|
※無料配布とオフ本の没ネタの2編です * 初めまして世界 * 広漠な海を氷色の双眸が見詰めている。 手摺に凭れ、海に魅入られたかのように動かない姿はまるで抜け殻だ。 「船長。」 その様子を背後で見守っていたペンギンが、小さく声を掛ける。 しかしローは動こうともせず、ただひたすらに海を眺めていた。 既に半刻程この調子で、ペンギンもまた、ローの後ろで壁に背を預けてその様子をずっと見守っていた。だがそれも外気が冷えてきており、そろそろ部屋の中へ促そうかとペンギンは身を起こした。夕方には遠いが海域は冬島で、日中といえど気温はあまり上がらない。薄着で外に出ていれば尚更体に悪いだろう。 「船長。そろそろ部屋に入らないか?」 出来るだけローが風下になるように隣へ寄り添ったペンギンは、前を向いたまま諭すように提案する。ちら、とローの瞳を盗み見てその視線を辿るが、結果はいつもと変わらぬ青の海だった。 「…なあ。」 ようやっと、ローが小さく口を開いた。 しかしそれは風が鳴らす笛音と波のざわめきに掻き消されそうな程の声量で、ともすれば聞き逃してしまいそうなものだった。隣に立っていなければ、きっとペンギンも分からなかっただろう。 「どうした?」 出来るだけ優しく、ペンギンは問い返す。 ローは薄い唇を僅かに開いて、呟いた。 「おれがもし…、海が赤い、って言ったらどうする?」 「海が、赤い?」 「そう。海は赤だ。」 小さく頷く。 今二人が、そして世界が見ている海は青。それは常識ともいえる。 そしてローの言葉は、その常識とは正反対を告げるもの。 質問の意図が見えないペンギンだったが、最早ローからの突然の問答には慣れたものである。余計な問い返しはせず『その状況』を頭の中に生み出し、思ったまま答えを返すのが一番だという事を彼は知っていた。 「まず色盲…目の異常を疑うだろうな。」 海は赤い。そんな事を言い出せば、常人ならばまず頭や目の具合を疑うだろう。ペンギンの発した人類の模範的な解答へ、ローは詰まらなさそうに、ふぅんと生返事をする。 「…成程な。」 そうして分かったように頷いて、特に質問に意図は無かったと告げたローは何事も無かったかのように黙り込む。 意識は再び海の方へと向いていた。 そんなローの様子に、思考を落としていたペンギンが顔を上げる。 「ああ、違う。そうじゃないんだ。」 「違う?」 「おれが言いたいのはそういう事じゃない。」 ローはゆっくりとペンギンを振り返る。 誤解をしないでくれ、と言いたげな漆黒の瞳に首を傾げた。 「何が違うんだよ。」 「おれが疑うのは、おれ自身だ。」 「……?」 ペンギンは一言一言区切るようにはっきりと告げ、ローも聞き返しようが無かった。けれど自分を疑うというペンギンの言葉の意味が分からず、もう一度首を傾げて無言で話の先を促した。 「船長が『海が赤い』と言い出すんだろう?」 「ああ。」 「おれには青く見える。だからおれはおれ自身の目を疑うんだ。」 「……ちょっと待て。」 途中までは頷いて聞いていたローが、最後の言葉に思わず待ったをかける。海が赤いと言い出した者の異常を疑うのなら常識的かもしれないが、そうではなく自分の異常を疑い出すというのはとてもじゃないが普通ではないだろう。 「キャスも、クルー達も、皆『海は青い』って言ってるんだぜ?」 「何故そこで他の奴が出てくるんだ?」 今度は逆にペンギンが理解出来ない、というように首を傾げる。 「『船長が』、海が赤いと言っているんだろう。」 「…そう、だけどよ。」 「なら、それがおれにとっての『本当』だ。他の奴らの言う常識や世界の色など、どうでもいい。」 淀み無く言い切る姿に、ローは目を丸くする。 ローの見ている色や物こそが本当だから、自分の見ているものがいくら大多数の者と同じだとしても、それは偽りでしかないとペンギンは言う。 「空が緑だ、って言っても?」 「空が緑だと言っても。」 酷く馬鹿げた話をしているという自覚がローにはあった。自分が問いを投げたにも関わらずどんな表情をしていいか分からなくなり、顔を背けて海へと視線を戻す。 波の音が一際大きく響き、船体にぶつかった。 「実際そうなったら、船長に手術をしてもらうとしよう。」 ゆらり、波に乗る足元に身を任せながらペンギンが呟く。 「手術?何で。」 「当たり前だろう。」 横目でペンギンを見て訝しがるローだったが、ペンギンの視線は先程までローが眺めていた海にある。 「おれはローが見ている、海が赤く空が緑の世界を一緒に見たいんだ。」 ――同じ世界で、同じ物を見ていたい。 ――隣に立っていたい。 「世界中の全員がそんな世界は異常だと言っても構わないさ。」 そう言って鼻で笑うペンギンに、ローは幾度か瞬きをして、ふと笑みを漏らす。 「馬鹿だな。」 「船長の隣に居られるのなら、馬鹿で構わないさ。」 「…訂正。馬鹿で恥ずかしい。」 呟いて俯くローの耳はほんのりと朱に染まっている。照れ隠しに小さく毒づくのは今に始まった事ではなく、ペンギンはそれを見て満足気に微笑んだ。 「ったく…部屋戻るぞ。」 「そうだな。だいぶ冷えてきた。」 ペンギンの顔を見る事なく踵を返すローに、ペンギンもその後に続く。 変わる事のない海を見ていたローが、何を思って問いかけたのかなどペンギンには知る由も無い。けれど抜け殻のようだった表情が温度を取り戻した事実が、ペンギンの答えは間違いではなかったと告げている。 「……手術の予約くらいは、受け付けといてやる。」 その言葉は、ローがペンギンの想いを受け取ったという事だろう。 風に掻き消されそうな呟きだったが、ペンギンは安堵して頷いた。 「ああ、頼む。」 海が赤だろうと空が緑だろうと、共に在りたいという気持ちは揺るぎはしない。そう思いながらペンギンは、肩越しに海を振り返った。 海は青く、空は蒼。いつもと変わらない色。 ローがペンギンを呼ぶ。 「ほら、寒ぃから早く入るぞ。」 「…おれがそれを言いに来たんだがな。」 そうして二人は、同じものが見える世界で生きていく。 この先も、ずっと。 fin. ******** 09.02.21「新世界へ!!」で無料配布した小説でした。 * 無言の返事 * 「…お前が死んだら、おれはどうするだろうな。 『不吉な事を考えないでくれ』 って、顰め面するかもしれねぇな。あ、いや、 『船長が航海を続ける中で、たまに思い出してくれるならそれでいい』 とか言うか?まあ、いい。それはどうでもいい。問題はお前の台詞じゃねぇし。そう、重要なのは、お前が死んだらおれはどうするか、だ。どうせお前はおれより早く死ぬだろ?むしろそうじゃねぇとおれが困る。なら、少し先の事を今考えたって良いじゃねぇか。いつかは考える事だ。 『いつか、な。』 明日かもしれねぇし、五十年後かもしれねぇ。何年後なんていう話も重要じゃねぇから横に置いとくけど。まず、今お前が死んだにしろ、どっかの島で死んだにしろ、海で死んだにしろ、墓は作らねぇぜ。そんな時間の無駄があるなら、航海を続けた方が余程有意義だしな。 『光栄だ。』 って言うかどうかは知らねぇけど。ああ、キャスは絶対泣くだろ、アイツ。人目も憚らず号泣するタイプだ。そんで体力消費していつの間にか寝る感じじゃねえ?次の日なんか、絶対目ぇ真っ赤になってるぜ。それどころか瞼が腫れて開かなくなってるだろうから、指差して笑ってやる。お前が見たら苦笑いしながら 『あまりからかうんじゃない』 とか言うんだろうけど、死んだ奴の言葉なんておれには届かねぇよ。あとは、そうだな。副船長を新しく決めねぇと。…まあ、手間だけど。死んだ奴を想って副船長ポジションを空けとく、なんて愁傷な真似しねぇぜ、おれは。 『有難い事だ』 っつーだろうな。けど副船長居ねぇと雑務面倒だろ。何かあった時の為に、おれ以外に纏め役は作っとくべきだからな。それにクルー達の為にも。まあでもお前ほど細かい気遣い出来る奴なんてこの船には居ねぇからな…多分、いや絶対比べちまう。お前はこうだった、ああだった、って。 『・・・。』 分かってる、死んで居ないなんて事は、分かってる。泣いて叫んで、喚いたら戻ってきた、それはそれで気持ち悪いだろ。お前死んだ筈じゃねぇか、って。もしそうなったら、おれは真っ先にお前を解剖するぜ。安心しろ、どうせ死んでんだから全身麻酔は必要ねぇ。手早く捌いてやるから。まあ、お前がヨミヨミの実の能力者でした、とか言うなら話は別だけどよ。お前泳げるもんな。何回も海に飛び込んだおれを抱え上げてるのは、おれが一番良く知ってる。 『その度に寿命が縮む思いをだな…、』 なんて死んだ後にブツブツ言うんじゃねぇぞ。そういえば、どうせ生真面目で心配性なお前の事だ、部屋に船の事を纏めた書類を作ってあんだろ?まあ、船の事はそれ見たりして、時間が経って落ち着けばどうにかなるだろ。人間なんてそんなもんだ、空しいほどに順応性がある生き物だからな。お前一人が居なくなったって船は進むんだぜ。 『逆に止まったら困る』 お前はそう言うだろ?はは、そりゃそうだよな。副船長一人死んだ位で船が解散になったら、何のためにお前が死んだのか分かりゃしねぇ。さっきも言ったが、泣いてもお前は戻ってこねぇ。…けど、どうだかな。おれは、どうするだろうな。いや、別に船を止めるって話じゃねぇよ。泣くかどうかの話だ。基本的に無駄な事はしたくねぇけど、身体の機能が壊れてない限り、生理現象なんて止められねぇだろ?ほら、あれだ。セックスの時に涙が出たりする感じ。あれだって止められねぇだろ…、ってお前は分かんねぇよな。逆になれば分かるぜ。まあ、お前に突っ込む気起きねぇからいいけど。突っ込まれたいなら、なんて言っても 『遠慮する』 って答えは予測済みだ。…あ、セックスで思い出した。お前が死ぬと、そっちも困るよな。この年で右手が恋人なんて洒落になんねぇし。かと言ってそこらの島で適当な女抱くのは今更だ。行きずりの女なんて、何企んでるか分かったもんじゃねぇし面倒くせぇ。こうなったらお前の死体をホルマリン漬けで保存しとくしかねぇな。ある程度なら腐敗は防げるだろ。ま、お前の身体に慣れるのも良い事ばっかじゃねぇって事か。ああ、そうだ。泣くかどうかって話だったな。そうだな、少しなら泣いてやってもいいぜ?そしたらお前、慌てて起きるかもしれねぇだろ? けど、まあ。 寝た振りしてる奴には本当の事なんて教えねぇよ。」 『…バレていたか。』 ローがククと笑い、ペンギンは居心地悪そうに小さく寝返りをうった。 いつもの夜の、出来事である。 fin. ************* オフ本「日常クリップ」で没にしたものをアップ。 ローさんの盛大な独り言にみえて電波で会話してるペンロ夫婦でした。 ペンギンが生きてるのか死んでるのか、ローの最後の一言まで判別つかない。 っていう文が上手く書けなくて(?)没。 なので「とあるクルーの日誌」の頁が増えたんです(・ω・`)<裏話 100215 水方 葎 |