* いつか遠くへ *















『 俺はずっと待ってたからなぁ


        連れてってくれる誰かを 』









白詰草を出た二人は生温い空気の中帰路についた。店の中でも一言も交わさなかった二人は気まずい沈黙の中、暗闇を歩く。
コンパスの長さはほぼ同じなのだが、怪我をしているファイがやや遅れ気味で黒鋼の後を付いて行くような格好になっている。黒鋼も自然と歩調を合わせるようにするが、どうにも遅れは取り戻せず終いだ。鬼児が出る事を考えればファイを庇う様にするこの隊列が一番良いのだろうが、黒鋼にとって歩き難い事この上ない。別に早く帰らなければならないという事は無いのだが、どうにも調子が狂ってしまう。
何とかこの場を繕う為に、黒鋼は先程からずっと考えていたことを思い切って口にした。
「諦めたのか。」
「____え?」
振り返っていきなり言われた言葉に驚いてファイは顔を上げる。
左足を庇おうともしない歩き方に黒鋼は眉を寄せるが、何も言えずに口を噤む。その代わりにファイを射るような目で見てやれば、ファイは痛そうな顔も見せずにいつもの様に柔らかく笑む。
「さっき言っただろうが。『ずっと待ってた』って。」
「うん。言ったねぇ。」
黒鋼が立ち止まるものだから、自然と1歩半遅れて歩いていたファイもその場に止まる。
「『待ってた』っつー事は過去形だろ。」
あぁ、だから『今現在』は諦めたのかと聞きたかったのかとファイは頭の中で言われた台詞を整理する。同時に浮かび上がる癖とも言える笑み。このポーカーフェイスは自分でも良く出来ているとファイは内心自嘲した。


「あのね、黒たん。


無いもの強請りって事に気付いたんだ。」


ファイの声は風に乗って黒鋼の耳まで届く。その瞬間、黒鋼は目を見開いた。
だからもう求めないのだと、求める事はしないのだとファイは淡く笑った。
「どっちにしても『諦めた』って事に変わりはないけどね。」
「お前・・・」
「あ、」
黒鋼がファイに何かを伝えかけるが、耳に入り込んできた音楽にファイがそれを遮る。流れてきた音楽は、あの歌だ。



                               』


耳を澄ましてもメロディしか聞こえないが、歌詞は知っている。
出所はやはり白詰草かららしく、店から100Mも進んでいない二人の所まで聞こえた。
一日に数回ライヴをしているようで、結構な人気があるとカルディナから聞いた。
「・・・。」
「・・・。」
二人は道で立ち止まったまま、その音楽に耳を傾けた。ファイは少し店を振り返っているようだが、黒鋼はジッとファイを見詰めていた。しばらく夢見心地で聞いていたのだが、自分のほうへ歩いてくる気配を感じ取りファイは前を向く。
「どしたの?黒わん。ー・・・・!」
目の前に立って自分を見下ろす黒鋼にファイは笑うが、いきなり腰に手を回されて持ち上げられるものだからその笑みは一瞬掻き消えた。代わりに驚きと制止の声が口から紡ぎ出される。
「ちょ、ちょっと黒ぴっぴ?」
ごめんねそうだよね早く帰りたいよね、でも歩けるから降ろしてよ等とファイの言葉は止まることなく黒鋼に向けられるが、いつもより声に幾分余裕が無い。
人の領域に容易く入り込んでくるこの魔術師は、人にちょっかいを掛けるのを得意としているのに触られる事を最も苦手としているのだ。それは可笑しな話で、こうやって直に触れたのは初めてな黒鋼はファイの新たな一面を知る。
ファイには見えないように少し唇の端を上げるが、すぐにまた真一文字に口を結ぶ。



「何処に行きたいんだ。」



「え・・・?」
遂には黒鋼の背中を力無く叩いていたファイだったが、黒鋼のしっかりとした、それでいて有無を言わさないような声に行動を止める。ぽかん、とした表情は黒鋼に見えなかったが、その声からファイがいつものポーカーフェイスを崩している事は明らかだった。


「何処に行きたいんだ。お前は。」


再度繰り返される質問に、ファイの瞳に決して零れ落ちることの無い涙が溜まる。
「・・・連れてってくれるのー?」
へにゃん、といつものように笑って尋ねるファイ。先程のような呆気に取られた声は欠片も見当たらない。
何も言わない黒鋼に肯定と取ったファイは、終わっていない白詰草から流れ出るメロディに意識を傾けた。今にも高く美しい声が聞こえてきそうなそれは、幻想的なものを思わせる。思わず現実逃避しそうになるファイを、黒鋼は容赦なく声を掛けた。
「オイ。」
何も言わないファイを怪訝に思ったのだろう。それでも黒鋼はファイの腰に回した手を離す事は無い。
「ふふ、優しいなぁ。黒むーは。」
「いいからさっさと言え。」



行きたい所



ここじゃない何処か




「・・・・・・・・家に…、帰りたい。」


きっと、シャオランやサクラが待っている。


自分の事を待っていてくれる人がいる。


今はその人達のところへ、帰りたい。




「・・・帰るぞ。」
多少震えていたファイの声に何も言うこと無く、黒鋼は店を背に歩き出した。
ライヴは今終わったのだろう、鳴り止まない拍手が二人の耳にも届いた。













今はまだ、遠くへは行けないけれど


何時か遠くへ行ける時が来たならば


嫌がっても抗っても叫んでも


何をされても連れ出してやる





諦めた、なんて二度と言わせない為に








fin.






*************
黒鋼は本当もうファイの旦那になるべき。



071001 水方 葎