* 誕生日おめでとう *




















ここ数日、キャスケットが浮かれている。
無駄に良い音程で鼻歌を歌うキャスケットを見ながら、ペンギンは内心溜息を吐いた。
否、キャスケットだけではなく船全体のテンションが高めである。オスロは常のテンションが高めなので変わり無いが、カモメは必要以上に海の気候を気にしていたし、パフィンを初めコックの皆はずっとキッチンに籠って何やら研究をしているようだった。他の面々もどこか浮足立っている。
それもその筈、明日は船長であるローの誕生日なのだ。
船長大好きが根底のクルー達が浮かれない筈がない。
「進路に問題無し、海域も安定…。」
地図に視線を落として呟いたペンギンは、眉を寄せた。
「問題があるのは、…船長か?」
もう一度溜息を吐いて、抜けるような空を仰ぐ。
冬島では珍しい晴天とは正反対に、ペンギンの表情は晴れない。
肺一杯に吸い込んだ空気は刺すように冷たいが、同時に清らかでもある。雲一つ無い空色に自身が包まれているような錯覚を起こしかけたところで、前方から声をかけられた。
「ねえ、ペンさん、明日ですねえ。」
締まりのない顔でにへらと笑うキャスケットの気持ちを考えると怒る気になれず、ペンギンはただ小さく頷いた。
「そうだな。」
「あー、楽しみだなー、楽しみだなあ。ね、プレゼント、バレてませんよね?」
「それ聞いたの今日で4回目だぞ。」
「へへ、だって気になっちゃって。」
船旅では個々に渡すのに限界があり、また荷物もかさむ。そういった事情から誕生日のプレゼントはクルー全員で買う事が暗黙の了解になっていた。事前に欲しいものがあれば強請る事もあり、無ければサプライズの品であったりと、中身はまちまちであるが大抵は自己申告だ。
例に漏れずローも高性能な実験器具一式が欲しいと言っていたのでプレゼントは決まっているのだが、船長だから特別にと別の物も用意してある。
キャスケットはそれが本人にばれていないか心配なのだ。
「・・・だが、去年の事があるからな・・・。」
「え?」
「ああいや、何でも無い。」
思案顔のペンギンに首を傾げるキャスケットだが、話す気がないらしい副船長を相手に問い詰めたところで勝敗は目に見えている。諦めたところでアニーに呼ばれたキャスケットは、訝しがりながらも船首へと走って行った。
その後ろ姿を見送りながら、ペンギンは去年の事を思い出す。
特筆すべき問題があった訳ではない。
皆の誕生日と同じように宴会をし、酒を飲み、楽しそうにしていたと思う。
それでもローの様子がどこかぎこちなく感じたのはペンギンの思い過ごしだろうか。
結局その理由が分からないまま宴会はお開きという名の就寝に入ってしまい、有耶無耶になったままである。もしも今年同じような気配を感じれば動かない訳にはいかないだろう。
杞憂であればそれに越した事はないのだが、と思いながらペンギンはもう一度空を仰いだ。


日が傾き始めている。











海王類や海軍に目立った動きは無く、夜は平穏に過ぎてゆく。
闇が海を覆って既に数時間は過ぎたであろう頃、ペンギンは自室でつけていた航海日誌を閉じた。インクが乾いていなかったかもしれないが仕方無い。慣れた手順で鍵を付け、棚に戻して立ち上がった。
耳を澄ましても聞こえるのは船体を打つ波の音だけであり、昼間はしゃいでいたクルー達も早々に寝入った事が窺い知れる。隣であるキャスケットの部屋からも起きている気配は感じられない。
ペンギンはぐるりと部屋を見渡して本日すべき事が残っていないか確かめると、静かに廊下に出て控えめのノックで己の存在を告げる。底冷えする空気の中、乾いた音が転がった。
「・・・・。」
5秒以内に拒否が無ければ入室可能、と教えられたのは乗船して間もなくの時だっただろうか。何となく昔の事を思い出しながらペンギンはそっと室内に足を踏み入れた。
「今日は早いじゃねぇか。」
勿論ローは寝ている筈もなく、ベッドの上で暇を持て余したように本を読み漁っていた。時間が早いだの遅いだのは関係無い。2〜3時間眠れれば良い方、普段は1時間程寝て起きてを繰り返している。
「船長、肩が冷えるだろう。」
ベッドまで歩み寄り毛布を掛け直すとローは不満そうにペンギンを見上げる。
「本読んでんだから当たり前だろ。」
「風邪をひく。」
「ひくかよ。ベッドの中も外も同じ温度だ。」
「それはそれで問題があるだろう。」
ローの体温は低く、冬島の海域ではそれが顕著に表れる。
ベッドに潜り込んでも元々の身体が冷えているのでは暖まる筈も無いのだ。だからペンギンかキャスケットかベポの内の誰かが夜に湯たんぽとなる、という事が決定付けられたのはつい最近の事である。
まるで自分のベッドのようにローの隣に潜り込んだペンギンは、中の冷たさに眉を顰める。
「・・・本当に変わらないな。」
「だから言ったろ。」
鼻で笑いながら本を閉じるロー。本はペンギンが来るまでの暇潰しだったらしい。その装丁は見慣れた物であった。
本を床に落としたローは、毛布の中でペンギンの体温を待っていたかのように擦り寄る。居心地の良い体勢を見つけるためにしばらくごそごそしていたが、やがて静まった。
「お前本当温かいな。何でそんな発熱してんだよ。」
「発熱はしてないと思うが。」
「おれの体感だと42度くらいあるぜお前。」
「いくらおれでも流石にマズいな、それは。」
そうだな医者のおれが言うんだから間違いない、などと中身の無い会話の応酬の後、ふと静かになる室内。普段よりも穏やかな波の揺れと聞き慣れている水音だけが響いている。
ペンギンの腕の中の体温が、漸く人間らしいそれを取り戻しつつあった。
「・・・船長。誕生日、おめでとう。」
ほんの僅か腕に力を込めれば、胸のあたりにある闇色の頭が小さく縦に揺れた。


そしてそのまま、部屋に声が発せられる事は無かった。











異変は感じたのだ。
ペンギンは昨晩の事を思い出しながら操舵室で海図にマークを付ける。
その隣ではキャスケットがテーブルに行儀悪く突っ伏していた。
「ペンさーん・・・もう昼ですよー・・・?」
「・・・・そうだな。」
ペンギンの起床時間にローがベッドに潜ったままなのはいつもの事であるが、今日はいつまで経っても部屋から出てくる気配が無い。普段ならば皆の朝食が終わるころ、遅くても昼までには姿を現しているにも関わらずだ。珍しく睡眠が取れているのだとしたら良い事だが、ペンギンの勘がそうでない事を告げている。
「ペンちゃん、昨晩無理させたんじゃないのぉ?」
いつの間に操舵室に入ってきたのか、オスロが卑下た笑みを浮かべて会話に割って入る。
「ちょっ、昼間っからそういう事言うなってこの変態!!」
しかし突然の登場と話の内容に慌てたのはキャスケット一人で、ペンギンは海図に線を書き加えながらも淡々と返す。
「昨日は行為自体していない。」
「ありゃ、拒否られた?」
「お前と一緒にするな。」
カリリとペン先が羊皮紙を引っ掻く。
沈黙が訪れた室内に、ペンギンが会話を続ける気がない事を悟ったオスロがキャスケットの襟首を掴む。
「ほらほらキャス坊、お前が居たらペンちゃんゆっくり考え事出来ないでしょーが。」
「いや、邪魔しに来てたの明らかにお前だよな!?つーか何しに来たんだよ馬鹿!」
「お前を回収しに来たんだよ馬鹿。」
そのまま力任せに引っ張って部屋を出ようとするオスロに、おれは船長が心配で、と絞まる首に咳き込みながらもがくキャスケット。今日は特別な日なのだ。普段ローが突拍子も無くとんでもない行動に出る人間だと知っているが故、心配になる気持ちは二人にも分かる。
だが此処でそれを論じても何の解決にもならない。
「オスロ。宴会の準備はそのまま進めてくれ。」
「はいよ〜。」
「キャスケット、お前はそろそろ見張りの時間だろう。」
「あ、そういえば!」
はたと思いだして抵抗を止めるキャスケットにわざとらしい溜息を吐いたペンギンは、ようやく顔を上げて視線を合わせた。
「お前の見張りの時間が終わっても船長が出てこなかったら、様子を見に行って来ればいい。」
多分起きないだろうが、という言葉は飲み込んでおく。
"副船長の許可"を貰ったキャスケットは、その言葉を聞いた瞬間笑顔になる。
「っしゃあ了解!じゃ、おれ見張り行ってきまーす!」
先程までの気力の無さは何処へやら、オスロの手を振り解いたキャスケットは意気揚々と見張り台へと駆けて行った。
「・・・躾は幼犬期から必要って言うぜ?」
「だとしたら手遅れだな。」
残された二人がそんな会話をしていた事など、キャスケットには知る由も無かった。






「やっぱり寝てるみたいでした・・。声掛けても返事無いですし、小さくですけど普通に寝息たててましたし。寝てるのなら起こすのもどうかと思って・・・。」
キャスケットから予想通りの報告を聞いたペンギンは、仕事にひと段落をつけてローの私室に向かっていた。もう日が半分ほど沈んで、残り少ない茜空すら暗闇に変わろうとしている。何だかんだ言ってクルーを大切にしている船長が一日中その姿を現さないというのはやはり何かあるのだろう。
昨晩と同じように軽くノックをし、薄暗い室内へと滑り込む。
一日中締め切ったままだというのに空気は淀んでおらず、嗅ぎ慣れた薬品の匂いが漂っている。
「どうしたんだ、船長。皆宴会の準備をしているぞ。」
ベッドの上で毛布に包まり、見た目だけ寝入っている姿に躊躇いも無く声を掛けるペンギン。自分には寝たフリなど通用しない、とでも言うかのように。
「・・・・・分かってる。」
くぐもった声が案外しっかりしている事に安堵しつつ、ペンギンはベッドの端に腰を降ろした。
少しだけ顔を覗かせたローの隈はいつも通りである。
「身体の調子は・・変わらずか。」
「うっせぇ。」
寝た振りなどしていても結局は振りでしかない事を皮肉られ、ローはふいと寝返りをうつ。その痩身に、これでは埒が明かないと悟り直球勝負に出る事にする。日中を通して考えていたが、この件に関しては一切心当たりが無いのだから致し方ないだろう。
「何か気に喰わない事でもあったか?」
「気に喰わない訳じゃねぇよ。」
まるで親子のような会話だ、と思わないでもなかったが勿論口には出さない。
何か手掛かりは無いかと視線を巡らせるが、サイドテーブルにサプリメントの缶が4つ置いてあるだけだった。今日は食堂にも来ていないから水すら飲んで無い、という事実にはたと気付いたペンギンは、己の迂闊さに内心舌打ちをする。せめて水くらい汲んで来れば良かった。
「今日ばかりは食べ物を勧めたりしない。ただ宴会にだけは出てやってくれないか。」
「・・・・・。」
「宴会が嫌なのか?」
黙秘のローに畳みかけるように質問すると、不貞腐れた表情のままローがむくりと起き上がる。胸元に毛布を掻き集め、じろりと半眼でペンギンを見やる。
「おれを誘導尋問する気かよ。」
「今日ばかりは強硬手段も辞さないが?」
クルー達の代表である副船長だからな、と続けるペンギンに、ローが強硬手段って何だよと呆れる。
そこから先会話は進まない。居心地が悪い類の沈黙が二人に圧し掛かる。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
ローが口を割る気はないらしい。ペンギンはそんなローの様子を見ていたが、無理に彼の内を暴くのは本意ではないと思い肩の力を抜いた。
「あいつらの代表ではある・・・が、船長の右腕(いちぶ)でもあるからな。」
言外に黙秘可能だとにおわされ、ローは大きな溜息を吐いて毛布を頭から被った。
「ああ、もう。わーった。言う。言うから、笑ったら不能にしてやる。」
どうやら自分の中で諦めがついたらしい。些か脅しを含めた開き直りだが、ペンギンに効く筈もない事は承知の上だろう。黒髪がそっと頷いたのを見て、ローは口を開くものの言い辛そうに視線を辺りへ彷徨わせる。
「あー・・・。」
「・・・・・。」
言い淀むローに無言の相槌を打つペンギン。こうなったらいつまででも待つ覚悟である。
その様子に後押しされるかのように、ローは再び溜息を吐いて顔を背けた。


「・・・慣れて、ねえんだよ。」


「・・・?」
「だから、なんつーか。・・・おめでとう、なんて言われてもおれの中じゃ全然めでたくも何ともねぇし。だからそんな目で囲まれるのが、・・・くすぐってぇっつーか・・・。」
ぼそぼそと話すローに、ペンギンは目を丸くする。
確かに幼少期の話を聞いた事がある身としては、祝う感覚など無かっただろう思うペンギン。寧ろ呪われた日という認識の方が強そうだ。それに彼の事だ、海に出ても祝う習慣自体が無い為、のらりくらりと忘れたふりなどをして適当にかわしてきたのだろう。
祝われ始めたのは海賊となったここ数年の事で、嫌でも意識するようになってしまったと言う。
ぽつりぽつりと紡がれる話の内容は、他者にとってみれば「何だそんな事」で終わってしまうようなものかもしれない。けれど、当たり前の事を感じられずに過ごした彼の幼少期や、ここ数日あからさまに浮足立っていたクルーの様子を見ていたローの気持ちを思う。きっと彼の居た堪れなさは相当なものだっただろう。主役であるにも関わらず、疎外感すら感じていたかもしれない。
他人の誕生日を祝う時は誰よりも大はしゃぎする癖に、自分の時となると疑問や居心地の悪さを感じてしまうローに、ペンギンは胸を締め付けられる感じがして気付けば毛布ごと彼を抱き締めていた。
「それでも。それでも、言わせてくれ。船長が居なければ、おれという存在も此処に無かった。ハートの海賊団は、無かった。」
「・・・・・・・。」
「トラファルガー・ローという人間が産まれた事が・・・うれしいんだ。」
要は気恥ずかしかったが故の寝た振りと言ってしまえばそれだけだが、付随する彼の半生がその裏側を物語っている。決して恵まれていたとは言い切れない半生だが、それでも彼が、自分が産まれ出会えた事がペンギンにとって尤も重要な事だった。
きっとこの気持ちはクルー達も同じだろうと思う。ペンギンはキャスケットの締まりない、だが喜びに溢れた笑顔を思い出していた。
「だから、皆でこの嬉しさを共有したい。」
「・・・・別に、祝われるのが嫌な訳じゃねぇよ。ただ、」
「ああ。分かってる。慣れていないんだったな。」
抱き締められたまま、ローが小さく頷いた。
見られたくないだろうと思い毛布で隠したが、きっと顔は紅いだろう。
そうしてしばしローを腕に包んで穏やかな感覚を楽しんでいたが、ふと扉の外から気配がしてペンギンは顔を上げた。
複数人、ひそひそと息を詰める気配。あれで殺しているつもりだろうか。
毛布の隙間から服をちょいちょいと引っ張られたペンギンは、そちらに視線を流す。勿論ローも気付いていたらしい。骨ばった手が中指を使い、入れてやれとサインを送っている。
船長として、そしてクルー達の想いを一身に受けているからこそ心配されているという自覚はあるのだろう。逆に気を使わせてしまったな、と思いながらペンギンは扉の外に向かって声を上げる。
「お前達、入って来い。」
その言葉に、張りつめた気配が一斉に解かれる。
と同時にそっと開けられた扉。二人の位置からは死角になって見えないが、きっとクルー達が申し訳なさそうな顔を覗かせていることだろう。
「す・・・すいませ、でもおれ達心配で…。」
「ペンちゃんに任せとけばイイっつってんのによー。キャス坊がさあ。」
「ほんとほんとー。」
「最初に坊やをたき付けたのアンタらでしょーが!」
いの一番に出て弁解を始めるキャスケット、調子のいい事を言うオスロとベポを殴るカモメの怒鳴り声。他にも和気藹々としたクルーの声が廊下に響いている。
見張り番を放り出している奴はいないだろうな、とペンギンが眉を寄せたと同時に、ローがペンギンの腕をするりと抜け出した。
「えーと、それであの。ペンさん、いや、船長、」
二人が見えるところまで遠慮がちに歩み出たキャスケットは、どちらに話しかけるべきかしどろもどろとローとペンギンを交互に見る。
彼の言いたい事など既に知れている。
が、煮え切らない様子にローは思わず毛布を跳ね退けた。
「ああもう、うっせぇな・・・分かってる。今行く。」
これだけ集まられては宴会をしない訳にはいかないだろうと、吹っ切れたのかもしれない。
船長の言葉にわあと上がる歓声。良かった、だの準備の仕上げしてくる、だのと口々に言うクルー達のテンションが一気に上がる。先程とは違った騒がしさに、まるで部屋が暖かくなったような感覚に陥る。
立ち上がったペンギンが、毒吐きながらも服装を直しているローへ手を伸ばした。
「さあ、祝わせてくれ。船長。」
「・・・・・・・・。」
逡巡の迷いの後、ローの手がペンギンに重ねられた。
引かれるまま立ちあがったローを、見慣れたクルーの面々が満面の笑みで出迎える。


「誕生日、おめでとうございます。」


「・・・あぁ。さんきゅ。」
皆の視線を受けて、照れ臭そうにローが笑った。








太陽が溶け落ちた冬の海の上で、宴会が始まろうとしている。

























fin.





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こんな面倒くさい当家の船長ですが一つ歳をとった模様です^^
ローさん誕生日おめでとう!!!





101008(気持ちは101006) 水方 葎