* 朝の宣言 *



























「ファ、ファイさん、これは…。」


朝。
シャオランが部屋のドアを開けて目に入ったのは、数々のお菓子。甘い匂いが店内に漂い、行き場を無くしてシャオランの部屋まで入っていく。
甘いものは嫌いでないシャオランも朝っぱらからこの匂いはどうかと思った。しかしキッチンで支度をしている人はそんな事これっぽっちも思わないらしく、いつもの笑顔をひょいと覗かせた。
「あ。シャオラン君お早う。もう少しで朝ごはん出来るからね〜。」
今日はフレンチトーストだよ、と続けて言いながら、キッチンへと戻る金髪の人。


桜都国へ来て数日。
すっかり料理慣れしたファイは、その才能を発揮させて次々と新しいモノを作っていく。喫茶店を経営しているのだから甘いものは当たり前なのだが、朝から甘いものはどうかと思う。
けれど彼の料理は美味しい。
甘いのも程よい甘さで気持ち悪くならないし、絶妙なお茶の選びで口の中はスッキリするのだ。
それでも黒鋼は嫌らしいが。


顔を洗って洗面所から出てきたシャオランは、サクラや黒鋼がまだ出てきていない事を知り、二人きりだという事実に何だか赤面してしまう。
彼と二人きりになった事など殆ど無くて、何だかシャオランにとってファイは崇高な人物のようだった。手に届かない存在のような、儚い人。
「ファイさん。」
「ん〜?どしたのー?」
キッチンを向いて呼ぶと、ドアが開けられる。両手にはそれぞれ黄色いパンが乗った皿を持っている。
「あ、中にあるティーカップとポット、持ってきてくれる?」
「はい。」
後ろを白く長い指で指し、テーブルへ向かうファイ。シャオランも続いてキッチンへ入り、整頓されたキッチンの上に乗った可愛らしいカップと中身の入った熱いポットを手に取った。
店内へ戻ると、ファイが2人用のテーブルに皿を並べているところだった。戻ってきたシャオランを見て、手招きする。
「シャオラン君ー。サクラちゃんも黒むーもまだ起きてこなさそうだし、先に食べちゃおう?」
首を傾げる長身の人は、これでもかと言うほど幼く見える。合わせて揺れる金髪と、雪国出身だからだろうか白い肌に思わず見惚れてしまうシャオラン。
「? どしたのー?」
「あ、いえ!食べましょう。」
ブンブンと首を振って、シャオランは用意されたテーブルに温められたカップを置き、その中にポットの中身を注いだ。
甘い匂いの中に、別の心地良い香りが辺りに広がる。
「これはねー、アップルティーって言うんだって。」
「あっぷる、ですか?」
「うん。前阪神共和国で見た『りんご』のお茶みたい。」
けれどやはりどの国でも『りんご』の形は違っているようで、ここでは阪神共和国で見たよりも二周りも小さいそうだ。
お茶を覗き込みながら珍しそうにしているシャオランに、ファイは自分の分のカップを手に取った。
「ほら。『りんご』の良い匂いがするー。」
唇近くに持っていったカップ。
シャオランも其れに倣うと、確かに林檎の芳香が鼻を掠めた。


そうして二人だけの静かな、心地良い朝ごはんが始まった。






二人で「いただきます」をして数分。
静かで穏やかな空気の流れる食堂には、カチャカチャと食器の擦れ合う音だけが響いた。
しかしそれは一人分。
「ファイさん・・・食べないんですか?」
シャオランは、動かしていた食器を置いてファイに尋ねた。
そう、先ほどからフォークやナイフを動かしているのはシャオラン一人で、ファイは目の前にある食べ物を一切口にしようとはしなかった。目前のシャオランや食堂をいつもの笑顔で見て、たまにカップに口をつけるだけ。
「シャオラン君も、食べないのー?」
突然食べる事をやめてしまったシャオランに、ファイは頬杖を付いた細い腕をそのままに小首を傾げた。
「ファイさんが食べないからです。」
「そっかー。」
キッパリと言い放つと、ファイは答えにもならない返事を返して、再び笑む。
シャオランは眉を寄せて、温かいカップを手に取った。
まだ一緒にすごした日々は少ないけれど、それなりにシャオランはファイと言う人物について理解していた。
心の中に大きな闇を持ち、隠そうとして偽者の太陽を笑顔として顔に貼り付けている。その癖誰にもそれを悟らせまいと必死で。
「ファイさん、もしかしていつも食べないんですか?」
「や、食べてるよー?でも、シャオラン君が美味しそうに食べてくれてるのを見たら、嬉しさでお腹一杯になっちゃって。」
にこにこと微笑む姿はいつものファイと変わらない。
「じゃあ、ファイさんも一緒に食べましょう。美味しいですけど・・・一人で食器動かしてるのは面白くないです。」
当たり障りの無いように言葉を選んで口にするシャオラン。
何をされても、何をしても平気だと自分に言い聞かせるファイの中身はボロボロだ。それでも痛みを知らない人形のように身体に心に鞭を打ち続けている。今日も、知らずの内に食物を受け付けなくて。


「うん、そうだね。独りは…寂しい、から。」


ポツリと呟いた声には僅かに震えていた。
それはシャオランの思い過ごしだったのかもしれないが、確かめる術は無い。
ならば自分の勘を頼りにしようと、シャオランはフォークとナイフを手に取り『フレンチトースト』だと教えられた正方形のパンを一口サイズに切り取った。


「はい、ファイさん。口開けてください。」


「・・・・・・・え?」
笑顔が崩れた。
目を丸くして、ファイは目の前に突きつけられたフォークと、ソレに刺さった一口サイズのパンを凝視する。
何をされているのか分からないのか、2〜3度瞬きを繰り返した。
「食べて下さい。」
真剣なシャオランの瞳は決して冗談を言っているものではない。
ファイの背中を冷たい汗が伝う。小春日和の今日なのに、心なしか空気もひんやりとしているようだった。


流されてしまいそうだった。


この場で、それを取ってしまいそうだった。


しかし、それは自分が許さない。


「あはは。有難うシャオラン君。食べるから大丈夫だよー。」
崩れたと思った笑顔はすぐにまた無意識に張り付く。
同時にこれ以上剥がさせないと言わんばかりに、震える手でフォークとナイフを手に取るファイ。


独りが嫌なくせに、独りになりたがる。
差し伸べられた手を拒絶して、独り傷付きながら、生死も分からない状態でふらふらと彷徨う。
誰が貴方をそんな風にした?
何が貴方をそんな風にさせている?
これは自分が踏み込む領域では無いかもしれないけれど。
けれど関わった以上、放ってはおけないから。


シャオランは拒絶されたフォークを皿の上に静かに置き、カチャカチャとナイフとフォークでパンを弄っているだけのファイを見た。食べようとしているのか、元々食べないで居るつもりなのか。
「ファイさん。もしかして俺達が起きた時いつもお腹空いてたから先に食べたって言ってたのは・・・。」
「あ、それは本当だよー。一口だけ食べとくんだ。今日はシャオラン君起きたの早かったから、無理だったけど。」
そうしたら、食堂に食べた痕跡が残るかなと思って。
とは言わずに胸の中へしまう。
そんな事、この優しい男の子に言える筈が無いと。
心の中で苦笑していると、シャオランは椅子を押して立ち上がった。もしかして怒ったのか、とか、気を悪くしたのかと思っていたファイだったが、シャオランの自分の隣に歩いてくる表情を見てそうではないと察知した。茶髪の少年は、怒ってもいなかったし嫌な顔もしていなかった。
ただ、悲しい顔だけで。
いつもはファイがシャオランを見下ろしているのに、今だけは違う。ファイが椅子に座って、隣に立ったシャオランをいつもの笑顔で見上げている。
何?と首を傾げたファイに、シャオランは少し屈んでファイの白い額に己の額をくっつけた。


「いつか、貴方の仮面を剥がしてみせますから。」


その下の笑顔を、絶対に見ますから。


相手の顔しか見えない視界の中、シャオランはファイを射るように見つめながら言う。言葉はまるで矢のようにファイへと突き刺さる。


「有難う、シャオラン君。」





ファイの笑顔は、食堂の甘い空気と溶け込めずに不協和音を響かせていた。

















fin.






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ちっさいわんこの宣言。ファイはお母さん!



071001 水方 葎