* 恋闇 *




















「あれ、素材が足りないや…。」


その夜の出来事は、シングの一言から始まった。
いつも通り皆で和気藹々と過ごした夕食後、割り当てたベッドの上でシングとヒスイがそれぞれソーマビルドに時間を割いている。
土地を移ったり希少種の魔物と戦ったりして新しい素材がどんどん手に入る一方、ソーマビルドに充てられる時間は僅かしかない。なので最近はこうして宿に泊まる度にビルドやエボルブを実行しているのであった。
「あ?何が足りねぇんだ?」
「んーと。火念石が3個だけど、持ってる?」
シングの言葉を聞いてヒスイが自分用の道具袋を覗くが、目的の物は見当たらない。
「いや、無ぇな。まだギリギリ店開いてるだろ。買ってくる。」
そう言うが否やベッドを降りて上着を羽織るヒスイに、シングが慌てて制止をかける。
窓の外はもう真っ暗で、街灯があるとはいっても大通りだけである。加えて店も閉まりそうなこの時間帯、買いに行くだけならば明日出発前でも構わないだろう。
「ヒスイ、いいって、オレのビルドに使うやつだし。もう夜も遅いしさ。」
「馬鹿野郎。誰がテメェだけのために外に出るっつったよ。俺も風念石を使い果たしちまったんだ。」
「でも今すぐ必要って訳じゃないし。明日の朝買えばいいじゃん。」
「明日は早朝に出発するってテメェが言ったんじゃねぇか。素材屋なんて寄ってる暇無ぇよ。」
吐かれる悪態に負けじと応戦するも、先ほどコハク達に言った連絡事項を引き合いに出されてしまえば口を閉ざすしかない。
確かに旅は少し急ぎ足であり、明日もその予定なのだ。いちいち素材屋が開く時間までゆっくりしていられない。
「じゃあ、火念石3個だけお願いしていい?それがあれば新しいスキル習得出来るんだ!」
結局、新スキルの習得という欲望に負けたシングは、目を輝かせて素材の購入を任せたのであった。
「あぁ。すぐ戻るけど、寝たきゃ先寝てろよ。」
「待ってるってば!」
そうして、他に要る物は無いか確認した後にヒスイは宿を出て行った。





「…店仕舞いか?」
昼間に皆で立ち寄った、素材屋というよりも露店のようなその店に足を向ければ、ちょうど年配の男が片付けを始めているところだった。あまり大きな街ではないので他に開いていそうな素材屋もなく、無駄足だったかとヒスイは眉を顰めた。
「ん?兄ちゃん、何か入用か?」
ヒスイの存在に気付いた店主が顔を上げる。
いかつい、旅慣れた感じの男は行商のプロといった雰囲気を醸し出している。
「ああ。火念石3つと、風念石2つが欲しいんだけどよ。」
「大丈夫だぜ。形良いのが揃ってるよ。」
店主は閉店後の客にも嫌な顔一つせず、快活に笑って商売袋から小袋を取り出した。ほっとしたヒスイが肩を下ろし、金を準備する。
しかし、そんなヒスイの様子を盗み見ていた店主がいきなりストップをかける。
「ちょい待ちな、兄ちゃん。」
「あ?」
「この後時間あるかい?」
「時間?」
鸚鵡返しに聞くヒスイ。そんな彼の様子を見て、店主は楽しそうに笑った。
「おうよ。もう今日は店も終わりだ、ちょっと付き合ってくんねぇか?」
そう言ってグイとジョッキを煽る仕草をされれば、嫌でも言いたいことが分かってしまう。ましてやこの時間だ、指す内容など一つしかないだろう。
「いや、俺はちょっと…。」
なにかと負けず嫌いな節があるヒスイは、この男勝りな店主に「匂いだけで酔ってしまう」と言うのは何となく憚られた。勿論断る理由はそれだけでなく、シングへ持ち帰る素材の事や自分のソーマビルド、明日の朝が早いという様々な理由があってのものだ。
しかしハッキリと断らないヒスイへ、男は商人独特の強引さをもって身を乗り出してくる。
「少しくらい良いじゃねぇか!」
「明日の朝早ぇんだ。」
「俺だってそうさ。だから一杯引っ掛けるだけだって!」
閉店後に取引をしてもらった後ろめたさも手伝って中々断れないでいると、よし、分かった、と男は最後の一押しをした。
「付き合ってくれたら、その素材代、タダにしてやるよ。」
「マジかよ!?」
これには思わずヒスイも食いついた。
パーティは財政難という訳でもなかったが、少ない資金源でやりくりしているのは確かだ。今回購入する火念石や風念石は以前なら魔物から手に入った筈だが、土地を移ってからは入手できる数がめっきり減ってしまった。わざわざお金を出してまで買いたくないというのは本音だったのだ。
「・・・でもなぁ。」
思わず乗ってしまいそうになるが、酒場に入ればその空気だけで酔う自分が簡単に想像出来る。渋るヒスイに、店の片付けを終えた男が手を合わせて頼み込んだ。
「な、頼む!最近誰かと飲んでなくてよ。一人で煽るのも寂しいもんだろ?」
ここまで言われては、ヒスイも冷たく突っぱねる事など出来なかった。閉店後の店を開けてもらった挙句、素材代もいらないというのだから、少しくらいいいだろうと目を逸らして小さく頷いた。
「…少しだけだからな。」





一方、リチアと話を終えて戻ってきたクンツァイトは、部屋に一人足りない事に気付く。
たった今女性陣の部屋から戻ってきたのだからヒスイの行方はそれ以外だろう。しかし外と言うにはもう街明かりが殆ど消えてしまっている時間だ。こんな深夜近い時間にどこへ行ったというのだろうかとシングへ声をかけようとしたが、彼はベッドの上で大の字になって眠っている。その脇には道具袋と散乱した素材があり、何をしたまま眠ってしまったかなど一目瞭然であった。
「シング。ヒスイは如何した。」
「・・・ん〜?」
気持ち良さそうな寝顔でも、クンツァイトはお構いなしにその身体を揺り起こす。
寝惚けた声でむにゃむにゃ言いながら上体を起こすシングは、目を瞬かせて欠伸を一つした。
「ふわ…俺、寝ちゃったのか…。」
「肯定。ソーマビルドの途中に睡眠を取っていたものと思われる。それは良いが、ヒスイが何処に行ったか知らないか。」
あくまでヒスイの居場所を尋ねるクンツァイトに、シングは首を傾げて辺りを見回した。
「え、居ない?」
「肯定。今リチア様達の部屋から戻ってきたが、姿が見つからない。」
「じゃあ、まだ素材屋に行ったきりなのかな。」
「素材屋?」
この時間に?と、怪訝な声を返されて少し慌てて説明を付け加える。
ビルドに素材が足りなかった事と、ヒスイが自分の分もあるからと買いに行ってくれた事。
「状況は理解した。ヒスイが部屋を出たのは何分前だ?」
「え?今何時?」
そこで漸く時間を気にしたシングが部屋の掛け時計に視線を流すが、彼は己の目を疑った。
「うわ!もうこんな時間!?もう三時間くらい経ってるんだけど!」
「・・・。」
「どうしたんだろ、ヒスイ。何かあったのかな…。」
途端心配になってきたシングはそわそわと窓の外やドアを見たりするが、ヒスイが帰ってくる気配は一向になく、街は夜中特有の静寂を保ったままだった。クンツァイトも暫く考え込んでいたようだが、埒が明かないと判断したのか顔をあげてシングに言い放つ。
「自分が探してくる。」
「いや、オレが行く!オレの責任でもあるんだし!」
「自分が行った方が効率的だ。」
頑として譲ろうとしないクンツァイトの圧倒的なオーラに気押され、シングは口を噤んだ。
確かにクンツァイトの方が遠くに居るヒスイの声も聞き分けられるだろうし、地図も頭に入っているから効率が良さそうだ。だが、このオーラはそれだけではない。そう感じさせるほど、今の彼には有無を言わせない何かがある、と感じ取っていた。
「ごめん…頼むね。」
「この街は小規模だが細い路地が多い。暗くて道に迷っているだけかもしれない。」
シングの思い詰めた顔に声をかけ、クンツァイトは部屋を出た。
その台詞はシングへ向けられただけでなく、まるで自分にも言い聞かせているようであった。







街の規模だという事もあるだろうが、それにしても人通りが少ない。たまにすれ違っても明らかに酒を摂取しすぎた人間や、顔を真っ赤にして道端で寝こけている人間だ。昼間は判別つかなかったが、治安はあまり良くないのかもしれない。
そんな事を思いながらクンツァイトは足早に進む。昼間素材屋が店を広げていた場所、道具屋の前、裏路地、色々と歩き回っているもののその姿を見つける事はなかった。
嫌な想像が湧いて出そうになるのを制御しながら路地を進んでいると、少し先のバーから出てきた3人の男がクンツァイトと擦れ違った。普段は鎧の姿に視線を注がれたり避けられたりするのだが、今は闇夜の所為か男たちはまるで気にしていなかった。そればかりか酒の臭いを漂わせて興奮冷めやらぬ様子で何かを話し合っているので、酒の力も手伝っているのかもしれない。
「酔って脱ぎだす奴は居たけど、まさか店内ストリップショーになるとは思わなかったぜ。」
「でも男なのに意外と肌が白かったし、顔も良かったんじゃねぇ?酔った表情なんて娼婦みてぇだったもんな。」
「やべ、ソッチの方向に目覚めそうだぜ。」
「一晩何ガルドか聞けば良かったんじゃねぇのか?」
「やめろって、マジしゃれになんねぇよ!」
お互い小突き合い、大きな声で笑いながら去ってゆく男達。いつもならば店で脱衣した客がいるのか、程度の情報処理で済ますのだが、今の状況でそれを実行する気にはなれなかった。
行かなければ。
そう判断処理をする前にクンツァイトの身体は動きだしていた。




先程の男たちが出てきた店の扉を勢い良く開けると、そこは散々たる状況であった。酒瓶やジョッキはいくつも床に転がり、ついでに店の椅子や人間までも倒れている。噎せ返るような酒と煙草の臭いに、それらを情報としてしか感知しないクンツァイトでも流石に眉を顰めた。
「いらっしゃ…」
「この店に、黒髪で灰色のメッシュを入れた、身長百八十センチ体重七十キロの青年は居るか!?」
入口近くにいた店員に詰め寄るように声をかけた瞬間、奥の方からワァ、と盛り上がった声が響いた。何事かと思わず視線を向ければ、探し続けた姿が見えて安堵しかける。
しかしその格好にクンツァイトは言葉を失う事となった。
人だかりの中心に居るヒスイは顔をほんのりと赤くさせ、ふわふわとした視線でどこか遠くを見詰めている。素肌に上着を引っ掛けただけで中は何も身につけておらず、テーブルに腰掛けているもののクンツァイトの場所からは下半身がどのような状況であるのか判断出来ない。数人の男に酒を勧められたり声をかけられたりしているようだが、視線は虚ろなままなのでまともに返事をしていないようだった。
「・・・あの。」
「・・・。」
もしかしてお連れ様ですかと店員が声をかける前に、クンツァイトは彼らしからぬ足取りでズカズカと店内を横切った。誰もがその形相に恐れ飛び退くが、それでもヒスイの周りの人間は気付いていないのか盛り上がりが冷める事はない。
「旅してんのに酒弱いのかい。」
「もっと飲んじまえよ。」
「暑いならその上着も取ってやろうか?」
近付くにつれてそのような声が聞こえてきて、ついにクンツァイトの怒りは沸点に達する。壮年に入りかけた男がヒスイの肩に引っかかっている上着を取り去ろうと手を伸ばすが、それは寸でのところで叩き落とされた。
その力の強さに、男は眉を跳ね上げて相手に掴みかかる。
「てめぇ、何しやがんだ!?」
「触るな。」
絶対的な、全てを威圧する声。
掴み掛ろうと立ち上がった男もその声に敵うはずがなく、クンツァイトの異形の成りに目を丸くして後ずさった。ソーマこそ出していないものの、その紫の鎧と完璧な程冷たい表情だけで相手の戦意を喪失させるには十分である。加えて感情が高ぶった時にのみ見せる血よりも赤い目がギラギラと刃のように光り、視線だけで人を殺せそうな勢いであった。
そうして店内全体がシンと静まり返った中、ようやくクンツァイトの存在に気付いたらしいヒスイが異様な空気を物ともせず声を発した。
「…くんつぁいとじゃねぇか。」
「・・・・・。」
勿論、呂律など回っている筈が無い。舌っ足らずな声に呼ばれたクンツァイトは、今度こそヒスイの目の前まで歩み出た。周りに群がっていた人間は二人を中心にして割れ、その様子を野次馬半分恐怖半分で見守っている。自分は関係ないとばかりにそそくさとその場を逃げ出す人間も出てくる始末だ。
「ヒスイ。」
改めて彼を見下ろすと、ズボンを身に付けてはいないものの、大きいシーツのような毛布を巻き付けており、かろうじて全裸は免れている。酒の所為か蒸気した身体はしっとりしていて、惚けた表情と薄く開いた唇はこのような場に居れば誘っていると解釈されても不思議では無いだろう。
「そざいやのおっちゃんが、のもうっていってよ。それで。」
「……どの男だ。」
クンツァイトの声に、店内が少しざわつく。乱闘を起こされては困る店側と、己に被害がこないよう保身にあたる客。しかし予想に反してヒスイは店内を見回しただけで小さく首を傾けた。
「わかんねぇ。」
店内にほっと安堵の息が満ちる。
さして返答を期待していなかったクンツァイトはそうか、と呟いた後、背中からソーマ腕を出現させ、素肌の上だが無いよりマシだと、引っ掛かっていただけの上着をきちんと着せる。その間にクンツァイト本体は辺りを見回し、散乱していたヒスイの服や靴を集めて綺麗に折り畳んでいった。
4本の腕で帰り仕度をテキパキと進める姿に誰も何も言えず、ただ夢でも見ているのかと目を疑い固まっていた。ソーマと言っても今は上位の結晶騎士が身に付けているだけで、一般人は目にする事など滅多にない。クンツァイトの背についているものも果たしてソーマと認識しているのかすら疑わしかった
現実とはかけ離れたそのクンツァイトの姿に俄か店内がざわめくが、彼は全く気にせず作業を進めている。
「ヒスイ。宿へ戻るぞ。」
多くない衣服を畳み終わり、ぼうっと突っ立っているヒスイの腕を強く引くクンツァイト。周りの人間には目もくれず、来た時同様荒い足取りで店を出ようとする。
しかしその足は、出口付近で横から差し出された酒瓶によって止める事となった。
「・・・?」
クンツァイトが意図を掴めず顔を上げる。
するとそこには入店時に受け答えした店員が苦笑しながら立っていた。俄か眉を寄せると、ヒスイより少し年上に見える青年は、どうぞ、と言って再度酒瓶をクンツァイトの前で揺らした。
「バイトのお礼です。」
「バイト?」
いまいち事情が呑み込めないクンツァイトが青年に説明を求めたところ、彼はヒスイへ視線をずらして詳しい話を始めた。
店が慌ただしくなってきた時、素材屋の話相手をしているだけでは匂いで酔ってしまうからと、手伝いを引き受けてくれた事。バイト代は要らないと言うヒスイに、何も無しでは流石に悪いと言い合いになった事。そして折れたヒスイが遠慮がちに、街の特産であるグミ焼酎を一本所望した事。
「お酒飲めないんじゃ、って聞いたんだけどね。美味しいグミ焼酎飲ませてやりたい男が居るんだって言っていたんだよ。」
「・・・。」
「それに、さっきも。色んなお客さんに声かけられてたけど、ずっと『アイツの所に帰んないと』って言って断ってたよ。酔っ払いの癖に。」
アンタの事なんだろ?と目で聞かれ、さっきまでの怒りはどこへやら返答に困ってしまう。
「自分は…。」
「あんま叱らないでやってくれよ。」
手伝いを依頼した自分が言う事じゃないかな、と青年は笑う。
感情が昂っていたのは間違いではないし、このような場所に居るヒスイや彼を取り巻く客達に怒りを覚えたのも確かだ。けれどそのような背景があったことを伝えられてしまうと、感情を何処へ向ければいいのか分からなくなってしまう。
「ほら。」
差し出された酒を、今度こそ受け取った。
「また顔出せよ。」
店員らしい言葉にクンツァイトは小さく頷くしかなく、先ほどまでの荒々しい足取りとはうって変わって静かに歩み、店を出た。見送る店員にヒスイがぶんぶんと手を振っている。
左手に上等なグミ焼酎とヒスイの衣類。
右手には分厚い毛布で身を包んだヒスイ自身。
全く、こんな時刻に己は一体何をしているのだろうかと、溜息を吐きたくなるクンツァイトであった。




店を出てから、お互い一切無言で路地を歩く。宿までそんなに距離は無いものの、酔っ払いを連れている挙句、薄暗い路地だ。足元に気をつけなければならないため戻るのに時間がかかるのは仕方がない。転がっているゴミ箱をソーマの腕で置き直しながら、クンツァイトはそんな事を思っていた。
すると手を引っ張られながら黙って歩いていたヒスイが、唐突に口を開く。
「・・・なぁ。」
「どうした。」
夜風にあたり、少しは酔いも醒めたのだろうか。意外と口調はしっかりしていた。
「迷惑、かけちまったな。」
すぐ戻るつもりだったんだけどよ。
俯いてそう言うヒスイに何と声をかけていいのか分からず、クンツァイトはただ振り返るだけだった。
「別に言い訳じゃねぇけど、この街に来た時、お前グミ焼酎が特産だっつってたよな?」
「肯定。この街は古くから酒造りに特化しており、中でもグミ焼酎は年月を重ねた逸品だと説明した。」
データベースを辿れば、その台詞を言った記録も残っている。イネスが目を輝かせて、以前飲んだ味が忘れられないわ、と語っていたのもその時のものだ。
「そん時、…お前が飲みたそうな顔してたような気がしたんだよ。」
躊躇いながらもヒスイがそう伝えると、クンツァイトは切れ長の目を僅かに見開いた。
「でも酒買う余裕なんて無ぇし、お前だってきっと必要無いとか言うだろ?だからバイト代で貰えるなら、貰ったから、って言って渡せるじゃねぇか。」
「待て、ヒスイ。」
「あ?」
「何故、自分が飲みたそうな顔をしていたと判断したのだ。」
クンツァイト自身、欲した記憶はこれっぽっちも無かった。良い味を持っているのだろうとか、その味を確かめてみたいとは思ったかもしれないが、元々表情が無いに等しい造り物の顔ゆえに、それが表に出ていたという事はないだろう。
「何となくだよ。何となく。違ったんなら別にいいけど。」
己には自覚が無い感情を、別の人間が感じ取っている。
その事実がクンツァイトを驚かせていた。
「嗜好品を設定するスピリアは、自分にプログラムされていない。しかし、ヒスイがそう感じたのなら。」
そこまで言って手元のグミ焼酎に視線を落とす。
ありきたりなデザインのボトルではあるが、ヒスイが己の為を考えて手に入れたと感じるだけでそれは特別な物のように見えた。
「…事実、この焼酎を飲んでみたい、と思う。」
そう伝えれば、酔っ払い特有の柔らかい笑みを見せるヒスイ。
やはりまだ酔いが残っているのかと思うと同時に、スピリアが満たされてゆく感覚を覚える。
今まで想い想われという感情は己には無関係なものとして過ごしてきたクンツァイトにとって、ヒスイの行動はとても新鮮なものに感じられた。同時に単語としてしか登録していなかった『想い』という言葉を、ヒスイと共に居る事で身をもって感じ始めている。
「とても、美味しそうだ。」
「だろ?」
毛布に包まったまま、ヒスイは楽しそうにクンツァイトを見上げる。
そういえば、彼は素肌のままに上着を着ているだけなのだったと、ふと我に返るクンツァイト。思い出してしまえば酒場の出来事も芋蔓式に出てきてしまう。
潤んだ瞳、露出した肌、男達に囲まれた姿。それらは思い出しただけで怒りがスピリアを支配してしまいそうになる光景だった。
「だが、ヒスイ。単独で酒場に行くのは賛同しかねる。」
「う…しょうがねぇだろ、何かそういう流れになっちまったんだよ。」
未だ呂律が回りきっていないその声に、知らず知らず眉を顰めた。
この姿をこの声を、幾人もの人間に魅せたのだ。
「自分は、ヒスイがそのような格好で他の人間に囲まれていると不快だ。」
「…悪かった。もう、しねぇ。」
いつもならば売り言葉に買い言葉、噛み付いてくるヒスイが大人しく謝罪の言葉を口にするのは酒の効力だろうか。しゅんとして毛布の端をギュ、と握るヒスイ。彼らしかぬその姿に、何故かクンツァイトは自分の方が悪者になっている気がして途惑った。
途端、店の青年から言われた「あんまり叱らないでやってくれ」という言葉を思い出す。
そうだ、叱りたい訳でも怒りたい訳でも、ましてヒスイにしおらしい表情をさせたい訳でもない。
「ヒスイ。オマエの、自分を想う行動を嬉しく思ったのは確かだ。ただ、自分は他の者にその姿を見られたくないと感じる。」
いくらそっと抱き締めたところで、己の腕は柔らかく温かくヒスイを包む事は出来ないだろうとクンツァイトは思う。けれど本当の意味で感情が芽生え始めたばかりのスピリアで愛しさを表現するには、これ以外に方法が見つからない。
抱き込めばヒスイの体温はジワリとクンツァイトへ移動する。本来ならば寒くなるところだが、酔いで体温が上昇しているせいかヒスイは気持ち良さそうに目を閉じた。
「わかっ・・・、気を、つけ、・・・。」
クンツァイトでないと聞き取れないような声でもごもごと呟いて、そのまま身体を預けるヒスイ。最早夢の世界へ入るのも時間の問題だろう。
無理に起こして歩かせるよりも自分が担いだ方が時間の短縮になると判断したクンツァイトは、揺り動かす事もなくただジッとヒスイを見詰めていた。
―擦れ違い、喧嘩、勘違い、嫉妬。
スピリアとは何と厄介なものだろうか。
「(否。それでも、)」
「…クンツァイト…。悪、かっ…た…。」
「もういい、ヒスイ。焼酎の件、礼を言う。」
クンツァイトの腕の中で、ヒスイが小さく頷いた。
段々とかけられる体重が重くなっていく。本格的に寝入る寸前だと予測し、ヒスイの耳へ己の唇を近付けた。
「…愛している。」
このような言葉が己の口から出るようになるとは微塵も予測していなかった、とクンツァイトは思った。けれどヒスイと共に居ると心のどこかで温かさを感じるし、それは愛しいという感情の名前がピッタリと当て嵌まるのだ。
小さな接吻を額へ送れば、寝入る直前だったらしいヒスイが僅かに口を開いた。
「俺も…。」
まるで条件反射のように声を返してくるその様子に、小さく笑みが漏れる。
作れと言われて作ったものではないその笑顔は、とても自然なものだった。
「(スピリアとは、煩わしく厄介なものだ。…が、もう不必要だとは感じない。)」
互いを想う優しさがあれば、それだけで様々な事を解決できるのではないだろうかと思う。
「(自分に疑似スピリアが搭載されていて良かった。)」
それはきっと、どんなエネルギーにも勝るものだから。



「ヒスイ、宿へ戻るぞ。」
安定した寝息をたてるヒスイに一言断りを入れてから、その身体を抱え上げた。
近道を選んだため路地裏という場所は街灯の明かりが届かず、闇が色濃く二人を取り巻いている。
愛しい者を抱えた機械人は、その中を迷いの無い足取りで進んで行った。




そうして、今日という日が幕を閉じてゆく。













fin.





********
ヒスイ受けアンソロ「tipe*JADE」(未発行)に寄稿させて頂いた小説。
執筆時の文がそのままなので、改めて見ると今以上に未熟なのでお恥ずかしい限りです。
でも執筆時はとても想いを込めて書いたつもりなので蔵出し。




090223 執筆
100620 蔵出し

水方葎