|
* 幸せを願う * 「何か飲み物を淹れてくる。」 「あ、おれが行きますよ!」 「何が食べたい?」 「先越されたぅぁああああーー!!」 「ジュース〜!」 「食べられそうか?」 「何か食べてくれて良かったですよ。」 「同感!」 「何年お前の隣に居ると思ってる。」 ―ああ、またこいつらの夢か。 その夢を見た日は、どうしても顔が見たくなる。 普段なら寝起きは最悪でいつまでもベッドに入っていたい気分なのに、さっさと起き出して着替えを始める。働かない思考はいつもと同じだというのに、意識とは別のところで大学の授業を揉み消している自分が居た。 「(一限と二限は大した授業じゃねぇし…四限は点数稼いである…)」 自分で言うのも何だが頭は優秀な方に出来ているので、欠席しても困らない授業ばかりだ。 ぼうっとした頭で確認を終え、机の上に置きっぱなしの財布を一瞥して家を出た。 携帯も財布も、要らない。 この身一つで良い。 丁度通勤通学の時間だからかサラリーマンや学生が慌ただしく歩いてゆくのを尻目に、歩き慣れた大通りをぶらぶらと進む。鞄一つ持たないおれをチラチラと見る目は多少ウザかったが、一々蹴り飛ばす訳にもいかない。売られた喧嘩は買うが、安っぽい喧嘩は売らねぇ主義だ。 二つ離れた駅の方へ行くのに、通勤ラッシュの電車に乗る気分にはなれなくて歩いて行く事にする。 澄んだ朝の冬空はどこまでも青く、汚い。 「・・・ケホッ、」 すぐ脇を通り過ぎたトラックが煙をまき散らす。 空気の悪さに思わず咳き込んだが、このところどうも喉の調子が悪く、咳は止まらなかった。身体が弱い訳じゃないが、どうも昔から気管支が拗れやすい。最早止まらない咳も慣れたもので、肺が痛くなりながらそのまま歩いた。 「ケホッ、ケホッ・・、」 海が見てぇな、と思った。 こんな都会の空じゃなく、もっともっと広く青い海に、綺麗な空。 境界線が分からない程の青は、どこまでも自由だった。 「・・・・・、ケホ、」 咳をし、頭を振る。 妄想なんてしていても仕方がない。今はただ顔を見に行きたい。 だいぶ落ち着いてきた喉を撫で摩り、一呼吸おいてから目的地の方へ顔を向けた。 倉庫街の一角、まるで映画のワンシーンに使われそうな古びた倉庫に"アイツ"は居る。 錆びたドラム缶や鉄材が無造作に捨てられ、傾いた倉庫が並ぶこの場所は出会いの場所に似ていると思う。まさか本人も好きでこういう所に居る訳じゃないとは思うものの、そのデジャヴにも似た景色は最初来た時に驚いた。 ザリ、ザリ、とわざと足音を立てて一番奥の倉庫へ近付く。 人の気配はするから、居るのは確かだろう。 その事実に、ほんの少しだけ安心する自分が居た。 半壊して閉まらない門の隙間からひょい、と中を覗くと、日が出ているにも関わらず薄暗い。これはいつもの事なので気にしないし、おれ自身この薄暗さは嫌いじゃない。至る所にダンボールやら廃材やらが積み上げられていて埃っぽく、一見誰も居なさそうである。 けれど奥の方へ目を向けると、そこには確かに5〜6人の人影があった。 「よぅ。」 少し大きめに声をかけると、倉庫中に全体におれの声が響く。 警戒して此方を見ている数人の中、一つの影がゆらりと立ち上がった。 「わざとらしい足音を立てて来んなよ。」 キャラメル色の跳ねた髪、 尖ったサングラス、 見慣れた帽子。 暗い中に居ても、"アイツ"の色は鮮明に思い描く事が出来る。 怒る顔も、呆れる顔も、泣き顔も、無邪気に笑う顔も。 全部、知ってる。 「サツじゃねぇって知らせてやってんだ。親切だろ?」 「んだと!!?」 おれの声に、"アイツ"の隣に居るガタイの良い奴が吠える。それを片手で制した"アイツ"は、ガリガリと後ろ頭を掻きながら廃材の上を軽く飛び降りた。こいつらがおれに敵わない事くらい、もう過去何十回という挑戦で分かり切っている。 勿論それは"アイツ"も身に染みているだろう、迂闊に手を出してくる気配は無い。 「朝っぱらから何の用だよ。金でも置いてってくれんの?」 「そう見えるか?」 「・・・金どころか携帯すら持ってなさそ。」 「アタリ。」 12月に入ったというのにパーカー一枚のおれを見て言う"ソイツ"に、何も入って無いポケットを叩いてみせる。心底煩わしそうな舌打ちが倉庫に響いた。 おれはのんびり受け答えしてるものの、向こう側には一触即発の緊張が漂っているのだろう。後に控えた数人は微動だにせずおれたちの様子を窺っている。 「で?その身一つで何しに来たんだよ。」 身体売って稼いでくれんの?と続ける"アイツ"。 ああ、確かにコイツなら風俗系でも臓器販売でも、いいルートを知ってそうだと思った。 「別に?お前の顔を見に来ただけ。」 ニヤニヤとおれが笑って言うと、"ソイツ"は近くに転がっていた鉄パイプをおもむろに手に取って歩み寄る。成程、今日の獲物はそれか。 咄嗟に頭の中でリーチを計算する。 「今なら見逃してやるよ、出てけ。」 「いいじゃねぇか、たまには話でもしようぜ。」 おれにとって脅しにならない言葉に、尚も笑ってやる。 「お前とする話なんか無い。」 「おれは積もり積もってんだけどな。」 学校に行ってないだとか、親が居ないという話は過去やり合ってる最中に聞いたことがある。誰に習ったか自己流かは知らないが喧嘩の実力はそこそこで、不良グループのリーダー。殺人以外の悪事は経験済みだろうと思う。いや、もしかしたら人だって殺したかもしれない。 けれど話をしたい内容はそんな事じゃない。 「なんだよ、サツの情報でもあんの?」 「いや。」 その言葉におれは首を振る。気まぐれに逃亡の手助けをしたり、警察が捜査する場所を教えてやっているからか、情報には比較的食い付きが良い。どうやら警察の情報、という部分だけはおれの事を信用しているようだ。今まで疑いながらも従っているのが良い証拠だ。 尤も、何故そんな情報を流すのかは理解出来てねぇみたいだけど。 何はともあれ"ソイツ"の愚直すぎる言葉に、もっと他に聞き方があるんじゃないかと思うけれど、まあ馬鹿だから仕方がないだろう。 思った事が口に出る奴なんだ、こいつは。 「・・・・もっと重要で他愛のない話、しようぜ。」 唇の端を上げて言うと、"アイツ"の何かがブチリと切れた音がした。 「ざっけんなあああ!!!」 縄張りに入られたということもあってか、血気盛んな"アイツ"は無駄のない動きでおれの方へ突っ込んで来た。まったく、朝っぱらから元気な奴だ。 それを合図に控えていた奴らも我先にと動き出し、多対一の乱闘となったのだった。 狭い部屋はまるで牢獄だ。 一面白い壁で囲まれて、背後の天井近くに開かない小さな窓があるだけだ。頑丈そうなドアが閉まっていれば、簡単な密閉空間の出来上がりだろう。当たり前だが今は開けっぱなしにされている。別に犯罪者として此処に居る訳じゃなく、重要参考人として連れてこられただけだから。 だから別に、逃げようと思えばいつでも逃げられる。 けど、まあ、待ってろって言われたし、今日の目的の一つは此処にあから大人しく待ってる。 「・・・・・・始めるぞ。」 入室してドアを閉める音と同時に降ってきた若い男の声。 安いパイプ椅子へ座っていたおれは顔を上げた。見知った顔に笑みが漏れる。 「全く、大学生が高校生相手に乱闘騒ぎとは…。何回目だ?トラファルガー。」 向かいの椅子に腰を降ろした男は、呆れたように溜息を吐く。バインダーを机に置き、何やら書き込み始めるのを、机に肘をついて盗み見た。 硬い表情と、成人男性の節くれだった大きめの手。 茶が混じっていない髪と瞳は、まるで黒曜石の色だ。 そして何より、意志の強そうな鋭い目。 その真面目な容姿からカタブツと思われがちだが、ノリが良いのはよく知っている。 無表情でしれっと冗談を言って、おれの前ではよく笑う。敵に向ける目は冷たい。 全部、知ってる。 「キャスケットの奴からだぜ、手ぇ出してきたのは。」 あ、手じゃなくて鉄パイプか、と訂正する。 状況把握をしているのなら、その時の様子は正確に伝えた方が良いだろう。そう思って言った言葉だったが、溜息で返されるだけだった。 「お前はいつもそれだな。」 「本当の事だ。」 「知ってる。」 相手の青年が、馬鹿正直に自分から殴りかかったと証言して逃げたからな、と続ける男。 ふぅん、と適当に呟きながら男の姿を観察する。裾までピシリとアイロン掛けしてある綺麗な制服。署内だというのに上着をキッチリと着込んで、ボタン一つ外していない堅苦しさは健在らしい。ペンギンのロゴマークが入った控え目なネクタイは年を考えると少し地味だが、笑えるほど似合っている。 「・・・?どうした。」 気配が伝わってしまったのだろう、訝しがる男に思った事とは別の事を口にする。 「いや、別に。キャスケットって言って誰の事か分かってんのかと思ってよ。」 「あのリーダー格の青年の事だろう?あんな派手な色のキャスケット帽子をしているのだから、分からない筈がない。」 「そりゃそうか。」 至極真面目に答える声におれも納得する。残念には、思わない。 「で?何が聞きたいんだよ、刑事サン。」 「ハッキリ言おう。その"キャスケット"の行きそうな場所を知らないか?」 「何でまた。」 「裏付けは取れていないが、彼は色々と危険な事に首を突っ込んでいるからだ。」 つまり、摘発やら裏付けとやらを取ったりして、少年院に放り込んでしまおうという事だろう。今まで少年の素行で通ってきたが、そろそろ本腰を入れて芽を摘むつもりらしい。 「ふん。知らねぇよ。おれだってたまたま見つけんだから。」 放った言葉に男がじぃとおれを見つめた。そうやっていつも、その目でおれの嘘を見分けるんだ。 「そうか。」 けど、もうだいぶ曇っちまったんだな。それとも―… 瞬間、ヒュッとおれの喉が鳴った。 「ゲホッ、ゲホゲホッ、ガハッ、」 「お、おい。トラファルガー?」 「ゲホッ・・・!ゲホッ、ゴホッ、」 しまった、空気を吸うのに失敗した。慌てて立ち上がる男にひらりと手を振って大丈夫だと伝える。脳に酸素が回らなくて苦しいが、この男だけは近寄らせたら駄目だから。ガタリと椅子ごと体の向きを変え、口元に腕を当ててえずくように咳をする。そうして頭が真っ白になりながら何とか咳込み、肩で息をする。 おれにしたら数十分、実際の時間は2〜3分だっただろう。 落ち着きを取り戻して、痛む喉と肺、それから涙が浮かんだ目をそのままに男の方へ向き直った。 「トラファルガー、お前」 「で?後は何かあんのか?」 ズキズキする喉を無視して男の台詞を遮る。すると奴は何か言いたげに口を開けたり閉じたりしていたけど、諦めたように溜息で全てを流した。 「いや、もういい。とりあえず騒ぎを起こすなという事だ。殺傷事件になったら大学にも行けなくなるぞ。」 大人特有の警告は驚くほど偽善的で、この男に似合っていた。 おれに向けられた言葉ってのが、妙に嗤えるが。 「まったく…。お前が奴といざこざを起こすと全部おれの担当になるんだ。少しは大人しくしてくれ。」 ああ、なるほど。既に担当として割り振られてるのか。どうりで他の奴から調べを受けたりした事が無い訳だ。そしてそれはおれにとっては好都合ってやつだろう。 思わずクスリと笑う。 「良いじゃねぇか。」 「良くない。」 間髪入れずに返された言葉に、おれは笑みを深くする。 「少なくとも・・・。・・・おれは嬉しいぜ。」 「言ってろ。」 バインダーに何やら書き込んだ男は、サラリと締め括ってボールペンの芯を納める。その音を合図に、おれは立ち上がった。もう互いの用は済んだんだ、長く居たい場所でもねぇ。 スルリと男の横を抜けた瞬間、声が掛けられた。 「トラファルガー、お前は何故"キャスケット"とだけやり合うんだ。」 「・・お前とアイツの顔が、見たいから・・・。」 返事を聞かずに部屋を、そして建物を出た。小声すぎてあの男には聞こえなかったかもしれない。 けれど、それでいい。 見上げた空は、やはり汚い青のままだった。 ぶらぶらと、当てもなく街を歩く。 多分時刻は昼前で、交通量は多いが人はまばらな時間帯だった。もう1〜2時間もすれば昼時で、サラリーマンやOLが溢れかえるだろう。冷たく汚い空気を肺に入れながら、信号待ちで足を止める。高いビルの合間を吹き抜けるい風の音や騒々しい車の音に、目を閉じて考えた。 いつも視る夢、それが何なのかは分からない。 前世ってやつなのか、来世ってやつなのか。 ただの夢なのか、現実の出来事だったのか。 分かっているのは"ペンギン"も、"キャスケット"も、此処に居るということ。 けれども此処は青い海じゃないということ。なら、おれが出来る事なんて何もない。 たまにあいつらの顔を見て、一人で満足して。 それでいいんだ。 「ふあ・・・。」 信号が変わったのを見て、欠伸をしつつゆっくりと歩き出す。 雑踏に紛れて向かう先は大学でも家でも無い。何となく人の流れに乗りながら、此処ではない何処かへと足を動かしている。きっと今頃は机の上で携帯が鳴っていたりするんだろうが、他人事だった。 ふと、先程のやりとりが頭に浮かぶ。 何故"キャスケット"とだけやりあうのか、という質問。 いつも傷一つ作っていないおれの勝ちは決定的で、しかも恨みがあるようにも、弱者をいたぶるようにも見えないからこそ疑問に思うんだろう。けれど、ペンギンのロゴを配置しているネクタイをした男は、至極真面目で仕事に私的好奇心を持ち出さない筈だった。 ペンキでもぶっかけたのかと思うほど奇抜な色の帽子を被っている青年にしても、おれの言葉に敏感になりすぎている。前は他者に向ける目と同じで、無関心だったのに。 何かが、崩れかけてきている。 おれのこの"記憶"が何かは知らないが、あいつらがそれを視ないとは限らない。 このまま接触し続けていれば、あるいは。 それは、それだけは絶対に駄目だ。 「そろそろ、潮時って事か・・・。」 一つ二つ咳をして呟いた声は、コンクリートの海に溶けて消えた。 今日で、最後だ。 会いたいと思っても、顔を見たいと思っても、もう会わない。 おれは雑踏の中再び目を閉じて、記憶の住人となった二人の顔を大切に思い出す。 お前らは何を視る事もなく、恋人でも作って結婚して、笑って。 幸せになれ。 ******** ローだけが全部覚えてる。 100103 水方 葎 |