* 喫茶店事情 3 *


















時刻は少し戻り、夕空が紅く広がる時間帯の事。


「っし。じゃあ今日もコレ付けて帰って来い。」
目隠しでの帰宅に大分慣れてきたシャオランは、もう帰るのに何時間も必要としなくなっていた。目が見えない分他の感覚が研ぎ澄まされるのだ。その感覚にも慣れ始め、初日の様な鈍い反応はしない。
「はい。」
渡された手拭を受け取り、気を引き締めた面持ちで自分の目を隠すシャオラン。
「じゃあな。」
「あ、黒鋼さん。」
言葉と同時に歩き出す黒鋼だったが、不意にシャオランに呼び止められる。振り向くと、しっかしとした手つきで渡される桜の形をしたバッチの様な財布。日本の桜そのものの色を持ち淡く光るそれを渡された黒鋼は、もしかして、と顔を引き攣らせる。


「ファイさんが、無塩のバターと強力粉を買ってきて欲しいと
「あの野郎!!!」


シャオランの控えめな台詞を途中で遮って叫んだ黒鋼の声は川原に良く響いた。





「ありがとうございましたー。」
店の人の愛想良く振舞う声に後押しされ、黒鋼は小麦屋を出た。無塩バターというのも一緒に売っていたので適当に買ったのだが、これでいいのだろうかと思う。色々な種類が沢山売っていて店員に説明を受けたものの、ファイがいつも何を使っているかなんて分からない。
「ったく、アイツの思考回路すら分からねぇのに、バターの種類なんて知る訳ねぇだろ。」
ブツブツ文句を言いながら、大きな缶と小麦袋を肩に担ぐ。
すると背中のほうから蛙が潰れるような声がした。
「黒鋼ひどいー!」
そういえば忘れていた。
シャオランが剣の訓練をしている時から「モコナ眠いv」と言って黒鋼の肩に乗って寝てしまった白くて丸い饅頭の様な生き物。今肩に荷物を乗せた時に潰れてしまったらしい。
「あぁ!?知るかよ!」
肩に乗っていることも気付かず歩いていた所為で、通行人からジロジロと見られていたのかと納得する。と同時に理不尽な事を言われて思わず怒鳴った。
「シャオランは?」
今怒鳴られた事を忘れたかのようにキョロキョロ体ごと辺りを見回すモコナに黒鋼は一人で帰ってくるとだけ告げた。歩き出した空は既に黒がかかっていて、早くない時間である事を黒鋼に教えている。
『食事は皆で』と言っている魔術師を思い出して舌打ちし、遅くならないうちに帰らなければと思う。
「モコナお腹すいたー。」
タイミング良くモコナが腹減りを主張したので、それに合わせるが如く黒鋼は歩調を強めて帰路についた。






正直言って、まさか自分がここまで独占欲が強かったとは思っていなかった。
最初は唯、鬱陶しいとだけしか思っていなかった。
それが気付けば、あのふとした瞬間に見せる負の感情に捕らわれた痛々しい笑顔や、自分にも言い聞かせているかのようなシャオランやサクラへの発言。それに『何か』に雁字搦めになっている生き様。
それら全てを気にするようになっていた自分が居る。


どうしたら本物の笑顔を取り戻す?


この前、新しいファイの表情を見た。
自分の下で喘ぐ、とても美しく艶かしい姿。


けれども、それだけでは足りない。
もっと
もっともっと
色々な表情が知りたい。


全て曝け出して欲しい。




「(アイツがんな事する筈ねぇけどな・・・)」
弱さも痛みも苦しみも辛さも悲しみも全て。
全てその身体にしまい込んでしまうから。



喫茶店を開くと聞いた時、自分の中で湧き上がる何かを感じた。
自分達が持ち帰る情報を信頼していないとか、そういう訳ではないのに直接自分も羽についての情報を仕入れたいと言う。いつもの穏やかな笑みを浮かべるファイに、黒鋼は怒鳴った。


勝手にしろ


と。
些細な『人目につかせたくない』という感情だけがその時黒鋼を支配していたのだろう。
口をついて出た言葉はシャオランとサクラを驚かせ、ファイを悲しそうな笑顔にさせた。
うん、そうするー
頑張ろうね、サクラちゃん。そう言ってまた、いつもの笑みに戻す。






「黒鋼、あれ、シャオランだー。」
黙々と歩いていると、考えに捕らわれていた所為で気が付かなかったのだろうか。路地にシャオランが多少ふらついた足取りで奥に向かっている。黒鋼が記憶している中で、その道は確か鬼児が出るポイントでもある。
「・・・。」
最近は夕刻になっても鬼児が出る。というより、夜に限らず昼や朝も鬼児が出るのだ。
声をかけようとして、止める。
何もそこまで過保護にする必要は無いのだ。鬼児が出たら出ただし、出なかったら出なかっただ。これも修行の一つになるのだから、余計な手出しは無用だ。
そう思って踵を返した瞬間、黒鋼の背後から邪悪な空気が滲み出る。バッと振り返ると案の定ハの2段階の鬼が数匹、自分と少し先に居るシャオランに襲い掛かろうとしていた。
「っオイ!鬼児だ!!」
素早く声をかけてから、黒鋼は抜刀して敵を迎え撃つように切る。勢い良く振り下ろされた爪が自分のところに届くまでにそれらを切り落とし、止めをささんとばかりに鬼児達の身体を切り刻んだ。
2〜3匹一気に倒すと少し視界が開け、見るとシャオランは目隠しをしたまま鬼児に蹴りを入れていた。崩れ落ちる鬼を見ると、どうやら武器無しでも倒せるヤツらも混じっているらしい。そいつらの相手はシャオランに任せようと考えて、自分は武器が無いと倒せない鬼児の相手をする。
しかし二人を囲むようにして数が多くなる鬼児達に、ついにシャオランは尻餅をつかされてしまう。同時に素早く目隠しを取り、機敏な動きで鬼児を狩っていった。



「スイマセン、目隠し取ってしまいました。」
「今日はしょうがねぇ。それより、こいつらまだ出てくるぜ。」
「はい。」


片付いた、と思って二人堕ちた影を見ていたら、そこからまた新しい段階の鬼児が蠢きながら出てきている。黒鋼は肩に乗っていた荷物を脇に置き、モコナをシャオランの方へ投げてから鬼児達の懐へ飛び込んでいった。
「(こりゃ今日は早く帰れねぇな。)」
星が出始めた空を見上げて、黒鋼はそう口中で呟いた。







「たっだいまー!!」
シャオランが家の扉を開けると、その肩に乗っていたモコナが逸早く中へ飛び込む。時刻は8時を10分程過ぎたところで、既に外は真っ暗だ。カチコチと店の時計が鳴る店内は出迎える声が無い。
「桜姫は寝てるんですね。・・・ファイさんは、部屋かな?」
ソファで横になっているサクラを横目で確認したシャオランは、泥を付けた服を兎に角着替えようと家に足を踏み入れた。
しかし、違う、と黒鋼は思う。
まだ数日しか喫茶店暮らしをしていないのだが、その中で自分達が帰ってきた時にファイが部屋に居たなんて事は一度も無い。それに、喫茶店に充満しているこの酒の匂い・・・これは確かブランデーだ。
ひょいっとカウンターを覗き込んでその半分以上空いた瓶を確認して違和感を覚える黒鋼。誰が飲んだかは一目瞭然で、それが新しい喫茶店のお菓子に使った事も分かる。問題は、飲んだ人物が何処に消えたかだ。
「黒鋼さん、これ・・・!」
多少焦りを含む声にそちらを見ると、サクラが寝ているソファ近くのテーブルに置いてあった一枚の紙を差し出したシャオランが居た。彼も彼なりにファイが居ない違和感を感じ取っていたらしく、何か手掛かりを探していたのだろう。何も無ければ部屋に居ると判断されるのだが、書置きが見つかった今そんな事は言っていられない。



紙には、家の中で眠っている白猫が一匹。
そして『ちっさいわんこ』と『おっきいわんこ』を思い描きながら外に出る黒猫が一匹。




「・・・・・。」
「・・・・・。」
確かに書置きというのは難しい。お互い共通する言葉が無い為に、文字で書き表してもそれは暗号となるだけで何の意味も成さない。そういった意味ではファイの書置きは成功だと言える。
現にファイの描き置きは、一目でどういう状況かが理解出来た。
「ぁんの野郎!」
「もしかして、遅くなった俺達を探しに外へ・・・!?」
シャオランの言葉も聴かぬ内に黒鋼は外へと駆け出していた。



武器も持たずに夜フラフラと出歩くなんて、鬼児の餌になるだけだ。
それに、部屋に残った少々のブランデー。もし鬼児に出くわして動き回ると、確実に酔いが回る筈。
そうでなくてもいつ意識を失うか・・・



「あぁくそ!!!」

黒鋼は当ても無く桜都国を駆け回る羽目になった。













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書き置き一つとっても大変ですねツバサの面々は。



071001 水方 葎