ローの私室に足を踏み入れた瞬間、ペンギンは眉を顰めた。
何だかあまり良くない予感がしたからだ。
その第六感は海賊にとって命を左右するほど大切であり、また、彼のそれは船長であるローに対して特によく働く。そう、時に働き者すぎるほどだ。
別に取り立てて異音や異臭がする訳ではない。
いつも通りこの部屋は静謐と薄い消毒液の臭いを保っている。けれど無視できない己の感覚に、何となく部屋を警戒しつつ二、三歩く。ローの姿は見えない。夜更けとはいってもまだ夜中ではないし、そもそも自他共に認める睡眠障害のローがこのような時間に寝ている筈がないのだが。
「船長?」
ふと、死角になっていたベッドの方に足を向けると、そこに望んだ姿はあった。


全身水浸しとなって。


「・・・・・・・。」
「ん、ペンギン・・・何かあったか?」
驚いた声こそ出さないものの、完全に想定外の光景にペンギンは肩を落とす。
第六感が正しかったという意味では想定内だが。
とにかくローの痩身は被っている薄いシーツごと、これでもかというほど液体にまみれていた。少し腕を起こしたローからピチャリと水音がし、滴るほどである。
「・・・強いて言えば船長が濡れている。」
「ふぅん。」
小さな皮肉を込めて返した答えは呆気なくスルーされたようだ。
ローの奇行は今に始まった事ではないにしても、今回のは後片付けが面倒そうだ、と最近ぐずついている天候を思う。
「喧嘩してんだよ。」
「喧嘩?」
ぽつりと呟かれた言葉に、思わずペンギンが聞き返した。
ローは小さく頷き、抱えていた酒のような瓶蓋のコルクを捻り開ける。空気が抜ける小気味良い音が部屋に響いた。
「そ。本当聞き分けねぇからさぁ。」
傾けて、自身に頭からとくとくと液体を注ぐロー。
ベッドの上は既に大きな水溜まりと言っても過言ではない。
瓶が空になると、用済みだと言わんばかりに床へ無造作に捨てる。ペンギンが何気なくそれを目で追うと、床には既に5〜6本もの同じ瓶が転がっていた。その内の一つをそっと持ち上げる。ラベルは無い、どこにでもありそうな透明の瓶だ。
ビチャビチャ、一際大きな水音にペンギンは瓶に向けていた意識をローに戻す。
彼はベッドに倒れ、だらしなく丸まって目を閉じていた。
寝るつもりだろうか。着ているものもベッドも濡れたまま。
「船長。」
声をかけながら、ふと液体がただの液体でないことに気付いた。
ローの動きに合わせて、糸を引いている。ほんの少しだけ粘り気があるのだ。まるでローションのようで、そこに横たわるローに全身の熱が上がらない訳がない。
しかし水でないとなると、この瓶の中のものはローが作ったものだろうか。
心ここに在らずといったローの表情を見てきっとそうだろうと見当をつけたペンギンは、手にしていた空瓶をそっと床に戻す。
「船長。」
ギ、とベッドのスプリングが小さく鳴る。
ペンギンがベッドに片手を付き、苦情がないのを見てローの隣へと潜り込んだ。液体を滴らせる薄いシーツの中に半身を滑り込ませる。勿論ペンギン自身のツナギも肌も髪も液体まみれだが、一向に気にならなかった。ただ、液体の所為かローの体温が低い所為か、ベッドはひやりとしている。
下劣な熱を抑えるには丁度良い。
「・・・んだよ。」
「船長の喧嘩の相手は、おれの喧嘩相手でもある。」
「・・・・。お前結構恥ずかしい奴だよな・・・。」
「事実だ。」
そう言って背を向けているローを抱え込むと、彼は寝返りをうちペンギンの胸元にすっぽりと収まる体勢になる。ペンギンは濡れた手でローの頭を愛しそうに撫でた。
気持ち良さそうに目を閉じたローが睦言のように囁く。


「許可なく和解なんてすんじゃねぇぞ。」


「勿論だ。」


勝ち続けなければならないけれど、たまに休戦するのも悪くない。
舐めるだけで死に至る鴆毒に身体を浸したまま、ローは静かに目を閉じた。






















死との喧嘩


























fin.





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そろそろ船長は病院に来て貰った方がいいと思う。
ペンギンは手遅れか・・・。




100928 水方 葎