* 道場破りの末路 *












夏の暑さが身を潜め、秋の気配が漂うある日の午後の事。
梁山泊では日常になりつつある光景が広がっていた。




中庭でゼェハァと息をしながら体力作りの為の修行を続ける兼一。ツボを手に掴み頭に乗せ、腰を低くして杭をすり抜ける、恒例の筋トレの真っ最中である。
「も、これ、ちょ・・・!」
日に日に厳しくなる筋トレに弱音を吐くのもいつもの事であり、甘やかす師匠達ではないこと位、身に染みて分かっている兼一の弱音は唯の愚痴のようになっていた。
「ん?終わったのかね?」
「終わりませぇん〜!って、終わるはず、ないじゃない、ですか!これ、昨日より重くなってません!?」
「うん、流石に学習してきたね。今日は半分砂に変えてみたんだ。」
「何てことしてくれてんですかー!!」
弟子の愚痴とも疑問ともつかない問いに、中庭が視界に入る範囲の縁側で昼過ぎの読書を楽しむ秋雨は笑って答える。
時間内に規定の回数をこなさなければ、残った回数にプラスしてタイヤ引き町内三週が待っている兼一は意地でも終わらせようと筋トレを再開させる。・・・が、程なくして手足に力が入らなくなり速度が落ちると同時に愚痴が零れる。
「うぅ、こんなの千回なんて無理無理・・・。」
「じゃあ一万回にしようか?」
「結構です!!」
口の中で呟いた言葉なだけにどんな聴力をしているんだと疑いたくなるが、最早この人達に常識は通用しないと分かっている兼一は溜息をついて恨めしそうに秋雨を見やる。そんな兼一の気持ちを知ってか知らずか、読んでいた本から目線を外して掛け時計に目を遣った秋雨は、無情とも思える言葉を口にした。
「さて兼一君、規定時間を過ぎてしまったね。タイヤ引き町内三週、いってらっしゃい。帰ってきたら残りの527回を30分以内にね。」
時間オーバーしたらまたタイヤ引きだよ、と語尾にハートマークでも付けそうな程上機嫌な秋雨に顔を青褪めた兼一だが、ふと気付いたことがありタイヤ引きの準備をしながら声を掛けた。
「あれ?いってらっしゃい、って・・・師匠は乗らないんですか?」
それもそのはず、いつもならば引くタイヤの上に秋雨が乗り、少しでもスピードが落ちれば容赦なく鞭が飛ばすのだ。行かないならばそれに越した事は無く、鞭で叩かれなくて済む話ではあるが。
「部屋でやらなきゃいけない用事があってね、どうしても君が筋トレをしている間に終わらせてしまいたいんだ。私の分の重りは投げられ地蔵に任せよう。スピードが落ちると困るから・・・そうだな、一周に10分超えたらプラスで一周していこうじゃないか。」
そう言いながら、今朝、兼一がようやく投げられる重さになった投げられ地蔵をタイヤの上に軽々と載せる秋雨。やらなきゃいけない用事ってなんだろうとか、いつも自分の修行中はつきっきりなのに、など、少し面白くない感情が湧き上がるも、セットされた地蔵に慌てふためいた。
「で、でも投げられ地蔵はやめません?走るなら落ちますよコレ・・・。」
「落ちるなら固定すれば良い。」
「人目につきますし・・・」
「今頃そんな事を言うのかね?」
「ってコレ岬越寺師匠の倍以上重いじゃないですかぁあ〜!!」
「石だからね。」


「では、いってらっしゃい。」
「鬼ぃ〜!!」


常人離れした人間を相手に会話すると、何を言っても通じない。
兼一が此処、梁山泊で最初に学んだ事だった。







「っと、あれ?逆鬼師匠?」
町の人間の好奇な目に晒されながらタイヤと地蔵を引きながら走っていると、見覚えがある背中が見えてきた。超人はやはり何処に居ても超人なのか、人が少なくは無いその通りで目立ちまくる師匠に声を掛ける。
「逆鬼師匠ー!」
「お前か・・・って、なんだぁ、今日は地蔵乗せてんのか。」
「はい、岬越寺師匠はやる事があるそうで!師匠は何処へ?」
「パチンコだ。・・・そうそう、今日剣星の奴ぁ中華街に用事があるとかで、持ち時間交代したからよ。4時からは俺の修行な。」
「分かりました!じゃあまた夕方からお願いします!」
「おー。」
そうして逆鬼を後ろから呼んで振り向かせ、追い抜き去るまでに一連の会話を済ませた兼一の顔は、まだ一日の半分も終わっていないのに疲れきっていた。立ち止まって悠長に会話していては10分以内に一周など出来るはずがないのだが、走りながら叫ぶと余計体力を消耗する事を失念していたのである。
「(・・・ありゃまだ元気だな。うし、今日の修行は一段階上げてみっか。)」
己の所業によりまた一つ、修行が厳しくなっていくのを気付く筈も無い兼一であった。



その頃、梁山泊では。
「この前壊されたマッサージチェアの修復と、新しい器具・・・あとは組み立てるだけだからねぇ。」
そう、何を隠そう秋雨はより効率の良い修行を弟子に課すための器具を、ここ一週間ほど徹夜に近い状態で修復・製作しているのであった。開かずの間の奥に置いてあるバラバラの骨組みや部品を取り出し、場所を取るので縁側で作業をしようと持ち運ぶ。
「彼が帰ってくるまでに組み立てれば、今日の修行に間に合いそうだ。」
嬉々として組み立て作業に入る秋雨は、秋特有の柔らかい日差しと澄んだ空気の中で黙々と(兼一曰く)拷問器具を作り上げていくのであった。
「ふふ、完全に修復して兼一君を喜ばせてあげようじゃないか。」
新しい器具も開発できたしね、と楽しそうな秋雨であった。



「け、けっきょ、く、6週も走っちゃったじゃないか・・・。」
腰から下げたストップウォッチを睨み付け、覚束ない足取りで梁山泊の門を開く兼一。休む間もなく走り続けた所為で早鐘を打っている心臓を落ち着けようと、深呼吸をしたり首から下げたタオルで汗を拭ったりして調子を取り戻す。
「岬越寺師匠ーただいま戻りましたー!」
自室かな、道場かな、それよりも自分が町内を回っていた間に何をしていたのかな、と考えながら師を探す。が、すぐに目的の人物を発見する事が出来た。
「摺り足筋トレ、あと427回でしたっけー?・・・って・・・」
兼一が思わず叫びそうになったのも無理はない。
「(ね、寝てる・・・!!!?)」
今まで衣食住を共にして約2ヶ月程、兼一は岬越寺の寝ている姿など見たことが無い。否、岬越寺どころか逆鬼や剣星など、他の師匠たちの寝顔なども然り。兎に角隙が無いのだ。
「(うっそぉ〜〜ん!!!)」
縁側で、拷問器具・・・もとい筋力増加器具を傍らに、身体を軽く丸めた胎児型で静かな寝息を立てている人物は岬越寺、そのもの。緩んだ手元にはドライバー、周りには散乱した部品やボルト、ネジなどが散らかっており、作業していたと言わんばかりの散らかりようである。癖のある黒髪が少し顔にかかっており、熟睡している事が伺える。
「お、起こすべき・・・かな・・・」
ここで起こさなければ、少しの間休憩が出来るかもしれない。だが、起こさなければ・・・
「(起きた後が地獄絵図だぁ〜!!!)」
何故起こさなかったのか、とか、時間が勿体無いだろうとか修行という名の半殺しの目に合わされるに違いない。その様子が目に浮かぶ兼一は、恐る恐る秋雨に手を伸ばそうとした。
が、思わず手が止まる。
「(寝顔・・・)」
同じ日本人なのに薄い色素をした瞳。その琥珀の目は閉じられているものの、澄んで美しいことを兼一は知っている。・・・同時に、その美しさの奥に恐ろしい程の強さがある事も。
「(整ってる顔、してるよなぁ・・・)」
清楚という言葉は女の人の為の言葉だと思っていたけれど、男に清楚という言葉を使うならばこの人に使いたい。そう思って兼一は息を殺してまじまじと見詰める。が、やはり起こした方が良いのだろうかと思い直して、伸ばしかけた手を再び動かそうとしたその時。


「たのもーっ!!」


町内走り込みから帰ってきたばかりなので開けっ放しにしていた玄関から、野太い声が兼一の耳に届いた。


それは確かに、兼一が記憶する"嫌な部類"の声であった。



「此処は世界中の豪傑が集まる道場と聞く!!最強を誇る我らが道場を差し置いて、そのような肩書き断じて許さぬ!!」
よって、看板を頂きたく参上した!!と、数十の師範やら門下生やらを引き連れてきた体格の良い男が叫ぶ。
何故か岬越寺を起こしてはならないと思ってしまった兼一は、慌てて玄関へと走った。
「あああ、あの!」
「何だ小僧!お前は門下生か?掃除番か?」
「い、一番弟子だ!」
相手は一応柔道着を着てはいるものの、大勢に囲まれてジロジロと見られてはチンピラと対峙して居るのと変わりない。キッと睨むように師範代らしい代表の男を見やると、非常に体格の良いその男は身体を揺らすように笑い始めた。
「お前のようなモヤシ小僧が一番弟子だと!?こりゃ師匠も大したことないだろうなぁ!!」
それを機に周りの人間も釣られて笑い始める。だが、その台詞は兼一にとってはタブーであった。まるで大合唱のように響き渡る笑い声に兼一は身体の底から湧き上がる怒りに身を任そうとした。
「師匠の悪口を言う奴は、許さないぞ…!!」
「どう許さないのか興味があるところだがな、今日は小僧の相手をしに来たんじゃねぇんだよ。」
怒気を含ませて素早く構えを取る兼一だったが、男は口に笑いを含ませたまま手で制した。
「我らは道場で、最強の柔道を育て上げている!…此処に、岬越寺秋雨とかいう奴が居るだろ?茶道やら華道やら芸術関係、他にも何でもやる奴がよ。」
男の顔がグッと兼一に近寄り、声がワントーン落ちてドスが聞いた声に変わる。
「要は、気に喰わねぇ訳よ。」
殺人でも犯しそうなギラギラとした目に兼一は一歩あとずさる。
と同時に、起きてこないということはまだ縁側で気持ちよさそうに惰眠を貪っているであろう秋雨の姿が思い起こされた。今からこの人たちを道場に案内し、美羽に教わった手順で挑戦料を徴収して秋雨を起こしに行くのがベストだろう。しかし兼一の中で、秋雨の穏やかな寝顔が離れないのだ。
「(それに…)」
それに、岬越寺を馬鹿にした人間のために、かの人を起こすのは勿体無さ過ぎる。(己の拷問器具とは云え)きっと毎日徹夜に近い状態で作業していただろう事は兼一でも安易に想像出来るのだ。
「(起こしたくない、起こしたくない、でもこの人数じゃ僕には無理だ!!)」
相手の実力が分からない上、人数も多い。一人で挑むにはあまりにも無謀であった。
「(長老はいつもの旅に出ちゃってる。アパチャイさんとしぐれさんは、ほのかと遊びに行ってる。馬師父は中華街。美羽さんは買い物。逆鬼師匠もさっきパチンコ行ったばっかりだぁ〜!)」
「おい、聞いてるのか!!?」
悶々と一人悩んでいた兼一に痺れを切らした男が掴みかかるが、我に返った兼一はすかさず距離を取った。
「え、え〜っと一人一万円の挑戦料なんですけど!!」
とりあえずお金はきちんと徴収して下さいな、という美羽の言葉だけがとっさに脳裏をよぎった為に口をついて出た言葉は場の空気を凍らせて相手を怒らせる台詞に思えた。
が、
「ふん。ガメツイ噂は聞いてるぜ。ま、すぐに勝って看板と一緒に持ち帰らせてもらうがな!」
他に、梁山泊の面々に徹底的に叩き潰された道場から料金徴収の話は耳に入れていたらしい。男が合図すると後ろに控えていた、師範代らしき人間よりも一回り小さい体格の男が兼一に封筒を投げて寄越した。それは兼一が見たことも無い分厚さをもっている茶封筒で、思わず落としそうになりながらも受け取った兼一は怖いものを見るように恐る恐る中を覗き込んだ。
・・・諭吉様が、ご立派に群を成している。
「うぇえ!?」
見たことも触った事もないその金額分の紙幣に兼一の声が裏返った。
「コッチの人数56人分の、56万だ!56万で岬越寺の首が取れるんだったら安いもんだろ!」
人数分あるから勝利後はリンチさせてもらうぜぇ、と間接を鳴らす男達に兼一は口元を引き攣らせた。
「(師匠の首なんて、その一千倍でも安すぎるくらいだよ…。)」
リンチ、ましてや首が取られるなんて想像も出来ない兼一は56万が入った、中身は全て紙幣なのに重さを感じる茶封筒を握り締めた。


「で?奴は何処だ!!」
「いやあのちょっと出掛けていて!」
再度急に迫られて兼一は思わず出任せを口走ってしまった。料金を徴収しておいて"出掛けています"は無いだろうと自分でも言ってしまってから思ったが、時すでに遅し。
挑戦者の師範代は握りこぶしを怒りでわなわなと震わせた。
「出掛けてる、だとおお・・!?小僧、いい加減にしろ!お前に付き合ってる暇は無いんだよ!!」
我らが来るという情報が入って弟子を残して逃げ出したに違いない、と酷く勝手な解釈を始めた男達に憤りを感じたものの、他の道場が悉く返り討ちにあっているのでそういう思い込みをしたいのでは…と思い始める兼一。自分の道場に帰って"岬越寺秋雨は弟子を残して逃げ出した"と言いふらせば汚い奴らはすぐに信じ込んでしまうだろう。そんなのは絶対に許さない。
「ふん、何が最強だ!逃げ出すしか能が無いのにな!」
ガハハと笑いが広がるのを聞きながら兼一は唇を噛み締めた。
このまま好き勝手言わせるのは我慢ならないと口を開いたその時、梁山泊内に岬越寺が居ないと思い込んで気を大きくした師範代の男が最も恐れていた言葉を口にした。
「探せばこの敷地の中に居るんじゃないのか!?隠れて出てこないだけかもしれぬなぁ!!」
「え、ちょっ…!」
探せ、という師範代の男の命令と共に50人以上もの男達がニヤニヤと笑みを浮かべながら散り散りになってゆく。兼一は青い顔をしてそれを止めようとするが、無論相手になどされる筈がない。
秋雨は縁側に居る。それも、この青空の下気持ちよさそうに寝入っている筈。
見つかったら男達の怒りを買うだけでなく、一番最悪な起こし方になってしまうために勿論秋雨の機嫌も最悪にしてしまう事だろう。起こしたくない一心で取った行動が一番最悪な結果、つまりいつもより機嫌の悪い秋雨によるいつもより数倍酷い修行という悪事を生み出そうとしている。
「(それだけは駄目だぁああ〜!!)」
やめて下さい、不法侵入で訴えますよと言っても誰一人、兼一の言葉を聞こうとしない。そうして兼一が顔を完全に青ざめさせた頃、やはり母屋のほうで大きな声がした。
「見つけたぞ!岬越寺だ!!」
「し、師匠に手を出すなぁあ!!」
台詞として何か間違っていると思わなくもないが、そんな事を言っている場合ではない。やはり縁側でゆるく丸まって眠ったままの秋雨を男達が取り囲んでいる。
走ってその間に割り込んだ兼一は両手を広げて秋雨を背後に隠した。
「やめろ!」
「あぁ?何だコイツ、寝てやがるのか!?」
「よくこんな騒ぎの中で寝てられるもんだぜ!」
確かにそうだ、と兼一も思う。
梁山泊の中で誰よりも気配に鋭くて、それこそ秋雨の寝顔どころか眠そうな表情すら見たことがなかった。兼一の中で、寝顔を見た時からあった違和感が育っていく。徹夜作業のためだろうかと考えてみるものの憶測の域を出る事が出来ず、もしかしたら体調が悪いのかもしれないという考えにまで至っている。何せ、普段から全く隙の無い人だ。そんな人が人前で熟睡するという事が有り得るものだろうか?
「(や、やっぱり何か悪い病気が…!!?)」
「ん…」
当の本人は小さく息を漏らして少し身体を捩ったが、細い身体はそれきり動かない。何だか情事を思わせるようなその小さな吐息に似た声に、そんな場合ではないのに妙にドキドキとしてしまう。道場破りの面々も同じ事を思ったのかは分からないが、一瞬だけその場が静まり返る。が、またすぐに因縁をつけるような言葉が飛ばされた。
帰ってきたときに起こせば良かった、具合が悪かったら、病気が進行していたらどうしよう、などと既に兼一の頭の中では岬越寺病気説がほぼ確定してしまっている。冷や汗を垂らし、とりあえずこの状況を打破しなければならないと思い直した。
気付けば目の前に、先程の師範代がやって来ている。
「どけ、小僧!!我らはそいつに用がある!殴り殺してくれるわ!!」
「嫌だ!!眠っている相手に暴力をはたらくなんて!そんな卑怯な手段で師匠に手を出す奴は僕が許さないぞ!!」


「同感だ、兼一。」


何をコイツ、と殴られそうになったところで、機嫌の悪そうな低いドスの効いた声がその場に響き渡った。声の主は先程すれ違ったばかりの逆鬼その人であることに間違いないだろう。
「さっ、逆鬼師匠!?パチンコ行ったんじゃ…」
「兼一、金は?」
「あ、此処に全員分…」
逆鬼は十戒の海のように割れてできた道を通り、兼一の元まで歩いてきた。
ゆっくりと、秋雨を見る目は先程の声とは正反対に、どこか優しい。
「…金は、あるんだな。」
確認するように兼一の手元を見た逆鬼は、茶封筒が握られているのを見てから兼一と同じように秋雨を背に道場破りへと向き直る。
そして、兼一は目を開けていることが出来なくなった。





屍累々。
ほぼ一箇所に折り重なるようにして積み上げられた死体、もとい気絶している道場破りの面々は良くて骨折悪くて半殺しだろう。物理的に地獄に落とされた彼らに兼一は心の中で合掌する。
「ったく、今日の奴らも張り合いねぇなぁ…。」
舌打ち一つして、暴れ足りないと言わんばかりに逆鬼は肩を回す。色々と恐ろしすぎて目を瞑っていた兼一は、50人以上相手にして疲れを見せない逆鬼に(見てはいなかったが)今日はいつもより容赦無かった気がした。屍の山と逆鬼を交互に見ながら首を捻っていると、逆鬼がおもむろに口を開いた。
「おい、秋雨。」
「・・・全く、分かっていてやるんだから性質が悪いね、君は。」
「そりゃコッチの台詞だぜ。ったくよぉ…。」
逆鬼に声をかけられ、それまで横になっていた秋雨がようやっと起き出した。眠りの後の表情を微塵も見せず、しっかりとした足取りで庭へ降り立つ。
「え、え!?岬越寺師匠、病気は!?不治の病は!?」
「…兼一君の考えはある程度予想していたが、そこまで進んでいるとはね。」
慌てて近付いてくる兼一に、呆れの表情を浮かべる秋雨。
「だって全然起きなくて…!」
「実は丁度良かったから、兼一君に"倒された状態からの反撃"の方法を見せようと思ったのだが…」
逆鬼に横取りされてしまったようだ、と続ければ話の中の人物はケッと態度悪く、いつの間にか持ってきた酒を煽った。
凛とした声でそう告げられると、兼一の中で何かが弾けるように理解された。つまり全て秋雨自身が仕組んだ事で、逆鬼が居なければ秋雨は兼一に反撃方法の一つを見せる事が出来た訳である。ついでに…
「今回はたまたまあの人達が来ましたけど、もし来てなかったら…って、あぁあ!」
「うん。勿論最初に反撃食らう人物は兼一君の予定だったのだが、ね。」
思い返せば、最初に起こそうとしたのは自分なのである。もしもあのまま手を止めずに揺り動かそうものならば、技の餌食になっていたことだろう。ある意味道場破りに感謝しなけばならないかもしれない。
「騙されたあー!もしかしたら悪い病気で起きないのかも、とか思ったのにぃ!!」
「まぁ、天気が良くて少し転寝していたのは事実だよ。」
「うぅ・・・もう、いいですよ・・・。」
お金は入った訳ですし、と傷心気味の兼一は手にしている茶封筒を揺らした。
騙された、あの寝顔は何だったんだ、と心の中で泣き寝入りモードに入っていた兼一だったが、ふと気付いて顔を上げる。
「そいういえば、逆鬼師匠…パチンコに行ったんじゃ?」
「あぁ?良い台が無かったんだよ!帰ってきて悪ぃか!」
「いいいいえ!そういう訳じゃ!!」
ぶんぶんと手と首を振り、高速で否定する。それにしては時間が早いんじゃないかとは、口が裂けても言えない。そういえばさっきの道場破りの人達を前にした時も、何か機嫌が悪そうだったなと思ったところで逆鬼から声がかかった。
「おい。玄関の方で美羽の気配がするぜ。金だけ先に渡して来いよ。」
「あ、はい!」
元気良く返事して美羽の名を呼びながら駆けていく兼一に秋雨は溜息を漏らした。
逆鬼は兼一の読み通り、不機嫌なままである。不機嫌になりたいのはこっちなのだが、と思いながらも秋雨は口を開いた。
「逆鬼。」
「・・・邪魔して悪かったな。けどよ、あんま人前で寝顔とか見せんなよな。」
「寝たフリでも?」
「寝たフリでも。」
「どうしてだい?」
聞かれれば、グッと返答に詰まってしまう。自身を落ち着けるために酒を傾け、喉を熱くする。
チラリと秋雨を盗み見すれば、彼はいつものようなからかいを含んだ微笑を浮かべておらず、真剣な面持ちで真っ直ぐ逆鬼を見上げていた。
「・・・・・俺でさえ、あんまり見れるもんじゃねぇんだ。」
拗ねる様に言われた答えに、秋雨は少々困惑する。
「そう・・・かな?」
「そうだ。」
言ってしまえば開き直ったのか、振り返った逆鬼は強い口調で秋雨に言い寄った。
「大体なぁ、他にもそういう機会くらいいくらでもあるだろうが。あんな大人数に無防備な姿で囲まれやがってよ。」
無防備だが無防備でない事など、承知の上で話しているだろう。しかし、玄関に入った途端騒がしい敷地内と、眠ったフリをしている秋雨、囲うような男達を見た瞬間に嫌悪感が広がったのだ。
「そんなに寝たいんなら、俺の目の前だけにしろ!」
これならば嫌悪感が出ることなどないだろうと口にした言葉は、唯の独占欲に過ぎなかった。言い放った本人は気付いているのかいないのか、仁王立ちで誇らしげに酒を煽っている。
「(酔っている訳じゃあないだろうね・・・)」
言われて、表情には出さないが呆然と逆鬼を見上げる秋雨は、ついそんな事を思ってしまう。
「えーと、私は別に寝たフリをしたい訳じゃなくてだね。」
「分かってる。」
「誰かの前で寝たい訳でもなく、」
「それも、分かってる。」
「別に、一人で寝れるんだが。」
「だから、たまには俺の前で寝ろっつってんだよ。」
・・・困ったなぁ。
どうやら相手は(どういう訳かあまり理解出来ないのだが)自分の寝顔が見たいらしい。何だか酔っ払いを相手にしているような会話のキャッチボールに疲れた秋雨は「・・・分かったよ」と軽い気持ちで了承して道場破りたちに目をやった。そろそろ片付けないと、時間が経つと手当てが面倒になってくる。
「じゃあ、今日は逆鬼の部屋で眠らせてもらうとしよう。」
寝る前に少しずつ進めていた新しい修行器具を組み立てるの、勿論手伝ってくれるね?
意地悪気に逆鬼を仰ぎ見て笑う秋雨に、逆鬼は寝顔という報酬があるなら文句は言えねぇなと腹を括ったのであった。それに加えて、これでもう今日みたいな事はないだろうと思って安堵する。
・・・何故安堵しているのかも、多分きっと気付かないまま。


そうして秋雨は新しい労働力を得たのであった。
「(逆鬼の前だと疲れを残さない程度に眠る事は出来る訳だし…まぁ、良いか。)」


少し離れた所で、美羽に諭吉入り茶封筒を渡し終えた兼一が(多分きっと機嫌の悪い逆鬼を警戒して離れたままなのだろう)、先程出来なかった分の筋トレを再開させるとの声を張り上げたのであった。
「兼一君、数を減らそうとしても無駄だよ。427回じゃなくて527回を、30分以内にね。」
「帰ってきて話しかけた言葉もしっかり聞こえてたんじゃないですか!鬼ぃ〜!!」




そうしてまた、逆鬼と秋雨の間に取り決めがされながらも、絶叫が響き渡る平和な日常は過ぎていくのであった。











fin.






*************
ウチの逆鬼さんは自覚無しで秋雨さん好きっぽい。
秋雨さんも満更じゃないといいね!



071115 水方 葎