幸福の代償








「痛っ、」

ピリと走る頬の痛みに、おれは思わず顔を顰めた。
手をあてて腫れ具合を確認したいけれど、単車のハンドルを握っているのでそうはいかない。
11月を過ぎると風を切る毎に身震いしそうになる。けれど身体で風を切る爽快感は、車なんかじゃ味わえない。視界いっぱいに流れる景色と、単気筒の鼓動はある種の快感だ。
だから寒いとは思っても、それを理由に乗りたくないとは思わない。

赤信号にブレーキを踏み、ギアを変える。
両手を離して手持無沙汰にぶらぶらと振ってみるけれど、何故だか頬の様子を確認する気にはなれなかった。代わりにズボンのポケットから携帯を出して時刻を確認する。
15時、少し前。
午後は授業を抜け出した。夕方のバイトもない。

「(・・・というか・・・)」

毎年この日には大体授業をサボり、バイトを入れないのが習慣になっていた。
何かのイベント事でも、約束がある訳でもない。
他の人からすれば何の変哲もない普通の平日。
けれど、例えば誕生日がそうであるように、おれにとってこの日は大切な日だ。




11月、11日。


もう何年前になるだろう。


バレバレの嘘を吐いたのは。




ひらひら、ひらひら。
キラキラ、キラキラ。
舞い落ちる銀杏の葉は太陽の光を反射して輝いていた。
眩しい程の其れは、まるでスパンコォルのよう。
ひゅ、と走り抜ける度に、側溝に溜まった瑞々しい黄色の葉が宙に舞った。
キラキラ、キラキラ。
イルミネィションよりも綺麗な命の光に、大切な人の言葉を思い出す。





「落ちたばっかの銀杏の葉って、瑞々しいよな。」

おれはその言葉に相槌を打ったんだ。
そうですね、と。

「じゃあ・・・いつ、死ぬんだろうな。」

呟かれたそれは、完璧な独り言だった。
幹から離れた時点で死んだのか、落ちて死を待っているのか。

おれは独り言に返事をせず、ただひたすらに細い背を見詰めていた。






「(―大丈夫。)」

おれはおれ自身に言い聞かせる。
まだ、彼は幹から離れてはいない。

その証拠に、この腫れた頬の痛みがあるんだ。

ペンさんだって、戻ってきた。

彼も、おれも、もう独りじゃない。




見慣れた大通りは、時間帯の所為かかなりすいている。
ギアは3から4へ。
ハンドルに下げたコンビニの袋が、けたたましい程ガサガサと鳴っている。
中にはたった一箱のお菓子。
その存在を確認して思わず頬を緩めると、腫れが再度引き攣るように痛んだ。
方向指示器を出しながら、痛みにつられるように今度は学校を出る前の事を思い出していた。




そう、昼休みは委員会で潰れたから、三年生の校舎へは行けなかった。
五限目の休み時間で残りの授業や委員会の続きが面倒になって、早退の準備をして廊下に出た時だった。
あの忌々しい三年が物凄い形相で立ち塞がっていたのは。
何か用、と言う前に気が付けば殴られた。
流石は負け知らず、手を出す速さは半端じゃない。
けれどおれだって売られた喧嘩は買う主義で、決して弱くはない。
倒れた態勢からすぐさま奴の脛めがけて蹴りを繰り出そうとしたけれど、アイツの言葉に思わず呆然としてしまった。

「テメェか!トラファルガーに妙なこと吹き込みやがったのは!!」

その時の奴の顔と言ったら。
思い出しただけでも笑えてくる、あの照れが混じった赤い顔。
ぽかんと口を開けたおれを一瞥した奴は、チィと舌打ちをする。
「ったく、起きたら奴は居ねぇし、教室行ったらあの野郎と帰ったとか…ふざけるのもいい加減にしやがれ…」などとぶつぶつ言いながら踵を返す三年に、反撃も忘れていた。
その背が見えなくなった頃、おれはかろうじて小さく呟いたのだった。

「・・・どう見ても不機嫌って顔じゃないんだけど。」

そしてペンさんと帰ったという情報と、落とした鞄を拾って下駄箱へと急いだ。




どういう事か、分からない筈が無い。
きっとあの嘘をネタに、からかわれたんだろう。
何せおれが元凶なんだから。
だから、殴られた事は忌々しいけれど、これは大切な痛みだと思う。
幸福の代償というやつだろうか。

ひらひら、ひらひら。
キラキラ、キラキラ。

落ち葉の舞う風の合間を、ビュゥと走り続ける。
小さな光がおれの目を優しく刺激して、遠い日のノスタルジィを映す。





表情を無くした、傷だらけの痩せた子供。


大人は誰もが見て見ぬフリをする。


その子供は、奪われてばかりいた。


もう何も持っていないのに。


期待も希望も表情も、奪われてしまったから。


けれど、笑って欲しかった。


幼いおれは、ただその一心で。




「ポッキーゲームをしなきゃいけない日、なんだよ。」




どこかで聞いた話を、お菓子を差し出しながら言ってみせた。
子供はおれを見てきょとんとした顔の後、ほんの小さく笑ったのだ。


「初めて知った。」


その笑顔は、今でも忘れない。





あの頃は、もうおれだけで。
咄嗟に吐いた嘘は稚拙な防衛術だった。
けれどみんなが居る今、それは確実に実を結んでいる。
おれはギュウと右のグリップを握り締めた。
グンと速度が上がり、重力の負荷を受けながらも前傾姿勢を保つ。

ひらひら、ひらひら。
キラキラ、キラキラ。

嘘なんて吐いたその時にバレているだろう。
それでも、笑ってくれたんだ。
だからおれは、嘘を吐き続ける。
今までも、これからも。





さあ、帰ろう。


今年もまた、大切な人とポッキーゲームをする為に。


出来る事なら、来年の今日も、再来年の今日も、


ずっと、ずっと。









「(・・・やっぱり一発くらい殴り返せば良かったかな。)」

予想を上回るほど長引く痛みに、反撃しなかった事を少しだけ後悔した。









end.



運転中に考え事をする危険なキャスケット(無免)
単車はSRかCBSSあたり。



091210 水方 葎