秋雨の、元気がない。


・・・・・気がする。




















* 冗談じゃない *



























振る舞いは至って普通(彼らの弟子にしてみれば普通とは即ち異常なのだけれど)。
溜息が多い訳でもない。
食欲も通常通り。
だが、どこか元気が無い気がするのは逆鬼の気のせいだろうか。




「・・・秋雨。」
「?どうしたんだい、こんな時間に。」
珍しいね、と続けながら秋雨は自室へ入るように促した。
そう、今は夜の修行も終えて皆がそれぞれ自分の事をしている時間帯だ。弟子の修行をしていない時間は、各々好きな事をしている彼らだ。武器を磨いたり、本を読んだり、新薬の開発に精を出したり。例に漏れず秋雨も、弟子の修行のための器具を開発しているところらしい。逆鬼の部屋以上に殺風景な部屋の端に置かれた机上には、いくつもの設計図が書かれた紙が散らばっている。あとは、畳の上に詰まれた古めかしい本の数々。
それらを視界に入れながら、逆鬼は黙って部屋へと踏み込む。
その手に酒瓶が握られていない事から、飲みの誘いではないだろうと察した秋雨は内心首を傾げた。
「・・・別に、特に用事があった訳じゃねぇけど…」
「ふぅん?」
「あー、えーと、だな・・・」
明らかに何か言いたそうな逆鬼の様子に秋雨は苦笑する。彼は勢いで行動する事が多く、勢いが無くなった途端こうして行き詰ってしまうこともあるのだ。勿論達人故に敵対する相手にはそんな事態にならないが、仲間内では多々見られる現象だった。
「まぁ、落ち着きたまえ。」
「お、おう・・・。」
「何か飲むかい?」
「いや、いらねぇ。」
「ふむ・・・・じゃあ、」
「あのよ、」
取り合えず座って話をしようじゃないかと言いかけたが、逆鬼がそれを遮る。茶化した風でもなく、酔っ払っているわけでもない真剣な顔に、秋雨は少し嫌な予感がした。


「お前、最近元気ねぇんじゃねぇの?」


逆鬼は、秋雨の事となると鋭い。それはもう獣並みの感覚で。
秋雨は元気の無い自分に心当たりはあるが、そういった態度を出した覚えが無い。ようやっと今、溜息を一つ出した位だ。何だか夜の空気がいつもより冷えている気がして、思わず窓が開いているのでは、と視線を外にやってしまう。
その行動を逆鬼がどう思ったのか、秋雨が答えていない内に台詞を畳み掛けた。
「別にお前が元気ないのを口出しする権利なんてねぇし、俺に何が出来るとか思っちゃいねぇけどよ。それに、ほら、俺の気のせいかも、・・・いや、気のせいじゃねぇな・・・あー、とにかくだ、」
そこでドスドスと足音を立てて秋雨のまん前まで移動し、彼の肩をガシリと両手で掴む。
「何があった?」
秋雨の方が逆鬼よりも背が低いため、自然と逆鬼が合わせる形になる。額を合わせる様な間近、それに加えて目つき悪く睨まれる様に見られては、流石の秋雨も逆鬼の妙な気迫に後ずさりをしたくなる。





夢をみた。


親、親友、自分を信じてくれた人。


自分に深く関わった人達が傷付き死んでゆく夢を。


それは夢ではなく過去という現実なのだけれど、己の傷でもある。


今までに度々そういう夢をみる事はあったが、ここ最近は頻繁だ。


なんども、なんども。





毎日、繰り返し。







まいにち。










「言いたくなきゃ、言わねぇでも良い。」
黙り込む秋雨に、今度は逆鬼が溜息を吐いた。


「だが、言ったよな?甘えても大丈夫だと。此処にはお前を疎む奴なんて一人も居やしねぇって。」


敵わない、と思う。
自分の中に入ってこないふりをして、土足で入らないでくれ、と思う。
「何時から、気付いていたんだね?」
「二週間くらい前か?お前、そっからずっと寂しそうな目ぇしてんだよ。」
聞けば、それは修行をつけている時だったり、地蔵を作っている合間だったり、食事のときだったり。
そんなに自分は分かりやすかっただろうかと思い返してみるが、どれも記憶に無い秋雨は本当に逆鬼が厄介だと思う。
「目は口ほどにモノを言う、ってな。」
「・・・君がそんな難しい言葉を知っているとはね。」
「あぁ!?」
茶化すと面白いように乗る逆鬼に少し笑い、秋雨は真っ直ぐ逆鬼を見上げた。
「他の皆には、言ってないだろうね?」
「当たり前だろ。誰が言うかよ。」
キッパリと言い放つ逆鬼に、少しの安堵。自分の事で梁山泊の人間に迷惑をかけたくないと考える秋雨は、いつものらりくらりと自分の問題を掻き消してゆく。
「すまないね、君に感付かせてしまって。」
「・・・あ?」
「上手く隠していたつもりなんだ。」
「だから、それを止めろっつってんだよ!」
俺達はそんなに頼りないかと、掴んだ肩に力を入れる逆鬼。秋雨の肩は逆鬼やアパチャイ達とは違い、どちらかというと細い部類に入る。そんな肩を、逆鬼の握力で握られると痛むのは間違いない。
ともすると隣にも聞こえてしまいそうな怒鳴り声だったが、気にする余裕が無いのか逆鬼は声を小さくしようとはしなかった。
「隠して隠して、気付かれないようにして、満足かよ!?俺達に何かあれば一番に感付く癖によ!」
「・・・性分なんだ。仕方ないだろう?」
「お前だけ自分ひとりで抱え込もうってのか!?」
「そういう、つもりでは・・・。・・・痛いよ。」
いよいよ肩を握る手に強い力が込められ、秋雨はやんわりと逆鬼の手に己の手を重ねる。
「お前はそうやって、独りで片付けようとしちまうから!」
「大したコトじゃ、ないんだ。」
「それでもお前は寂しそうな表情してんじゃねぇか!」
「私だって子供ではないのだよ?」
「知ってる!けどよ、俺はお前の事が、気になんだよ…寂しそうな顔してりゃあ、助けてぇって思っちまう。」
逆鬼との言い争いは、いつも平行線になってしまう。
なので、折れるのは殆どと言っていいほど、秋雨の役割だ。
宥めるか。
突き放すか。


「全く、君には本当に敵わないね。
元気が無かったのは、開発中の器具が上手くいかないからなんだ。
買ったバネのサイズが合わなかったり、色々あってね。」


自分らしくない失態をいくつか犯してしまい、沈んでいただけだと笑う。
「だから、気にしないでくれ。…本当に。」
自分の事を思ってここまで詰め寄ってくれる相手を突き放す事など、容易ではない。そこまで人の心を失ってはいないはずだと、秋雨は笑みを苦笑に変えて俯いた。
先程まで煩かった逆鬼は、秋雨の言葉に黙りこくってしまっている。逆鬼が部屋へ来てから随分時間が経っているかのような錯覚に陥った秋雨は、ふと壁に備え付けられた簡素な時計へ視線を流した。


その瞬間、逆鬼自身の口で口を塞がれ一気に壁へと打ち付けられた。


「ーっ!」
咄嗟の事に抵抗しようにも、数センチと離れていない逆鬼の鋭い視線がそれを許しそうに無い。それでもやられたままなのは癪で、思わず逆鬼を押し返すように手の平を逆鬼の胸部へと押しやる。秋雨がその手に力を入れても離れる気配は無く、逆に力を込められた肩が痛む。それに、打ち付けられた背中もじんわりと痛みが伝わってきた。
「んぅ…!」
咎める様に逆鬼へ視線を流す秋雨であったが、ギラギラと滾らせた漆黒の目で返されてはどうしようもない。何をそんなに怒る事があるのかと問いたいほど、その目は怒りで満ちていた。
今まで口付けを交わした(一方的にされた不意打ちを甘んじて受けただけだが)事は、何回かある。しかし、今現在の行為は口付けというよりも、寧ろ支配に近い。空気を求めるように薄く開かれた秋雨の唇を舐め上げ、そのまま進入を果たそうとする逆鬼の舌。思わずゾクリと泡立った秋雨は、漸く自我を取り戻したように進入してきた舌を思いっきり
・・・噛んだ。
「ぃってぇ!」
だが、やはりそこは達人というか。噛まれる事を予測していたのか、すぐに引っ込められたそれは被害最小限に留まったらしい。血の気配は、無い。
「・・・。どういう、つもりだね?」
少しばかりの動揺と息切れをおさめ、濡れた口元を袖でを押さえながら逆鬼へ問う。
「お前がそう言うんなら、これ以上は追求しねぇ。」
逆鬼も同様に、互いの唾液で濡れる唇を腕でグイと拭って答える。
「だけどな。覚えてろよ。いつか絶対、お前に甘えさせてやる!」
「・・・・」
いや、答えになってないし。
つまり先程の行為は一種の宣戦布告だったのだろうと、秋雨なりに解釈をする。きっと逆鬼は自分の中で感情を整理しきれていないのだろう、だから勢いで行為に及んだのだと。
「もう一回言うけどな。俺はお前が気になって仕方がねぇ。だからそんな自己犠牲みたいなことされると、自分が情けねぇんだよ。そんなに頼りないか、ってな。」
それは自分の身勝手なエゴだと、逆鬼も分かっている。
しかし、秋雨相手にはそれくらい言ってやらないと通じないのだ。
此方が遠慮してしまえば、秋雨は何も変わらず、自分もずっと悶々としなければならないことなど目に見えている。そう思いながら、言いたい事を言った逆鬼はくるりと踵を返した。
「・・・全部を知りたいとか、そんな無茶は言わねぇけど。」


お前の負担を軽くしたい。






そのまま秋雨の言葉を聞かずに出て行った逆鬼。
いつの間にか張り詰めていた空気がすぅと溶けていく気がした。
「まったく、ほんとうに・・・」
再び溜息を吐いて、ゆるりと目を閉じる。
壁に凭れ静かに息をすると、今朝も繰り返し見た夢が脳裏を過ぎる。



    大切な者が離れ死んでゆく。
              何も出来ない、自分。




「君に背負ってもらえるほど、綺麗なモノではないからね。」
自嘲し唇の端を上げる秋雨。同時に、先程逆鬼から受けた荒々しい口付けを思い出してしまう。
本当に彼は優しい人間だ、と思う。
その感情は他に相応しい人間へ向けるべきだとも。
「・・・・・・まいったね。」
長いこと独りで生きてきた秋雨は、他人との距離を取るのがとても上手い。いくら他人が近付いてこようとも、適度な距離を保ってきた自覚はある。踏み込ませないという自信、一線を引いていることに気付かせないもあった。
だが此処、梁山泊の人間は流石とも言うべきか、調子が狂ってしまう事が多々ある。線を引いている秋雨にいとも簡単に気付き、関心が無い振りをしながら内心とても心配してくれる。
そしてその線を触れる事を躊躇う達人たちを他所に、線の破壊を試みる馬鹿が一人。




このままでは、彼に甘えてしまうのは時間の問題かもしれない。

















・・・まったく、冗談じゃない。









けれど何故か、今夜は夢を見ずに眠れる気がした。







fin.






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心配性逆鬼と精神的に弱ってる秋雨ばっか書いてる気がする。
でも達人だから精神的に弱らせるのも一苦労。肉体的には言わずもがなすぎる。

文章リハビリ中!




071207 水方 葎