは総隊長に(人伝だが)報告出来たか、などと冷静な事を考えながら目の前の生き物の処置に思考を戻す。何せ血飛沫を全身に受けて目の前に現れてから、一言も喋らずに笑い続けているのだ。どうせならこの様子も総隊長に伝えて、何らかの応援を寄越してほしいものだと甘い事を考えてしまう。
「ハスタ。いい加減に…!?」
グラ、
大きく揺れたかと思った途端、そのまま全体重をかけてリカルドに倒れこんできた。
「ハスタ!?オイ、ハスタ!!」
一応正面から抱き止めたものの、全部を支える事が出来ずリカルドも地面に膝をついてしまう。ハスタが肩にかけていた槍がカランカランと高い音をたてて転がり、リカルドの真っ白になった頭を正気へ戻す。
「これはお前の血なのか!?…くそ、止血か・・・」
全身が血塗れているので、出血場所が分からない。傷の深さも分からない。
止血をし、食べられるならアップルグミを…
頭の中で応急処置を組み立てながら、ハスタを地面にそっと横たえる。ゆっくりと胸が上下しているので、気道は確保できているらしい。呼吸さえ無理なようならば最悪な方法を取らなければならなかっただけに、不謹慎ながら少し安心するリカルドであった。
「(応急処置とはいえコイツに人工呼吸など、)」
冗談じゃない。
そう思いながら傷口を探ろうとしたリカルドは、ハスタに覆いかぶさるように上体を傾けた。一番血が多く付着している心臓付近、そこが怪しいと思ったからである。
・・・が。
「!!?」
支えていた腕を急にハスタ自身に取られ、リカルドはバランスを崩して彼の上に倒れ込む。その力は強く、捩じ上げられた挙句空いた手で腰を抱き込まれてしまえばリカルドには成す術もない。
「ハスタ、貴様!」
何とかその拘束を解いて起き上がろうと力を入れるが、蹴りを入れようとしても、手を捻り逃れようとしても、抵抗は虚しく封じられる。
どこにそんな力があるのか、ハスタはガッチリとホールドしながらもリカルドの目を覗き込んだ。蒼の眼球に己の姿しか写っていないのを見、血塗れた至高の笑みを浮かべる。
「 イタ ダキ マス 」
「やめ・・―っ!!」
瞬間、口を奪われる。
まるでソレを求めてやまなかったかのように深く、貪欲に口付けるハスタ。上体を反らして逃げを打つリカルドだったが、ハスタはそれを許さず拘束する手を強める。酸素を欲したリカルドが僅かに口を開けたのを機にハスタは己の舌をその口内へと伸ばした。
「んぅ・・!」
犯すように荒らし、舐め上げる舌の動きに、背筋が粟立つ。鼻から抜けるような己の声に嫌悪したリカルドは、声を殺すようにグッと目を瞑る。
こうなったハスタは止める事が出来ない。短いような長いような望んでいない付き合いの中で、唯一リカルドが熟知した事だった。反撃する隙を作り、脱出するしかないのだと。
「・・・・っ・・」
途切れる事の無いその口付けの中、仄かに人口的な甘さがあるように思う。
一切の感覚を遮断しようとしていたリカルドだったが、それにつられてふと目を開けた。

紅の目が、蒼を射抜く。

その目に表情は無く、ただ力強くリカルドを見つめている。
「ん、ぁ・・!」
耐え切れなくなったリカルドが再度激しく抵抗するが、まだ足りないのかハスタは行為をやめようとしない。
上に乗られているよりも下敷きにしたほうが楽だと思ったのか、それともこのまま行為に及ぶつもりなのか、体勢の入れ替えを試みようと重心を移動するハスタ。勢いをつけてグルリ、と回せばあっという間に上下逆転してしまう。その一瞬、唇が離れた隙をついてリカルドは抱き込まれている方の腕を思いっきり突っ張り、隙間を空けた。
捻り上げられた方の拘束されている力が強まったような気がしたものの、逃げの手を休めてはならない。空いた腕の肘で脇腹を思いっきり突く。
「ッ!」
ハスタが呻いて怯んだ隙にリカルドはようやく脱出に成功したのであった。
が、片方の腕は掴まれたまま。
「ゲホッ…あー…ひでぇな、ウン、ひでぇよリカルド氏。」
「貴様が言うな。被害者はコッチだ。」
地面に唾を吐きたい気分だったが、流石にそれは躊躇われ、代わりにゴシゴシとコートの袖で名残を拭う。
「あーでも元気でたぁ〜よ。美味しかったよゴチソウサマサマ。」
己の武器を拾うでもなく、両手を合わせてお辞儀をするハスタ。どうやら今回は殺し合いをしたくて己を襲った訳ではなさそうだ。そう判断したリカルドは眉を顰める。
「貴様、その血は何だ…」
「ああ?これぇ?えへえへえへえへ、ちょっとねぇ〜♪」
「…倒れただろう。怪我じゃないのか。」
「だってこうしなきゃ、リカルド氏と接近出来ないもんっ★倒れそうに疲れちゃってるのはホ・ン・ト♪」
殺しあってからでも良かったけどぉ、そうすると溶けちゃうしぃ。そう口の中でぶつぶつと呟くハスタに、そういえばあの甘味は何だったのだろうと思い返す。
「・・・・さっきのは、何だ…。」
「チョコ知らないの?リカルド氏。ソレって人生の楽しみ88%知らないのと同じだよぉ?因みに残りの22%はセックスの快楽な。」
「…チョコレートくらい知っている、何故そんなものをと聞いてるんだ。」
「まぁいいじゃない〜リカルド氏に食べてほしかったんだピョン!その為にオレ・・・おおっともうこんな時間!ジョーカンサンって人に報告?っていうの?するんだっけ!」
言いかけた事を止め、付けてもない腕時計を確認して槍を拾うハスタ。
毎度の事ながら意味不明なハスタの奇行に、怒りを通り越して呆れてしまう。
最早声をかけるのすら億劫になり、さっさと行ってしまえと手で追いやるリカルドだった。こっちは一刻も早く口を濯ぎたいというのに、貴様に構っていられない、と。気を抜くとハスタの唾液が己の口内に入っていたという現実を認識してしまいそうである。残る甘味が、既に現実にしてしまっているのだけれど。
「後でリカルド氏のテントに遊びに行っちゃうよん★続きエンジョイしちゃった方が楽になれるぜぇ?」
先ほどの長い接吻の中、反応しかけていたのを見透かす様な事を口走るハスタ。思う限りの拒否と反論をぶつけようと口を開いたリカルドだったが、それよりも早くハスタはアデュ、と楽しそうにスキップで去っていったのであった。

「・・・・。」

残されたリカルドは、ただその背を睨み付けるしかなかったという。
反撃は肘でなく、鉛玉をぶち込めば良かったと今更ながらに後悔するのであった。


酷くなる一方の頭痛に、リカルドは米神を押さえながら当初の目的を遂行すべく武器庫の扉に手をかけた。再度やって来るであろうハスタの対処を考えながら。











その夜、集合に遅れふらふらしていたにも関わらず、ハスタの処罰が無かった事に加えて"敵陣の兵糧庫、壊滅状態"の報が流れたのであった。













〜 オ マ ケ 〜
「エクステルミ、貴様何処へ行っていた!」
「ヒント:今日は何の日?気になる気になる木〜♪」
「茶化すな!今日は14日だろう!」
「ハイ大当たりぃ〜!可哀想に本命からチョコレートが貰えないオレは、自分でチョコを"作り"に行ったんだぴょん★」
「何・・?」
「味見しかしてねーから、邪魔すんなよオッサン。邪魔したらお前の臓物でチョコフォンデュ祭り開催な。」
「な、この戦地に菓子類があると思うなよ!?」
「無けりゃ取ってくるまでだポン★って訳で取ってきたオレさいこー。んじゃアバヨー」





やけに季節行事に敏感なハスタとかどうでしょう。最初だけ頑張ろうとした形跡だけが残った小説になtt…
くれないなら自分から食べさせて、それを共有しちゃえばイイんじゃね?的ハスタ。チョコは勿論・・強奪ですよ^=^

2007.02.14    水方 葎