* 葬儀 *




















「オイ、早く!早く船長を呼べ!!」


「まだあっちに残党が居るぞ!!」


騒然とする甲板の上、おれは一人の男を見下ろしながら不謹慎にも羨ましいと感じていた。








船の上の戦火は収まりつつある。
敵将の首も取り、勝利は目に見えて明らかだ。
戦場は専ら相手方の船だったから、おれ達の船に損害は無い。
けれど、だからといって完全勝利という訳じゃなかった。
「あ、ぁ、・・・ぐぁ・・・!」
「今。船長が来るから。」
「は、・・は、ぃ・・」
おれの足元に転がる男の脇腹は虚空だ。最早溢れる血も無いのだろう、その空洞からは何も出てこない。ただぬらりと濡れたグロテスクな肉が顔を覗かせていた。床一面に広がる赤が手遅れを物語っている。
歓声と怒号と悲鳴に気付いた時は、遅かった。
先程カイン―同い年のクルーだ―に状況を掻い摘んで聞いたけれど、どうやらコイツよりも格上の相手だったらしい。見た目以上に小回りのきくバズーカで正面から一発。庇う時間すら無かったとカインは悔しそうに言っていた。
けれど命のやり取りなんて、得てしてそんなもんだとおれ達は知っている。
淡泊かもしれないけど、事実だ。
事実なんだ。


ガヤをBGMにして、おれは呆けたように男を見下ろしていたらしい。ふと背後に影が差したので顔を上げて振り向くと、そこには少し息を切らした船長が無表情で立っていた。
「・・・・せんちょ・・」
「情けない声出すな。」
余程途方に暮れた声を出していたのだろうか。船長はピシャリとおれを叱咤して、男の傍らにしゃがみ込んだ。
気配を感じたのだろう、男は閉じた瞼をうっすらと持ち上げる。力が入りきらないのだろうその目は、船長を眩しそうに見上げている風にも見えた。
「・・・せ、ん、ちょう・・」
「おう。・・・悪かった。守ってやれなくて。」
男は小さく、いえ、と唇を形作った。
「最期に言い残す事はあるか。」
船長の別れは、至ってシンプルだ。
泣き喚いて生きろと言わない。
怒りもしない。
今までの事を掘り返したり、思い出を語ったりもしない。


ただ淡々と、葬儀は成されてゆく。


そう、これは儀式だ。


「お、ぉれ、」
ガクガクと男の顎が震える。勿論意識的なものじゃないだろう、ただの身体反応的な痙攣だ。それに伴い、元から小さかった声もどんどんと消えてゆく。そっと口元に近付き耳をそばだてる船長が何を考えてるか、おれには分からない。
けれど、男が望む事は分かる。
「・・・に、・・・・・・・ぃ、」
手に取るように、分かる。



―船長に、殺して欲しい。




ゴフリと、男が血の塊を吐いた。もう最期は近いだろう。
「ぉれ、おれ、船長が、好きで・・・、最期、は、敵じゃ、なくて、」
「分かってる。」
血を吐いた事で少し通りが良くなったのか、男の言葉は止まらない。
船長は厭う事無く血溜まりに膝を付き、男の上半身をゆっくりとその腕に抱え込んだ。びちゃり、びちゃりと血と布が擦れる音がやけに近く感じる。おれは黙って二人を見下ろしていた。
「あぁ、もっと、もっと一緒に居たかった、旅したかった、」
すっと気配もなく、愛刀の掴が船長へ差し出される。差し出したのは、何時の間に来ていたのだろうペンさんだ。
船長は何も言わず、すらり、と鞘から引き抜いた。
こんな時でさえ、いや、こんな時だからこそだろう、美しく凛と響く音。
「すいませ、せんちょ、さいご、めいわ・・く、」
「ああ。」
「おれ、おれ。このふね、すごく・・・、すき、で、」
「知ってる。」
「見たいもの、やりたいこと、まだ、たくさん・・・それでも、おれ、へへ・・・し、しあわせ、かも・・・」
「そうか。」
「だって、・・・船長の、手で・・、」
それは男の本音だ。
だからこそおれは、この男を羨ましがらずにはいられない。
けど、だからって。
「・・・・・・ッ。」
おれは知らず歯軋りをしていた。
仲間が減る事を悲しんでいる訳じゃない。
それもあるけれど、これは、そう。
妬みと怒り。
確かにおれはコイツが羨ましい。船長の腕の中、殺して貰えるなんて。船長の手にかかる暇も無く、船長を見る事もなく死んでいったクルーだって多い。この船に乗る奴らは皆『最期は船長の為に』を信条にしているのにも関わらず、だ。勿論おれだって何時死ぬか分からない船上での生活、最期に船長の姿を見れるかどうかなんて分からない。
だからコイツは幸せなんだと思う。





―けれど、お前を斬った後の船長の無表情(かお)を、お前は見ないのだろう!!!





ひゅーひゅーと、静かに息の漏れる音が続く。
もう動かないだろうと思っていた腕が、緩やかに船長へ伸ばされる。船長は男の上半身を抱き上げたまま、じっとしていた。
血塗れの手が、救いを求めて宙を彷徨う。
「故郷、親、残し・・・、て。ヘヘ、手紙くらい出せば・・・・・あぁ、武器、おれの刀曇ってきてて・・・、洗濯物が、・・・宴会の・・グラ、ス、・・・・・そ、・・だ・・、船長にフルーツ買ってあり、ま・・・・、」
意識が混濁しているらしかった。霞んだ目はもうおれ達を映していないのかもしれない。唯思い付く限りの言葉がその場に連ねられてゆく。
断片的な記憶回帰、まるで走馬灯を外から見ているような錯覚に陥る。
それがふつりと途切れたと思うと、震える手が、指が、船長の胸元に辿り着いた。
「・・・・・しにたく・・・・ない・・・。」
同時に流れる一筋の涙。
やはりおれは怒りを隠しきれずに男を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。殴るだけじゃ済まさない、殺してやる。おれが、おれの手で。船長の手になんてかけさせてやらない。やりたくない。
けれどおれの不穏な空気なんて、当たり前だけれど男には届かない。もうおれ達の方に意識があるのかどうかすら疑わしいな、やはりおれが殺すべきだろうか。
そう思っていると男の唇が震え、微かに動いた。



『ありがとうございました』



その目は驚くほどはっきりと、確かに船長を捉えていた。



船長だけを、捉えていた。




「ああ。―またな。」
瞬間、男の心の臓に刃が突き立てられる。
男が苦しそうに泣いて、笑ったような気がした。
良かった。
おれは今までの憤怒も忘れ心からそう思った。
船長がその命を手にかけるというのに、お前の意識が無かったら、船長は一体誰を殺すのか分からなくなってしまう。ただ『クルーを手に掛けた』という一方通行の事実だけが残ってしまう。今でさえ十分最悪だというのに、そんな事になってはいけない。
それだけは何としてでも回避したかった。
だから、安心した。
何処に血が残っていたのか、胸部から噴き出すそれは余りにも温かだ。幾度目かになる吐血をして男はピクリとも動かなくなる。死ぬとはこういう事だ。おれはこの男と笑い合ったり喧嘩したりした日々を思い出しながら、昨日の軽口を思い出しながら、そう思った。
死ぬとは、こういう事なんだ。
男の返り血に塗れた船長からは相変わらず何の気配も感じない。悲しみも、憂いも。
ただ酷く緩慢な動作で刀を引き抜き、視線を動かさず背後へ柄を向ける。控えていたペンさんが当たり前のように血の滴るそれを受け取った。
儀式は続く。
例え当人がこの世から居なくなろうとも。
「・・・・・。」
もう船長から男へ贈る言葉などない。
いや、そうじゃない。抜け殻に贈る言葉が無いんだ。
刀を渡した事で開いた手が、そっと男の瞼を撫で閉じさせる。垣間見える男の満足顔に、おれの怒りは思い出したかのようにふつふつと蘇ってきた。
そして船長が男の額にふわりとキスを落とした瞬間、おれの妬みと怒りはピークに達する。
けれどいくらおれが怒ったって男が生き返る訳じゃない、船長がクルーを手に掛けた事実が消える訳じゃない、船長が無表情の裏に抱えている気持ちが消える訳じゃない、分かってはいる、それが余計に腹立たしい。
船長が男の身体を持ち上げ、立ち上がる。流れる風が血の臭気を浚う。びちゃびちゃと滴る濡れた音は無機質で、既に持ち主がこの世に居ない事を辺りに知らしめているようだった。
船長によって最期を迎える事が出来た男は、そのまま船長の手によってその身を海に沈めるだろう。船長は何も言わない。何も表情に出さない。
けれど、確かに男によって何かを孕まされているのだろう。
そしておれもいつか孕ませてしまうのだろう。
この、愛する人を。


羨望と怒り。
望みであって、望みでない未来。
おれは相反する想いを胸に、男が海へ沈められてゆく様を見送っていた。










葬儀は淡々と成されてゆく。













fin.





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葬儀とは残された人の為の儀式でもある。




100606 水方 葎