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* 黒い犬と白い猫 * 日本の東京、とある街。 平和なこの街に、一匹の犬が棲みついていました。 「くぁ…」 大きく欠伸を一つ。ついでに伸びもして、寝る準備は万端。 暑い夏から秋へと移るこの季節、空には文字通り雲ひとつ無い快晴である。そよ風が、一匹の犬の全身を撫でて去ってった。 民家の頑丈な屋根の上、まるで狼を連想させるような体格の良い犬が昼寝をしようと体勢を整えていた。黒い毛の中には所々茶色が混ざり、ワイルドなイメージを助長させている。 「昼寝に限るよな、こんな日はよぉ…」 誰に話しかけるわけでもなく呟いて、鼻を鳴らす。そのまま頭を重力に任せて屋根瓦の上に乗せれば、あとは空気と長閑な木々の匂いが眠りへと誘ってくれる…筈だった。 「〜・・!」 「…」 「〜〜〜!」 何やら右手の路地のほうで、複数の動物の鳴き声が聞こえる。 縄張り争いは他でしろ、とばかりに屋根上の犬は耳をペタンと折るが、それでもゴチャゴチャと会話は耳の中へと入ってきてしまう。少し時間が経てばおさまるかと思っても、それは静まるどころか段々と大きくなっていくばかり。 此処は夕方になっても風が当たらず寒くならない、犬にとってお気に入りの場所の一つであった。動くつもりなど毛頭無い。仕方なく、黒犬は億劫そうに片耳を持ち上げた。 「いい加減にしやがれ!」 「この街にゃ、余所者は入れさせねぇんだよ!」 「…にゃぁ」 「(犬と猫の喧嘩かよ…)」 黒犬は暇さえあれば喧嘩をし、果ては海外まで飛び回った経歴の持ち主である。今現在は腰を落ち着けているこの街でも大暴れをした経歴があり、言い寄っているらしい犬数匹の鳴き声には聞き覚えがある。そこそこの実力ではあったが黒犬の敵ではなく、瀕死寸前まで倒した以後も何度か懲りずに挑んでくるような頭の悪い連中だ。犬同士、猫同士の喧嘩なら分かるが、犬数匹と猫一匹では勝ち目は無いだろう。リンチが始まるのも時間の問題だ。 だが、黒犬は微動だにしない。なぜならば自然界において、特に野良の生活は常に弱肉強食の世界である。手助けしていてはキリがないし、黒犬の場合、面倒くさいというのが勝っていた。 「どうしても入りてぇっつーなら、俺達の制裁を受けてからにしな!」 が、自分の傍で猫が半殺しにされては夢見も悪そうだ。 喧嘩というより一方的なリンチが始まりそうな犬の声に、屋根上の犬は漸く身体を起こして身震いをした。喧嘩なら自分が居ないところでやってくれと言うくらい、別に自然の摂理には反していないだろうと屋根から飛び降りる。 「オイ!さっきから煩ぇんだよ!人の昼寝の邪魔ー…を…」 飛び降りた黒犬を迎えたのは、リンチが始まって数秒も経っていないだろうに、逆リンチに遭った犬達の屍累々。どれもこれも前足や後ろ足、果ては尻尾までもが妙な方向を向いていたりしている。間接を外したのだろうか、暴れる時特有の鈍い音など一切聞こえなかった黒犬は目を丸くした。 「おや。それはすまないね。」 5〜6匹の倒れた雑種犬たちに囲まれて、背を向けていた猫は綺麗なテノールを響かせて振り向いた。手入れを怠らないのか野良のくせに美しい白い毛に、色素が薄い琥珀色の瞳。何だか柔らかいオーラが漂っている気がする。 「屋根の上に誰かが居るのは分かっていたのだが…昼寝の邪魔をするつもりはなかったんだ。」 すまないね、ともう一度謝った白い猫は再び黒犬に背を向けた。 空から降り注ぐ光が白猫の毛に反射して、キラキラしている。 「静かにしたから、遠慮なく昼寝してくれたまえ。」 どう見ても静かに"した"ではなくて"させた"だと思うその状況に唖然としながらも、白猫の右足付け根が血で滲んでいるのを見つけた黒犬は考え込んでしまう。薄く血の匂いはしていたものの、地に伏した犬達を見れば関節を外されているだけなのか血が出ている様子は見当たらなかった。 やはり強くとも、犬と猫では怪我無くしては勝てないものだろうか。 だが、黒犬としては白猫の実力が気になってしまう。昼寝の邪魔はされたものの、何だか猫が気になってしまった犬としては手当てもしてやりたい気持ちが膨らんだ。 「・・・」 喧嘩を仕掛ける訳じゃない。 唯少し実力をみるだけだと己に言い聞かせて、素早く白猫の横に回りこんで四肢を拘束する。 筈だった。 「君は、この犬達の仲間なのかい?」 ゆらりと標的が揺れたかと思うと、その姿は掻き消えていた。声がするのは、左の塀から。 見上げると、太陽を背に此方を見詰める琥珀の瞳。 「・・・ちげぇよ。一緒にすんな。」 喉の奥で低く唸り、嫌悪感を露にする黒犬は塀の傍へ歩み寄った。自分より素早く動き、少し距離と高さがあるこの塀に登った猫に益々興味が湧き始めていた。どうやら自分が認める強い部類に入るかもしれないと考えた黒犬は、自分も塀に上がろうとして後ろ足に力を入れたが、倒れていた犬達が起き上がる気配に後ろを振り向いた。 「ヒッ・・・!逃げろ、逆鬼だ!!」 「白い猫にやられたと思ったんだが、そうかお前が背後から俺達を!」 「卑怯な奴め!!」 フラフラな足を奮い立たせ、キャンキャンと鳴き喚く犬達に、逆鬼と呼ばれた黒犬は冷めた視線を送る。最早かける言葉は無いのだろう。 「グルルゥ・・・」 「逃げろ!!」 「今度こそ殺されるぞ!!」 ハッキリと分かりやすく威嚇というより蹴散らす意味で唸り睨みつけると、合計6匹居た犬達は蜘蛛の子を散らすかのごとくバラバラな方向へ逃げていった。・・・勿論尻尾は巻いたまま。 犬6匹で寄って集って猫一匹を攻めるとはどういう了見だ、と呆れてしまう。 「・・・訂正するよ。君はこの地域一帯のボスなのかい?」 いつの間にか近くに降り立った白猫が一連の様子を見てか、黒犬に声をかける。 だが黒犬は、犬達が逃げて行った方向を見たまま鼻息を一つ出したのだった。 「んな面倒なモンやってねぇよ。まぁ、喧嘩で負けたコトはねぇがな。」 ボスなんて柄じゃないと言ってやれば、隣まで足取り軽く歩いてきた猫はふぅんと相槌を打った。 そうだ、あの犬達の所為で忘れかけていたが隣に立つ猫は怪我をしていたんだったと、黒犬は慌てて猫へと向き直る。他にも怪我は無いかと匂いを探りながら、猫の周りをゆっくりとした足取りで回る。 「どうしたんだね?一体・・・」 フンフンと鼻を鳴らしながら体中を舐めるように見る黒犬に、やや引き気味の白猫だが萎縮している風ではない。確かにあれだけ強ければ、大きな犬の前でも堂々としていられるだろう。調べた結果、怪我をしているのは右の前足の外側だけという事が判明したらしい。黒犬は白猫のまん前に座り、神妙な面持ちで向き合った。 「さっきは飛び掛って悪かった。お前の実力が試してみたくなってな。」 馬鹿正直に正面から謝る黒犬に、白猫は思わず曖昧な返事を返してしまう。 「素直に試合の申し込みでもすればよかったじゃないか。」 「・・・だってお前、怪我してんだろ。さっきの奴らか?」 「まさか。此処に来る前、南の森を通ってね。熊を退治した時に引っ掛けたんだが。」 「そんなら別に問題は・・・。・・・熊ぁ!?」 「ちょっと煩かったから、眠ってもらっただけだよ。」 思わず大声を出してしまった黒犬だったが、この猫ならばアリなのかもしれないと思い直す。殺さない程度に眠らせる事も可能に思えてくるのが不思議だ。 「血の匂いは消したと思ったんだが。」 「フン。俺の鼻をなめるなよ。」 貸せ、消毒してやる。そう言えば白猫は少し躊躇った後、ゆっくりと右足を差し出した。 この強さならば警戒する事など何も無いだろうに、自分への信用が無いからだろうか。そんな事を思いながら黒犬は、出来るだけ優しくその前足を取った。ゆっくりと、そう、とてもゆっくりと顔を低くして、白猫の傷口に舌を這わせる。這わせた瞬間だけ小さくビクリと震えたが、平静を保つ猫は黒犬の様子をじっと見守っている。余談だが、黒犬はこの時ほど誰かを優しく扱ったことなど無かった。一匹狼な黒犬にとって誰かを手当てする機会などあまりなかったし、あったとしても適切だが適当な処置しかした事がない。 舐め終わって前足から離れる黒犬の顔を見詰めていた白猫は何かを考えているようだったが、黒犬が顔を上げると同時に先程までの表情を奥へと隠した。 「有難う。小さい傷だし、自分では舐めづらい位置だから放置しようと思っていたところなんだ。」 「別に大したコトしてねーよ。」 ぶっきらぼうにそっぽを向く黒犬に、右前足を確かめるように少し動かしながら笑う白猫。 「犬に手当てをしてもらう猫というのも珍しいものだね。」 「・・・まぁ、確かにな・・・」 人間達には同じように思われがちだが、犬の社会と猫の社会では構造が違ってくる。そのため、あまりお互い関わろうとしないし、歩み寄ろうとしない。別世界のような目で種族の壁を見るものが多く、あえてその壁も壊そうとしないのだ。お互い干渉するのは縄張り争いやエサの争奪くらいだろうか。 だが此処に、そんな事をあまり気にしない犬と猫が一匹ずつ。 「そうだ。君、この街には詳しいかい?」 「あ?」 「少し案内をして欲しいのだが。」 「案内って・・・何をだよ?」 白猫からの唐突な提案に黒犬は眉を寄せる。 「何って、何でも良いよ。」 つまり、猫が言いたい事はこういうことらしい。 今まで色々渡り歩いてきたが、どうせ流れるならこの街でも色々見て行きたい。けれど、街にはそれぞれ棲んでいる者にしか分からない危険などが、数多く存在する。それを回避する為の案内だという。 この際、お前なら危険などもろともしないだろうという言葉は飲み込んでおくことにする黒犬だった。 「君がいつも行ってる場所とか、面白いところ、危険なところ・・・色々あるだろう?」 考えてみれば、それは黒犬にとって面白い提案だった。最近は黒犬に喧嘩を挑んでくる者も少なく、大した事件などもありはしない退屈な日々。丁度何か欲しいと思っていたときに降って湧いた話だ、掴み取らない手はないだろう。 が、すんなり了承するのも何だか気が引ける。 「いいぜ。けど、タダ、とは言わねぇよな?」 世の中ギブアンドテイクだぜ、と言って口の端を上げれば相手は少し目を見開いて、何やら考え始めた。きっと自分が差し出せる対価を考えているのであろう。もしこれで"それなら案内は要らない"とか、深く悩み始めるようならば、自分が折れて"冗談だ"という言葉をかけてやろうと目論む黒犬だった。 しかし、何故か白猫は自分が満足する答えを言う気がしてならなかったのだ。 「では・・・きみがのぞむものを、ひとつ。」 さ、と二匹の間を温い風が通った。 一瞬黒犬は何を言われたか分からずに目を瞬かせたが、やがて口元が笑みの形作る。 「食料でも何でも良いよ。私に出来る事なら、何でもしよう。それこそ試合だって。実力は君が見ての通りだし、ね。」 試すつもりが逆に試されているのではないだろうかと思いながらも、黒犬は心地良く返事を返す。 「悪かぁねぇ。・・・が、すぐには思いつかねぇよ。」 食料も足りてるし酒もある、倒す相手は自分が倒しているし、欲しいものは適度に続く良い天気だが、そんなものを白猫に頼んでも仕方が無いだろう。試合をするというのも考えたが、何だた折角の白猫の提案をそれに使ってしまうのが勿体無い気がしたのだ。 キョロキョロと辺りを見回した後、耳を後ろにペタリと倒すと黒犬の考えが分かっているように白猫が付け足した。 「案内が終わるまでに教えてくれれば良い。・・・えっと、」 「逆鬼だ。」 「交渉成立。少しの間だが宜しく頼むよ、逆鬼。 私の名前は、秋雨という。」 こうして、犬と猫という珍しい組み合わせの二匹は、街の中心へと歩いていきました。 「秋雨…か。キレイな名前だな。っつーか、どっかで聞いた事あるような気がすんだが?」 「君、そういうコトは雌犬にでも言った方が良いと思うよ…。」 何だか、波乱万丈な予感を残して。 fin. ************* 犬猫物語。人間では使えない表現が使えて新鮮でした。 のんびりお付き合い頂ければと思います。 071128 水方 葎 |