* 命令 *




















耳を劈くような派手な音を立て、ペンギンの足元でビーカーが砕け散る。
周囲に飛び散った残骸をゆるりと見やったペンギンは、そのまま部屋の奥へ顔を向けた。
部屋は酷い有様である。本は滅茶苦茶に散乱し、元がビーカーか試験管か分からない硝子の破片が屍累累としていた。ベッドから引き摺り下ろされた毛布は床に波打ち、枕にはメスが付き立てられて臓物のような白い綿が溢れ出している。

「来るんじゃねぇ・・・!」

劇薬やら実験器具やらが詰まった戸棚を背に威嚇しているのは、ペンギンにビーカーを投げつけた張本人。薄氷の瞳はギラギラと殺気立ち瞳孔が開いている。
ペンギンは己の予想が的中した事に内心溜息を吐く。
草木も眠る丑三つ時だが、どうやら船長は眠ってくれなかったようだ。隣の部屋から聞こえる錯雑とした破壊音に目が覚めたのはつい先ほどで、足を運べば案の定。癇癪を起こすなどここ最近では滅多に無かったので油断していた、と己の失態に臍を噛む。
ローがこうなる切欠などペンギンに分かる筈が無いのだが、それでも原因があるのは間違い無い。

「船長。どうした。」

愚痴愚痴していても仕方無いと思考を切り捨てたペンギンは、一歩、また一歩と部屋へ踏み入る。
その都度、硝子の欠片が小さく砕ける音が室内に響く。

「来るな!来るなくるなくるな!!入ってくんな!!!」

ローは半狂乱で握っていたメスを投げつける。
まるでダーツの矢のように鋭く飛んだそれは、頬に朱の線を一本残しただけだった。あとほんの数ミリずれていれば大怪我になったであろう。
けれどもペンギンはその場を微動だにせず、ローを正面から見詰めている。
高い足音が一つ、部屋に響いた。

「やめっ、やめろやめろやめろ!!中にっ・・、おれの中に入ってくんな!!」

絶叫に近かった。
両腕で頭を抱えて拒絶するローは、まるで母親の虐待を恐れる子供であった。震える足が立つ力すら失ったのか、背にした戸棚を頼りに座り込む。しかし表情一つ変えずに、ペンギンは容赦無く歩みを進めた。
手中のメスを投げてしまい武器が何一つ無いローは、錯乱状態で己の能力を忘れているのか、床に転がる物に目を走らせる。割れた硝子片にコルクキャップ、金網、試験管のスタンド…

銀の包帯鋏。

「―っ・・!」

視界に入った瞬間、座り込んだ場所からそれへ手を伸ばした。かろうじて届きそうな範囲。
だがしかし、ペンギンが即座に鋏を脇へと蹴り飛ばした。
鈍い音を立てて床を滑ったローの希望は、もう手の届く場所に無い。

「ぁ、っ・・・はぅ、」

手を伸ばしたまま目を見開くローは、上手く呼吸が出来ず冷や汗を垂らす。
目前まで歩みを進めたペンギンは、温度の無い瞳でローを見下ろした。さきほどまでの勢いを無くしたローはペンギンなど視界に入っていないようで、小さくなった鋏に縋りつくような目を向けている。

「(気に喰わない、)」

ペンギンは心中で吐き捨てた。

「・・・・ロー。」

「―!」

呼ばれた声で我に返った時にはもう遅く、ローは乱暴な音を立て戸棚に抑え付けられていた。ペンギンは強引に馬乗りになる形で、細い両腕を掴みこじ開けて唯一の防御すら剥ぎ取る。
その際目に飛び込んだ、腕に残る薄い鮮血の線に思わず舌打ちを打つ。

「やめろ・・!やめろ、やめろ!!出てけ!!!」

頭を振り繰り返し叫ぶローに、ペンギンは攻め手を休めようとしない。
距離が十センチ程というところまで勢いに任せ顔を近付ける。当然逃げ場が無いローは心持ち仰け反るだけで精一杯だったが、ペンギンを睨み付け唇を引き結び、威嚇の姿勢を崩そうとしない。
いつもに増して青白い顔をしたローに、メスよりも鋭い目をしたペンギンが鼻で笑う。

「随分と勝手なもんだな。」

「ッ!」

呼吸がままならないローが、小さく戦慄く。
それでも負けじと闇より濃い漆黒の瞳を睨み返すのは、意地かプライドか。




「いつもは早く入れと強請る癖に、今更"入ってくるな"だと?」




「・・・、・・・・ぁ・・・・?」




唖然。それが一番的確な表現だろう。
ローはその台詞に抵抗も忘れて目を丸くし、ペンギンを凝視する。緊張しきっていた全身から力が抜けてゆくようだった。殺気や恐怖を霧散させ呆然とした表情が、些か焦れた顔を見上げる。
少し危なげだが、いつの間にか呼吸も落ち着いていた。
刺々しく台詞を吐いたペンギンは、そのまま熱望する。
不要などという言葉は聞き入れない、という様に。

「船長、命令を。」

数秒の間。
ペンギンの言葉は、小さな切欠だっただろう。
それでも、いつもの不敵な笑みを浮かべるのには十分な時間だった。
ゆるやかに唇の端を上げ、自身へ覆い被さるペンギンの唇へ噛み付くようにキスをするロー。それは一瞬で離れたが、寸先で妖艶に笑んだローは舌先で己の唇を舐めた。二人の間に濡れた空気が漂うが、ペンギンは指一つ動かさず、表情も変えず、ただ強い瞳でローの言葉を待つ。





「ペンギン。・・・・挿入れ。」





命令が下された。

「仰せのままに。・・・愛しの船長。」

そうしてペンギンは、痩身を抱き締めてゆるりと微笑んだ。
まずは本や薬が散乱しているベッドの上を片付けなければな、と思う。







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いつも以上に不安定な船長と、苛々してるペンギン。
鋏にも嫉妬するシモネタ全開の男。そりゃ船長も吃驚して正気に戻る。



091214 水方 葎