「んで、此処に抜け穴があるんだけどよ、たまにこの裏に保健所の奴らが仕掛けた罠があったりするからな。」
「へぇ。」
逆鬼が注意をかけながら抜け道をくぐった矢先、とたんに飛んできた罠から身を翻した白猫であった。

「・・・ま、お前なら引っ掛からねぇだろうけど。」





















* 街をおさんぽ *















「あと、そこの空き地で夜、たまに猫の集会が開かれてるぜ。流れ者のお前にゃ関係ねぇか…。」
動物にしか抜けられないほどの道を通り、街角の小さな空き地前に出た二匹。一体何のために作られたのか知れない空き地には、たまにゴミが落ちている程度のただの土地だ。公園のように遊ぶものや、雨風が凌げる何かがあるわけでもない。
「ここらの杭は相当古いからな。お前なら大丈夫だろうが、俺が乗るとやべぇ事になる。」
「へぇ。…本当だ、大分腐ってるね。」
黒くなってグラついている杭に触れ、軽く揺する秋雨。人間の公共物を破壊するなよ、と釘を刺すと、その手は離される。
「よし、次はもうちょい北に行くか。良い水場がある。」
杭の上を昇らずに空き地を横切ると、秋雨もそれに続く。
交通量が大した事のないこの土地は、他の地よりも空気が澄んでいるように思う。太陽の光も遮る物がなく、街路樹もも豊かに育っているようだ。時折聞こえる鳥の鳴き声が平和な空気を象徴している。
「此処は、良いところだね。」
「だろ?」
ぽつりと漏らした声に、横をのんびり歩いていた逆鬼が得意気に笑う。
「俺も元は流れ者だけどよ、此処は良い所だぜ。たまに保健所の人間に見つかることはあるが、俺の敵じゃねぇし。少し歩けば森や川もある。」
「うん、都会より空気が落ち着いてる。」
目を細めて眩しそうに辺りを見回す秋雨に、ふと違和感を感じる逆鬼。
じっと見つめると、秋雨が視線に気付いて首を傾げた。
「どうしたんだね?」
「いや、別に…」
「そうかい。」
顔をそらせば、それ以上は追求してこない。その雰囲気は先程と同じものになっており、違和感など微塵も感じられなかった。





逆鬼が言う"良い水場"に行くまでにも、彼は街に色々な説明を加えていく。



「この場所はよく縄張り争いが起きるからよ、俺が占めてやった。」



「腹空いてねぇか?近くに俺の隠れ家の一つあるけど、食い物あるぜ。」



「あそこの門の家は猫嫌いのじーさんが住んでやがる。あんま近くを歩くなよ。」





喧嘩好きではあるが別に乱暴で凶悪なわけではない(自分基準)と判断した秋雨は、その一つ一つに耳を傾けた。スピードを落とさず、しかし秋雨の足の怪我を気にするように歩いたり、腹具合を気にするなどの配慮も欠かさない良い犬だ。自分の力を振舞っているだけの犬に留まっていない。
そんな感じで黒犬と白猫の二匹が連れ立ってのんびり歩いていると、時々不躾な視線が二人に突き刺さる。他の家犬であったり野良猫であったりが、二匹を見て囁くのだ。
「あれ、逆鬼じゃね?」
「何だよあの猫…」
「おい来てみろよ。一匹狼が猫連れてるぜ。」
動物は、人間とは別の意味で情報が命だ。急速に広まった"馴れ合いをしない逆鬼が白猫を連れて歩いている"という噂を聞きつけて、色々な動物が逆鬼と秋雨を見にやってくる始末。
チラチラと突く様な視線に、元々気が長いほうではない逆鬼は苛々が募る。確かに自分は誰かを連れて歩くなど皆無だし、まして連れ歩いているのは猫だ。珍しくもあるだろうが、止まない声と視線に怒りをぶつけたくなる。
物騒な気を起こしそうになった逆鬼に気付いたのか、秋雨は宥めるようにしっぽを揺らした。
「落ち着きたまえ。」
「お前だって不快だろ。」
「騒ぎを起こす程の事ではないだろう?」
襲い掛かってくる訳でもないのだし、と続けると、逆鬼は鼻を鳴らした。
「それにしても、よっぽど有名犬なんだね、君は。」
「まーな。」
動物の種類問わず逆鬼の様子を伺っている現状に、秋雨は面白そうである。
「別にここら一帯締め上げるつもりじゃなかったんだがよ、強い奴ぁいないかと喧嘩に明け暮れてたらこーなっただけだ。」
「まったく…」
「おかげでこの街のボス犬より強ぇぜ、俺は。」
「だろうね、君に敵う犬なんてそうそう居ないだろう。」
「…何か、お前に言われたくねぇ…。」
逆鬼の気が穏やかなものに変わっていく様子を感じた秋雨は、内心安堵する。
彼が自分を連れているばかりに、起こさなくても良い面倒を起こしてしまうのは忍びないと思うのだ。
そう思っていると、不意に頭上から申し訳なさそうな声が落ちてきた。
「すまねぇな。」
「…え?」
「ホラ、俺が案内役でよ。もちっと普通の奴に頼んどけば、お前も不快な思いしなくて済んだだろ。」
頬を掻き目線を宙に彷徨わせながら謝る逆鬼に、秋雨は唖然とした。
そして、逆鬼とは対称的に俯いて自嘲を漏らす。


「君が、良かったんだ。」


「・・・そうか。」
優しく柔らかな声に、逆鬼が照れ臭そうに笑んだ。
その言葉の意味することを知らずに。







「・・・これは…」
草原のような小道を抜け、出てきた場所には小さな泉が湧いていた。
どうやら人口ではなく地下から直接湧き出ているらしく、澄んだ水場特有のの新鮮な空気が流れている。
「人間もたまに水を汲みにくるんだぜ。」
「公園の一部みたいだね。」
「おお。自然公園とか何とか。」
際まで歩き、足元に注意しながら水を飲み始める逆鬼。色々水場はあるが、此処が一番水が綺麗なのだという。
しばしその泉と周りの風景に和み深呼吸をしていた秋雨に、水を飲み終わった逆鬼が声をかけた。
「飲まねぇのか?」
「あぁ、うん。頂くよ。」
「頂くって別に誰のでもねぇよ。」
「ははは、そうだね。」
思い出したかのように水を飲み始めた秋雨。
冷たく気持ちが良い水で喉を潤していると、風に紛れて他の生き物が隠れているように感じた。顔を上げると、逆鬼と視線が合う。
「…誰か居るな。」
その気配は、他の野次馬的な物ではないことは明らかだ。気配を隠すのに長け、尚且つ二匹が目を凝らしても姿を見つけることが出来ない"それ"は。
「猫、か。」
「そのようだ。」
とても薄くはあるが、流れてきたニオイは確かに猫のもの。
だが、刺すように注がれていた二匹への視線が突然柔らかいものへ変わった。
少し高く、癖のある声が響く。


「おやまぁ、珍しいタッグ組んでるね。おいちゃんも混ぜてよ。」


「剣星!」
「やはり君か。」
まるで空から降るように降りてきた猫は3回転着地を華麗に決め、二匹の前にその姿を現した。
白と黒のまだら模様が美しく、毛並みはそれなりに手入れされているようだ。
「久しぶりね。」
「って秋雨、剣星知ってんのか?」
「あぁ、結構古くからの知人だね。私も彼も旅をしているから、会う事は少ないが。」
「なるほどな。俺も放浪してた頃に何度か会っただけだけどよ。」
「二匹とも、おいちゃんの話無視しないでほしいな…。」
再開した早々無視される猫―剣星―は、耳を折りガクリと項垂れた。
「悪ぃ悪ぃ。」
「全く、逆鬼どんは全然変わってないね。・・・勿論、秋雨どんも。」
懐かしそうに二匹を見て、微笑む。
剣星のその言葉に秋雨は苦笑を返し、しっぽを揺らした。
「久しぶりに逆鬼どんの顔でも見ようと思ったら、噂が流れてたから後を追ってみた訳ね。まぁ、十中八九、噂の"一緒に居る猫"は秋雨どんだと思ったけどね。」
「?何でだ?」
「逆鬼どんが普通の猫を連れて歩く訳がないね。」
「…。」
「…。」
「それだけかよ!」
「他にもあるにはあるけど、逆鬼どんには関係のない話ね。」
「そーかよ。」
二匹の応酬の間、何処か違うところへと視線を彷徨わせていた秋雨。逆鬼の面白くない、と言わんばかりの舌打ちに我に返り、剣星を見やった。
頭に乗せているトレードマークとも言うべき帽子を被り直しながら、剣星は秋雨に応える。
「さて、おいちゃんはもう行くよ。ちょっと他に用があってね、暫くはこの街に居るからまた会いに来るよ。」
「おう。またな。」
「・・・。」
秋雨は終始無言で、剣星と逆鬼のやりとりを微笑ましく見守っていた。
そして背を向け歩き出す剣星だったが、2〜3歩歩いたところで立ち止まり、周囲を警戒するような押し殺した声で呟いた。


「秋雨どん。この街に、既に"奴"が来てる可能性が高いよ。」


「・・・有難う。」
その一瞬のやりとりに逆鬼は内心首を傾げたが、自分が出しゃばるようなことではないだろうと思い何も聞かなかった。踏み込んでしまいたい気持ちはあったのだが、土足で踏み入っては相手に失礼な上、自分の礼儀に反する。
が、踏み込みたいと思うほどに白い猫への興味が高まっていることに、黒犬は気付いていなかった。


「今日は俺の棲家に来いよ。こんだけ騒ぎになってんだ、あんまり夜にふらふら出歩くと危険…つー単語はお前に似合わねぇ、けど、よ。」
「はは。有難う、と言うべきかな?じゃあ、とりあえず今日はお世話になるよ。この街にも、そう長くは居られないからね。」
「そうか。じゃあ食いモン取りながら帰ろうぜ。」
「そうだね。」


剣星と慌しく再開、別れた後に二匹はそんなやりとりをしながら、来た道を戻って行った。


「そういえば君、私に叶えて欲しい事は決まったのかい?」
「う…。」
遊びや街の案内に夢中で、全く考えていなかった逆鬼に合掌。








朝、と云うにはまだ早い時間。
ふと何かを感じて目を開いた秋雨は、2〜3そのまま瞬きをする。
目が暗闇に慣れてくると、そうか逆鬼の塒に泊まったんだったと思い返す。適度に綺麗な毛布や数日間分の食料が蓄えてある此処は、人間で言う「家」に近いものがある。おまけに、少し寒くなってきた季節だというのに風が全然入ってこないのは、猫である秋雨にとっては有難かった。
「・・・。」
近くの温かみに視線をやると、傍で真っ黒な物体、否、逆鬼が丸まっている。
途中鼻を鳴らしていることから、それなりに熟睡しているのだろうと察する。完全に目が覚めてしまった秋雨は、猫特有のしなやかさで二匹を包んでいた毛布からするりと抜け出した。無論、自分が抜け出した分の隙間を埋め、温度が逃げるのも防いでおく。
秋雨が目覚めたのには、理由があった。
「(これだけ不穏な空気を立てられれば、ね。)」
どこからか、自分に向けて敵意とも何ともつかない気が送られているような気がする。というより、確信に近かった。
秋雨の身体は"そこ"へ行くのを拒否していたが、そういう訳にもいかないと脳が割り切っている。
隣で眠る犬を起こさぬように小さな溜息を吐き、己の肉級をフル活用してそっと棲家を出ると、やはりまだ辺りは薄暗い。靄がかかっているかのように空は白く、生き物が気配すら息を潜めているようだった。


あばら家のような場所に棲家を構えていたので、木の音にも注意しながらすり抜けた秋雨は、閑静な住宅街を歩いて行った。




「・・・。」
2〜3分後、秋雨が通った場所と同じ場所に黒い影が伸びた。






きっともうすぐ、朝が来るだろう。



















fin.






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一瞬剣星の口調が思い出せなくて焦っ・・・



071221 水方 葎