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* だいぶ違う * そう、それは本当にふと湧いた疑問だったのだ。 夕食後、何の当番も無いキャスケットはいつも通りローの私室で時間を潰していた。大抵談話室で他のクルー達と下らない話に花を咲かせるか、ローの私室に入り浸るかのどちらかだが、本日の気分は後者だったらしい。 かと言って、する事は特にない。愛刀の調子は良く、銃の整備は既に昼間終わっている。ならば勉強を、と思って持ってきた航海術のノウハウ本は眠気を誘うだけだったようで、テーブルの脇に退かされている。最終手段として適当に持ってきた雑誌も内容は頭に入ってこないらしい。ただパラパラと紙の擦れる音が心地良い。 捲っていた雑誌をついに閉じたキャスケットは、ずるずるとテーブルへ突っ伏す。眠気と満腹感で何をする気にもなれず、欠伸を一つ落として目の前の二人を何気なしに眺めた。 ペンギンは特に理由が無い場合を除き、ローの傍を離れる事がない。よって今日も当たり前のようにローの私室で書類整理や備品リストにチェックを入れている。勿論自室に籠る事はあるが、今のように時折内容をローへ確認したり報告をしているので、二人一緒に居るのは何かと都合がいいのだろう。 そこまで思ったキャスケットは、今手にしている雑誌の内容を思い出す。 カップルを対象とした男女の温度差についての特集で、女性から男性へ、また男性から女性へ、言いたい事や己の秘密などが赤裸々に記されているものだった。流し読みしたキャスケットは女って怖いという感想しか抱けなかった。 相手の嫌なところ、冷めた瞬間、理解出来ないところ、価値観の差・・・・・恋人が居れば多かれ少なかれ、誰しもが経験するような事だ。特集の最後にはフォローするかのように『それでもやっぱり好き』というコメントの文を載せていたものの、罵詈雑言の数々を見た後ではその言葉もアテにはならない。 それを胸に、キャスケットは落としていた視線を上げて再び二人を視界に捉える。 相変わらずローは気だるげに辞書の様な物の頁を捲り、ペンギンはその隣で筆を進めている。いつもと何も変わらない、呼吸の一つ一つがその場に溶け込むような全てが調和された自然な空気だった。 改めてこの居心地が良い場所に自分が居られる事を幸せに思いながらも、キャスケットはふと浮かんだ疑問を口に出してしまっていた。 「二人って、何かちょっと違いますよね。」 考えた事がすぐ口に出るのは彼の長所であり、短所でもある。 「・・・どういう事だ?」 かけられた言葉の意図が見えないペンギンは顔を上げてキャスケットを見た。 ローも不思議そうに首を傾げている。 「えっと、その・・・。」 急に二人の視線を受けたキャスケットはしどろもどろになりながら上体を起こし、言葉が出るに至った経緯を噛み砕いて説明する。 「この雑誌見てて思ったんですけど。普通のカップルって喧嘩したりするじゃないですか。」 「おれ達がしていないとでも?」 「い、いや、そういう訳じゃなくて。」 ペンギンの言葉はもっともだ。寧ろ喧嘩なんてしょっちゅうで、その度に巻き込まれている被害者筆頭がキャスケットでもある。彼が知らない訳がない。原因は些細な生活の事から航路の選択に至るまで様々で、彼らの喧嘩の度に神経をすり減らしているのだ。 だがキャスケットが言いたいのはそういう喧嘩ではない。 「何て言うか。『お前のここが気に食わない』とか、そういう・・・。」 曖昧な説明は曖昧な回答しか得られないものである。 ローは首を傾げたまま口を開いた。 「気に食わない部分だってあるぜ?」 「・・それは、・・そうですよね・・・。」 「気に食わねぇ部分も含めて気に入ってるけどな。」 実際面と向かって言われれば気持ちが沈みかけるキャスケットだが、唇の端を上げて笑うローに安堵する。からかわれているのだと自覚しても、怒るより安心の方が大きかった。 「で、結局何が言いたいんだお前は。」 少し呆れたようにペンギンが眉を寄せる。 キャスケットはだから、と一拍置いて抽象的なものを表現しようと奮闘する。 「お互いの生活の中でフランクさ、っていうか。気軽に悪口言ったり、時にはドン引きしたり、馬鹿話したり、そういう普通さが無いっていうか。」 「・・・・・。」 意味を把握出来かねるのか、ローもペンギンも眉を寄せたままである。 「だって喧嘩しても口論でしょう?それもお互いの事を分かってる上で、じゃないですか。そういうのじゃなくて、勢いで話したり、売り言葉に買い言葉になったり、誤解したりとか・・。」 「つまりお前はおれたちに罵詈雑言を言い合って欲しいのか?」 「違います!」 ペンギンの端的な言葉を即座に否定する。キャスケットは頭の中に思い描く普通のカップル像を並べ立ててみるものの、目の前の二人にはまるで理解が出来ないらしい。確かに喧嘩もするし馬鹿な話をしていたりもするのだが、ローとペンギンの関係は普通のそれに当て嵌まらないのだ。 しかしどう言っていいのか説明がつかない。 「もっと同級生っぽい関係って言いたいのか。」 「ああ、それです、そんな感じ!」 「『お前気持ち悪い』とか突っ込みしたり、『お前の方がな』とか突っ込み返されたり。」 「そうそう!」 ローの言葉はキャスケットの核心に近い。つまり普通のクルー同士のような、低次元な会話や罵り合いなどがもっと普通のカップルにあるのではなかろうかと考えたのだ。 キャスケットの頷きに、ローは顎に手を当て何かしら考え始める。ペンギンは至極下らなさそうに口を開いた。 「別に全部が全部そういうものでもないだろう。」 「えー。まあ、そうですけど・・・。」 確かに自分はどうなんだと聞かれれば、ローに弄られはしても罵られたりする機会は皆無で、そもそも目上である船長と関係を持っている時点で普通ではないと言える。しかしキャスケットはペンギンよりも普通のカップルのような会話や行動をしている筈だ、と思う。 ローとペンギンの間に流れる空気は落ち着いていて、自分達とは少し違うのだ。 それは違和感というより、完成手前のパズルを見ているような心地良さがある。 「確かに枠に当てはめるものじゃないですけどね。」 ちぇ、と呟きキャスケットは肘をつく。 何せ自分では出せない、清涼な空気のような関係がこの二人にはあるのだ。少し憧れている、というのは嘘ではない。どうしたらそんな雰囲気に近付けるのかと思ったが、こればかりはどうにも先天性なものらしい。 必死で説明した時間の肩透かしを喰らった気分のキャスケットは拗ねるように溜息を吐いた。 そこで、何事か考えていたらしいローが顔を上げた。 「・・・つーかよ。」 「え?」 「悪口叩きつけたりドン引きしても無駄じゃねえ?」 そもそもドン引きはしねえけど、と注釈を加えるローの台詞に今度はキャスケットが首を捻る番だった。 「どういう意味です?」 ローの言葉なのだから、ペンギンが相手しない、という意味での無駄ではないだろう。ペンギンの言葉にローが相手をしないというのは有り得ない話ではないが。 『無駄』の意味を思案するキャスケットに、ローが見てろよ、と一言前置きをしてペンギンに向き直る。ペンギンも何か言われるであろう空気を察して彼を見た。 そしてローが小さく口を開く。 「お前マジ有り得ねえ。馬鹿じゃねえの?」 唐突な罵倒に、言われていないキャスケットの方が驚く。 ローに向けていた視線をそのままペンギンへ流すが、彼の表情は変わっていない。 ・・・否。 「光栄だ。」 恍惚。 「ほらな?無駄だろ?」 当たり前のようにその反応を受け止めたローが振り返ったが、時既にキャスケットは机に倒れ伏していた。いくら唐突すぎて本気ではないと分かっていたとしても、ペンギンの反応はあんまりだと思う。何をどう語意湾曲したらそういう反応が出来るのか。きっと自分なら即座に馬鹿じゃないですと否定するであろう事は想像に易く、ペンギンの境地までは一生かかっても辿りつかないだろう。 「キャス?」 「・・・・・何かもう、ペンさんには生涯かけても色々敵わないなって改めて思いました・・・。」 「何がだ?別に変な事は言っていないだろう。」 「さあ。」 不思議がるローとペンギンだったが、今度こそキャスケットは何をする気にも言う気にもなれず、目を閉じたのだった。 この人たちは『ちょっと』じゃない、『だいぶ』他とは違うんだと思いながら。 fin. ******** 本当に怖いのは、無関心。 でも流石に恍惚はドMですペンギンさん。 100708 水方 葎 |