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* 今宵だけでも * ※昔の蔵出しなので当サイトの彼らの中でも初期っぽいニオイがします。 夜も更け、そろそろ就寝かという時間帯。 敵襲や嵐は無く、船内はひっそりと静まり返っている。 そんな穏やかな夜のこと。 「・・・何だ、コレ。いらねえ。」 ペンギンから差し出されたマグカップを、ローは顔を顰めて拒否をした。 「船長、どうしたんですか?」 一緒に飲み物を淹れに行っていたキャスケットが尋ねる。ローに差し出された飲み物はホットミルクで、熱すぎず温すぎずペンギンが調整したものだ。珈琲や紅茶など味の付いたものをあまり好まないローだが、ペンギンが淹れたホットミルクは別らしくいつも喜々として受け取っていた。それ故に今宵に限って何故突っぱねるのかと首を傾げる。 「・・・。」 だがローはキャスケットの問いに答えようとせず、黙って手元の分厚い本へと視線を落とした。 そんな態度に嫌な顔一つする訳でもなく、ペンギンは少し肩を竦めてテーブルへマグカップをそっと置く。それと同時に、部屋に漂う筈のないブランデーの香りがキャスケットの鼻を掠めた。 「・・・・あれ・・?」 なるほど、この匂いに反応して船長はマグカップを受け取ろうとしなかったのだとキャスケットは見当をつけた。 いつの間にブランデーなど入れたのだろうかと不思議に思いながらペンギンへ顔を向けると、彼は自分用に淹れた珈琲に口を付け、壁に凭れていた。共にキッチンで飲み物を用意していたというのに、ブランデーを入れていたなどキャスケットは全く気付かなかったのだ。 するとペンギンがキャスケットの思考を読み取るかのように口を開く。 「お前がキッチンを出た後でな。少し垂らしただけだ。」 「ああ、どうりで。」 少しばかりの心遣い、という事らしいが、どうやらローには受け取って貰えなかったようだ。 酒を使っての入眠は身体に良くないばかりか、しっかりと休まらない。だが少しでも眠る事が出来るのならそれに越した事はない。ここ最近、ローが『使い慣れた睡眠導入剤でも、うまく眠る事が出来ない』とボヤいていたのはペンギンだけでなくキャスケットだって知っている。 「ね、船長。少しでいいから飲みませんか?」 「欲しけりゃお前が飲めよ。」 「いや、そうじゃなくて…。」 柔らかく勧めてみても、ローは手元から視線を動かそうともしない。キャスケットは困ったように頬を掻き、再びペンギンに視線で助けを求める。 が返ってきた言葉は無情なものだった。 「おれはまだこの夜はやる事があるからな。キャスケット、船長を寝かせておいてくれ。」 ロー至上主義で船長の問題は自分の問題以上、と云わんばかりに行動するペンギンにしては珍しい発言だったが、逆を取るとそれだけ信頼されているという事だろう。キャスケットはそう考えて頷かざるを得なかった。 しかしそこに口を挟むのは、勿論我らが船長だ。 「船の修理箇所のチェックならおれもやる。」 「いいから、船長は寝てくれ。」 「・・・餓鬼扱いかよ。」 本から視線を上げようとしなかったローがようやっとペンギンへ顔を向けるが、にべもなく言い切られて唇を尖らせる。 「それにチェックと言っても報告と照らし合わせるだけだ。船長の手を煩わせる事じゃない。」 「二人で手分けした方が早いじゃねぇか。」 「いいから、船長は寝てくれ。」 再度キッパリと言われては、流石のローも口を閉じるしかない。こういう時のペンギンは何を言っても無駄だと経験で分かっているのだ。しかし会話と比例してローの機嫌は下降気味である。 「キャスケット。後は頼むぞ。」 ハラハラと二人の会話を見守っていたキャスケットは、ペンギンに釘を刺されてぐっと唾をのむ。睨む訳ではないがキリリと鋭い視線を投げられ、ただひたすら頷くしかなかった。 わざわざローの機嫌を下げて退室するなんてあんまりじゃないかと、心の中で批難しながら。 そうしてペンギンは、終わったら様子を見に来るから、とローに告げて部屋の外へと出て行った。 残されたのは、不機嫌なままのローと、妙に緊張しているキャスケット、それと放置されたブランデー入りのホットミルク。 あんまりな組み合わせだと、キャスケットは小さく溜息を吐く。 「キャス、寝ろよ。」 キャスケットがさてどうしようかと脳内会議で作戦を立てようとしたところ、まるで独り言のような声量でローから声をかけられた。 「…え?」 「だから、寝ろって言ってんだよ。」 「いや、でもおれ…えっと。」 まさか本人を前にして『船長を寝かせなきゃいけないので』なんて事を口に出来る筈がないキャスケットは、しどろもどろとしている。 対するローはパタンと読んでいた本を閉じ、小さく伸びをした。 「んん…。おれもすぐ寝る。だからペンギンの言った事は気にすんなよ。」 キャスケットは心の中で『気にするなと言われても、鋭く投げられた眼光が忘れられないのですが』と呟くが、ローに届く筈もない。どうすべきか視線を宙へ彷徨わせた。 勿論キャスケット自身、大切な船長に眠って欲しい気持ちはある。けれど本人が嫌がっているものを飲ませるのもどうかと思ううえに、それで眠れるという確証がある訳でもない。かと言ってローの言葉を丸々信じて自室に戻るのは色々な意味で危険だと判断する。ペンギンの信頼も裏切る事になってしまうのだ、と考え頭を悩ませた。 「船長、すぐ寝るって言ったって…眠れないんでしょう?」 「今日は寝れる。そんな気がする。」 「そんな適当な事を…。」 ローの投げ遣りな言い方に呆れるキャスケット。 するとここで押し問答していても埒が明かないと判断したのか、ただ単に面白い事を思いついたのか、ローがニヤリと唇の端を上げた。 「飲んでもイイぜ、これ。」 「え?」 唐突な言葉に、キャスケットが聞き返す。 今の今まで絶対に飲まないと豪語していたのに、どういう心変わりかと内心身構えた。こういう時、交換条件で無理難題を押し付けられるのはキャスケットの経験上少なくないからだ。 「ただし、条件がある。」 そしてどうやらその勘は当たっていたらしい。楽しそうに笑うローに嫌な予感がしていた。 「・・・えっと、」 「お前はおれにコレを飲まさなきゃなんねえんだろ?」 キャスケットにとって、飲んで眠る事が出来るのはローなのだから条件を提示される謂れは無いのだが、最早立場は逆転していると言っても過言ではない。元々キャスケットの立場が上だった事など、一度も無いのだが。 ローの問いかけに素直に頷くキャスケット。 「飲まなくても船長が眠ってくれるなら構いませんけど。飲まないで起きてるっていうのはちょっと…。」 後が怖いんで、と続けて言いながら再度その脳内に思い出されるのは、先ほどの鋭い視線。 「じゃあ聞けよ。」 鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌よく、ローは座ったままキャスケットを見上げた。 「キスしろ。」 「へ?…き、キス!?」 「キス。あ、勿論口に、な。」 いきなりの条件に驚き鸚鵡返しをするキャスケットだったが、軽く肯定されてしまう。それどころか、男にしては細長い指でゆるりと自身の唇を指差して指定するロー。艶を含んだその言い方に、キャスケットは赤面してあたふたと周囲に視線を流す。 「キスって、ちょ、その、せんちょ、」 「何だよ、今更キスくらいで。もっとスゴイ事してるじゃねぇか。」 「わあああああっ!」 ニヤニヤと意地悪く笑うローに悲鳴を被せるキャスケット。彼は行為自体が嫌いではないものの、そういった話にはめっぽう弱かった。ローの言う通り身体を重ねた事があったとしても、不意に話を振られれば慌ててしまうのだ。 心の準備が出来ていない、だの、誰が聞いているか分からない、というのがキャスケットの言い分らしい。 「で?スルの?しねぇの?」 一通りキャスケットをからかったローは、笑みを絶やさず意思確認する。その言い方もまた、からかいの内に入っていると自覚していた。何せローにとってキャスケット弄りは趣味の範囲内とも言える。自分の一言に簡単に赤面したり慌てたりする様が面白くて仕方無いのだ。 勿論、なんとなくキスがしたい気分、というのもあるだろう。 「いや、その。」 「したくねぇって?それならイイけど。」 「そうじゃなくて!」 「じゃあするんだな?ホラ、早くしろよ。」 完璧にローのペースに嵌りつつあるキャスケットだが、勿論ローが嫌いで渋っている訳ではない。 寧ろ内心では今すぐにでも抱き締めてキスをして、何ならミルクの口移しでも、とすら思っている程だ。それが実行出来ないのは、悲しいかな先述したキャスケット自身の性格と、もう一つ彼なりの理由があっての困惑だった。 「ま、まあ、キス一つで飲んで寝て貰えるのなら…。」 大義名分を付けるキャスケットはそう言って自身を落ち着かせようとする。 しかしその言葉を聞いた途端ローの視線がスッと冷ややかなものに変わり、楽しそうだった表情は瞬時にして消え去った。 「もういい。」 「え?」 何かがローの琴線に触れたらしい。 そうキャスケットが判断するのに時間はかからなかった。 しかしその間にもローは手元の温くなったホットミルクを手に取り、勢い良く喉へと流し込む。ゴクリゴクリと音を立てながら細い喉が上下するのを、キャスケットは唖然と見つめていた。 「あの、船長…?」 恐る恐る訊ねてもローからの返事は無く、あたりにブランデーの濃い匂いが広がるばかりであった。 ローが飲んでいるそれはマグカップとはいっても、エスプレッソカップのような小さなものである。2〜3口で一気に飲み干したローは勢いよくテーブルにカップを叩きつけた。ダン、という音にビクリと肩を震わせるキャスケットを一瞥して、ローは無言のまま椅子から立ち上がる。 と同時に、ふわりと強い酒の匂いが漂った。 「(あれ?)」 ――数滴垂らしただけで、こんなに強い残り香がするだろうか。 「ねえ、せんちょ…」 それまで焦る暇もなかったキャスケットが、疑問を感じ再度ローへ声をかけようとした。途端、キャスケットの傍を足早に通り過ぎようとしたローがグラリと足元から崩れ落ちる。 もつれたような、と表現した方が正しいだろうか。 「船長!!」 間一髪、床すれすれで抱き留めたキャスケットだが、ローは完全に身体から力が抜けていた。成人男性よりは遥かに軽いため余計な力は要らないものの、きちんと支える為にグッと足に力を入れるキャスケット。バランスを整えて横抱きにしたはいいものの、下手に動かすよりも一旦状況を把握した方が良いと判断し、ベッドまで運ぼうと抱え直した。ローは大人しくされるがままになっている。 「・・・・ぃ。」 「船長?大丈夫ですか?」 何事か呟き呻くローの方へ顔を寄せ、問い掛けるキャスケット。 「降・・ろ、せ…。」 「この状況で降ろせるほど神経太くないですよ、おれ。」 「いぃ、から…。」 「大丈夫ですか?体調が悪そうには見えませんでしたけど…。」 もし呼吸が危ないようならば横に寝かせるのは考えものだったが、幸い意識もハッキリしている。キャスケットはその点にだけ安心し、ベッドへとローを横たえた。この場所が談話室などではなく、ローの部屋で良かったと思う。 そのまま毛布まで被せられたローは若干不機嫌そうに、だが先程のような冷たい表情ではなく少し潤んだ目でキャスケットを見上げていた。 「ぅん…。」 「…もしかして、ブランデーです?」 もしかしてとは言ってみたものの、ほぼ断定だった。寧ろそれしか原因が見当たらない。 「・・・・。」 沈黙は肯定という事か、ローはキャスケットから視線を外してふいとそっぽを向いた。口を開くのも億劫だという意味も込められていたのだが、キャスケットがそれに気付く事はないだろう。 「ホットミルクに垂らした量にしては匂いが凄いな、って思ってたんですよ。」 苦笑しながらテーブルの方まで歩き、割れそうな勢いで置かれたカップを覗き込むキャスケット。 ベッドの上へ置き去りにされたローは、たかがホットミルクに入っていた量だけでこんな状態になる自身の身体が恨めしく、舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった。 「結構ブランデー入ってたんじゃ…。」 そう言ってカップの底に残っていたミルクを指で掬い舐める。すると舌の上に独特の苦みがふわりと広がった。明らかに『ミルクに少し垂らした』量ではない。原液そのままという訳ではないが、水割りに近い位の濃さはあった。 「・・・。」 思わず言葉に詰まりベッドの方を向くキャスケット。 ローは酒に強くない。下戸という訳ではないのだが、それでもキャスケットやペンギンと比べると遥かに酒の回りは早いのだ。それに加えて普段から食物を受け付けないので、胃の中も空っぽだったであろう。こんな少量のブランデーでも気分を悪くするのは至極当然の結果と言える。 もしもブランデーの普通ではない量に気付き一口二口で飲むのをやめたとしても、この濃さならばベッドに入りやすい。ペンギンもローのそういう性格を把握した上で、このような作り方をしたのであろう。 「この場合、おれが悪いのかな…。」 ポツリと所在無さ気に呟くキャスケット。自身の一言がローに一気飲みをさせてしまったのだという自覚はあった。 一体どこがどうローの怒りに触れたかは皆目見当もつかないでいたが。 「ぅ〜…。」 「えと、とりあえず、水かな。船長、少し待ってて下さいね!」 苦しそうな、というより頭が回らないが故の呻きのような声がキャスケットの耳に届き、思考を現実に戻す。まず必要なのは、正気に戻すための水だ。 実際ローは既に頭が回っていなかったし、ふわふわとした感覚だけが身体を支配していた。近くに居るのがキャスケット、という認識がかろうじて残っている位である。 「きゃす・・・?」 「はい?」 ドアに手をかけようとしているキャスケットに声がかかる。それはいつもの芯を含んだ声ではなく、少し甘えを含んだ、例えるのなら情事の時の声音に似て、返事をしたキャスケットの鼓動が少し早まる。 「きゃす・・・。」 「どうかしました?」 「きゃす、・・・・きゃす。」 ひたすらに名前を呼び続けるロー。 一向に用件を話しだそうとしないのでキャスケットがベッドに近づくと、ローはその姿を見て嬉しそうに笑った。 いつもの含み笑いではなく、安堵したような柔らかな笑顔。 「船、長?」 「きゃす…、どこ、いくんだよ。」 キャスケットが何処かに行こうとしているのを認識し、引き留めようと手を伸ばす。 まさか引き留められるなど思っていなかったキャスケットは慌ててその手を取った。 「ど、何処って、水要りません?飲んだ方がスッキリしますよ?」 「いらねぇ。」 「じゃあ酔い醒ましとか…。」 「へいきだ。よってねえ。」 完全に酔っ払いの言動だ、と言いかけてキャスケットは口を噤んだ。相手の意識が鮮明ではないからこそ、下手な事を言って会話を拗らせるのは得策ではない。 キャスケットは少し悩んだあと、掴んだ手はそのままにしてローへ気の抜けた顔でへらりと笑った。 「じゃあ、・・・寝ましょっか。」 そう、一番の目的は睡眠だ。当初の計画から多少外れたとしても、眠ってしまえば問題無い。キャスケット自身、ローを眠らせる算段など全く無かったのだから、現在の状況は逆に有難いと言えた。 ん、と小さく返事をしたローはゆっくりと瞼を閉じた。 それに合わせて、掴んでいたローの手をゆっくりベッドの上へ置くキャスケット。ベッドは狭くないのではみ出したりする事はないだろうと、肩まで毛布を掛け直してゆっくりと踵を返す。 「(水と、一応酔い止めと、濡れタオルでも持って来ようかな。)」 いらないとは言っていたものの、夜中に起きて水を飲みたくなるかもしれない。濡れタオルもあれば、起きた時にだるければ顔だけでも先に拭けるだろう。ブランデーの匂いの元でもあるカップも片付けた方が良さそうだし、途中ペンギンに会えば状況報告も出来る。 キャスケットがそんなことを思案していた時だった。 背後からくぐもって聞こえた声に、息を呑む事となる。 「そうだよな…。おまえ、おれのことなんか、どうでもいいもんな。」 「・・・・・え?」 その言葉にたっぷり三秒はかけて、キャスケットは聞き返した。 何がどう転んでそのような言葉が出てきたのか理解できないキャスケットは、だがローがいらぬ誤解をしているのだと気付いて思わずベッドへ走り寄った。 「ちょ、船長何言ってるんですか!?」 答えて下さいよ、ねえ、と思わずその痩身を毛布ごと揺さぶる。そんな言葉がローから出てくることはキャスケットにとって心外であった。どうでもいい人間にここまで尽したり好きだとか愛してるとか思ったりしない、とローに聞かせてやりたい言葉がキャスケットの頭の中に埋め尽くされる。 「船長!起きて!何がどうでもいいんですか!?」 「…ねろとか、おきろとか、うるせぇやつだな…。」 「煩くても構いません!何考えてるんですか、何ですか今の言葉!」 先程の静かな様子とは打って変わってギャンギャンと詰め寄るキャスケット。ローはキャスケットの態度に少し我に返ったのか、煩わしそうに毛布へ潜り込んだ。流石に失言だと気付いたのだろうが、最早後の祭りである。 キャスケットはこういう、つまり相手に何か大切な事を伝える時は一歩も引かないという事をローは嫌という程知っていた。己の一言が招いた結果だが、面倒な事になった、と回らない頭でぼんやり思う。 「・・・おまえのこと、好きだぜ。」 「ええ、おれもですよ。船長。」 宥めるようなローの言葉に、キャスケットが歯噛みした、何かを堪えるような声で応える。 きちんと先程の言葉の真意を話すまでキャスケットはこの場に居座り続けるだろう。 「船長。どうしてですか?理由が聞きたいです。」 毛布の中に逃げ込んだローを無理矢理追う事はせず、ただひたすら問い掛けるキャスケット。詰問するような態度を変え、真摯な声でまっすぐに言葉を紡ぐ。 けれど返事は戻ってこなかった。 小さく、溜息を吐くキャスケット。 「ずっと船長の傍に居たいって思ってるのに、伝わって無かったって事ですか?」 置いてけぼりにされた子犬のような声でそう呟けば、ピクリと毛布の山が揺れる。 「おれのこと、好きな人をどうでもよく扱うような人間だと思ってるんですか?」 「・・・そうじゃねぇ。」 少しだけだが、顔を出したロー。若干視線が定まっていない上に舌足らずな言葉だったが、キャスケットはお構いなしに再度問い掛ける。 「じゃあ、どうしてですか?」 終わらない問い掛けに辟易したのか、ローは観念したように口を開いた。 「・・・だって、おまえ、・・・イヤ、なんだろ。」 「・・・?」 途切れ途切れに伝えられた言葉に、思わず首を捻るキャスケット。何かローの事で嫌だと言ったのだろうかと今日の自分を振り返っても、思い当たることなど一つもない。そもそも、キャスケットは日頃からローに対してそういう単語を使う事は気を付けている筈だった。 いつまで経っても首を傾げるキャスケットに、ローがふわふわとした声のまま続ける。 「さっき。・・・つい、さっき。」 「さっき…?」 苛々している訳ではないが、言外に自分で気付けというローの言葉。キャスケットはつい先ほどの事をいくつか思い返してみる。 飲み物を用意して船長部屋に戻った事。 ペンギンがホットミルクを渡した事。 そして船長を寝かせる使命を受けた事。 キスするなら飲んでやってもいい、と言われた事。 そこまで考えて、キャスケットはブランデー騒動で忘れかけていたが、ローの態度が急変した事を思い出す。けれど自分が何と言った後だったか、そこだけが穴が開いているように思い出せない。 「・・・・だって、おまえ。・・・しかたねぇから、おれにキス、しようとしただろ。」 「あっ!」 言いにくそうにボソリと呟くローに、キャスケットは弾かれたように顔を上げた。 よくよく思い出せば、『キス一つで大人しくホットミルクを飲んで貰えるなら』というニュアンスの言葉を言った気がするのだ。 そう、その言葉は裏を返せば『飲ませるために仕方なくキスをする』ということになる。しかも妙なところで曲解する癖のあるローの事だ、十中八九そう受け取るに違いないとキャスケットは今更ながら頭を抱えた。 「すいませんでした!」 とりあえず言い訳をするよりも、謝る方が先決だった。 自身の照れを納める為に口にした理由付けが、そのように受け取られてしまったとはキャスケットは全く考えもしなかったのだ。きっとその前にしどろもどろとしていた時間の長さも要因かもしれない。 兎に角すべての言動とタイミングが悪かった。 ふと、ペンギンならばこんな言葉の選択ミスなんてしないのだろうと考えるキャスケット。まだまだ、色々な意味で彼には勝てそうな気がしないと内心溜息を吐く。 そんなキャスケットにローは困惑顔だ。 「・・・べつに、あやまることじゃ、…ねぇし。」 それでも視線はしっかりとキャスケットを睨んでいた。北の海の氷を思わせる瞳は潤んでいる。 罪悪感に駆られたキャスケットは思いきり首を横に振る。 「違うんです、そういう意味で謝ったんじゃなくて!」 そう言ってから、今度こそ間違えたり誤解されたりしないようにと慎重に言葉を選んで話し始めるキャスケット。 「えっと、おれ、こんな性格だから、そういうのに慣れてなくて。船長とシたいって気持ちが無い訳じゃないんです。…というより、あります。それも、きっと船長より。」 「・・・・。」 「ぶっちゃけて言うと、・・・・・えと、・・・。」 「なん、だよ。」 黙って聞いていたローだったが、キャスケットが言葉に詰まると先を促す。しかし彼は言っていいのものかと視線を辺りに泳がせて中々話そうとしない。 よほどバツが悪いのか、言いにくい事なのか。 「・・・はなせよ。」 「・・・・・・・・笑いません?」 「ん。」 「絶対です?」 小さく押される念に、しつこいと思いながらも頷くロー。 その様子にようやく意を決したキャスケットは、ひとつ呼吸をしてからようやっと口を開いた。 「…その、ですね。そのままキスだけで終わりそうになくって・・・。」 「・・・・・・・あ?」 回らない頭で、今度はローがたっぷり三秒かけてキャスケットの言葉を聞き返した。 「いや、だって二人っきりなんですよ!?しかも船長から、き、キスしていいって言ってくれてるのに!」 「・・・あ、ああ。」 「でもペンさんが様子見に戻ってくるって言ってましたし、船長には眠って欲しいからそんな事出来ませんし。・・・その、頭じゃ分かってるんですけどキスだけで止まるか、自信無くて…。」 怒涛のように流れるキャスケットの言葉にローは返事をする事で精一杯だった。キャスケットがその性格ゆえにオロオロしていたのは分かっていたし、しかもそれをからかって楽しんでいたのは事実だ。が、まさかそんな事を思っているとは夢にも思わなかった。 話してしまえば隠す事などなにもない、というより開き直っているキャスケットに、ローが呟いた。 「…それならそれでいいじゃねぇか。おれだって、いやじゃねぇのに。」 酒の所為か拗ねるように言うローは、若干素直になっているようだ。いつもならばこんな調子のキャスケットは、ローの恰好の玩具になっていたはずである。何の裏もなく言葉の遣り取りをするのはある意味珍しい。 「そんな事したら、それこそ船長の思う壺じゃないですか。」 「・・・そーか?」 「そうですよ。おれだけ先に寝ちゃって、結局船長は起きたままになるでしょう?」 恨めしそうに言うキャスケットに、ローはのんびりとそれもそうだなと思う。今までの情事でローが先に眠ったことなど、二人の記憶には無かった。 「それでも、『キス一つで船長がそれ飲んで寝てくれるのなら』触れる位のキスだけでも。…そう思ったんですよ。」 降参、と言わんばかりに深々と溜息を吐くキャスケット。自分が言った事を完全に思いだしたのか、そっくりそのままさきほどの台詞を反復する。 とどのつまり、ローが勝手に悪い方向へと勘違いして勝手に拗ねていただけの話だ。勿論その一因にはキャスケットも入っているのだが、彼は彼なりの理由があっての発言である。 そう認めてしまえばおかしなもので、ローは笑い出したい気分になってきた。愚直なキャスケットなど、疑うだけ無駄というものだ。好きだと口にしながら相反した行動が彼に取れる訳がない。 そんな事を思っていたが、ローの思考はだんだんと定まらなくなってくる。 久しぶりの感覚に『眠るってこんな柔らかいモンだったかな』と思いながら、ローはキャスケットの腕をそっと掴んだ。 「・・・寝る。」 「え!?あ、はい!」 まだブツブツと「だいたい、船長へのキスをおれが嫌がる訳がない」だの「ペンさんならもっと上手く立ち回るんでしょうけど」だの呟いていたキャスケットは、ローの言葉に顔を上げた。言いたい事を言って誤解も解けて、安心したのだろうか。 酒が入っていなければこんなにスムーズにローの考えている事を引き出せなかっただろうと思うキャスケット。 何せローは勘が良い。戦闘時や状況判断には重宝するのだが、私生活では何故か歪曲してしまう事の方が多かった。敵意は鋭すぎるほど感じ取るのだが好意にはまるで無頓着であり、それが余計に今回のような誤解を生む要因になっているのである。 言葉というのは難しく、気をつけなければならないと分かっていたのにと、キャスケットは己の失態に内心溜息を吐く。同時に、もう失敗してなるものかと決意を新たにしたのであった。 「せんちょ・・・あ、の。」 気付けばしっかりと掴まれている腕に目を遣り、眉を寄せる。 当然目を瞑ったローからは見えていないものの、キャスケットはローが自身の一挙一動に集中しているのを感じていた。 もう同じ間違いはしないのだと、先程の決意を無駄にする事のないようそっと口を開く。 「船長。一緒に寝ても…、いいですか?」 するり、とキャスケットを掴んでいた細い手から力が抜けてベッドの上に落ちる。そしてローは無言のままもぞもぞと寝返りを打ち、キャスケットの為と思われる場所を空けたのであった。 その背から拒絶を感じないキャスケットは、何も言われないのを良い事にベッドへ潜り込む事に成功したのであった。 「えへへ。お邪魔します。」 「・・・・・。」 既にローは意識が虚ろなのか、胎児型に丸まったままキャスケットへ注意を向けようともしない。 自分は勿論、ローも寝間着だから寝てしまっても問題ないよな、と寝苦しくない服装かを確認しながらサングラスを外すキャスケット。お気に入りのそれを丁寧に畳んでサイドテーブルに置く。今日は良い夢が見れそうだなどとスッキリした気持で思いながらローの方を向く。 そうしてキャスケットが大人しく寝る体勢を整えていると、もう寝入ってしまったかと思っていた目の前の人物から背中越しに声をかけられた。 「きゃす。」 「船長?どうしたんですか?」 もしや今頃になって気分が悪くなってきたのか、とか、吐き気でもあるのか、と危惧するがどうやらそうではないらしい。 ロー自身夢と現を行き来しているようで、それは寝惚けるような穏やかな声であった。 「・・・きゃす。」 「はい。」 「すき。すげー、すき。・・・おれの、そばから、はなれんな。」 ぽつりぽつりと、寝言のように呟かれる言葉にキャスケットは目を丸くした。 「せ、んちょ・・・。」 ローはあまり言葉で伝えるタイプではないし、キャスケットも『ローから許して貰えること』が愛であると思っている節がある。それゆえにこの二つの言葉はキャスケットにとって衝撃的過ぎた。 ローとしても口に出すつもりはなかった言葉であるし、眠りの淵に居るため明日になったら覚えていないという可能性も否めない。キャスケットは「もう一回お願いします!」と言いたいのをグッと堪える代わりに、背中からローをぎゅうと抱き締める。 身体を動かすのが面倒なのか眠ってしまったのか、回した手が振り払われる事は無かった。 低い体温へ熱を分けるように、また、外敵から守るように、腕の中にローを抱き込んだまま、キャスケットはローの細い首筋にそっとキスを落とした。 「好きです。大好きです。愛してます。」 「だから、ずっと、ずっと一緒に居させて下さいね。」 キャスケットの言葉に、ローが薄く笑ったような気がした。 カチャリ、遠慮がちにドアが開かれる音が部屋に響く。 ドアの隙間から明かりが漏れていたので、起きているのかと思ったが、予想に反して室内は静まり返っている。 そっと忍び寄りベッドの上を見ると、安らかな寝顔が二つ。 「やれやれ…。確かに後は頼むと言ったが、一緒に寝ろとは言ってないぞ。」 恨みがましい台詞とは反対に微笑を浮かべてランプを手に取る。そしてゆっくりとテーブルまで歩き、空になっているカップに驚きつつ、それと一緒にキャスケットが読んでいた雑誌やローが読んでいた本を回収する。 「おやすみ、ふたりとも。」 そうしてペンギンは、静かに明かりを消して部屋を出た。 夜も更け、そろそろ就寝かという時間帯。 敵襲や嵐は無く、船内はひっそりと静まり返っている。 出来れば今夜は、このまま穏やかに朝を迎えてくれ。 ゆっくりと眠る二人を想い、そう願わずにはいられないペンギンだった。 fin. ******** オフ本に入れようとして頁の関係でお蔵入りになってた(らしい)小説を今更アップ。 なんか・・・・若い・・・・・・(文章とペンキャスローの三人が) 130415(書いたのは091031 4年前…だと!?) 水方 葎 |