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* 悪戯 * "キャスケット弄り"というのは、自他共に認めるローの趣味の一つである。 弄られる方はたまったものではないだろうが、本人は案外幸せそうなのでクルーの誰しもが船長に止めるよう進言したりはしなかった。 そしてペンギンもその内の一人である。 あと少しで日が落ちようかという時間帯、ペンギンはローの私室で本を読んでいた。 特に優先しなければならない事が無い限りペンギンはローの傍に居るし、ローもそれについて何も言わない。逆にローの方から思いついたようにペンギンへ指示する事が多々あるため、傍についていた方がお互いに楽だという暗黙の了解が出来ているのだ。 共に居た方が、気を使わない。 それは二人が出会ってから今までの時間で築き上げてきた、貴重な関係である。 ゆったりとした時間を堪能しながらテーブルに本を数冊広げていたペンギンは、ふと聞こえてくる足音に耳を傾けた。ローもベッドに腰掛けて新聞を広げている為、部屋の中は静かなので気配や音を感じ取りやすい。 近付いてくる、とんとん、という軽快なそれは二人にとって聞き慣れたものであった。 何か良い事があったのだろうか、比較的軽い足取りが続く。その足音の持ち主の部屋は階段を上がってすぐなのだが、音が途切れないという事はこの部屋に近付いているということ。つまりペンギンかローに用事があるのだろう。それか、ペンギンと同じようにこの部屋で時間を過ごそうと考えているか。 どのみち二人きりの時間は終わりだな、と何をしていた訳でもないがそんな事を思うペンギン。他のクルーを交えて皆で居るのも決して悪くないが、二人っきりの時間も貴重だと思っているので少しばかり名残惜しい。 ペンギンがそんな事を思っていると想像通り軽い足取りはドアの前で止まる。 次いでノックが聞こえてくるだろうという、その瞬間だった。 「あっ・・・、待てって、ペンギン…!!」 ローの喘ぎ声が耳に届いたのは。 「・・・・・・・・・・。」 思わず固まってしまうペンギン。 勿論聞こえたのはペンギンだけでなく、ドアの外の人物も同じだろう。 だが悲しいかな、ペンギンはこういった事態に慣れてしまっている為回復も早かった。 バッと振り返ってローを見るが、彼は新聞に顔を落としたまま詰まらなさそうに記事を目で追っている。ペンギンと視線を合わせる訳でもなく、先ほどの喘ぎ以外何を言う訳でもない。ただ、いつも通りの横顔だった。 ともすれば先程の喘ぎなど幻聴かと疑ってしまいそうになるほど、涼しい顔である。 その横顔を見た途端、ペンギンは笑い出したい衝動に駆られた。 声を上げて笑うなんて久しい事だろうが、兎に角笑いたい。 けれど今笑い出したら、面白くない。 そう、面白くないのだ。 ペンギンは己の衝動を抑え込み、未だドアの外で固まっているであろう人物に聞こえるよう口を開いた。 「すまない、船長・・・抑えが効きそうにない。」 物はついで、とばかりにガタリと乱暴に椅子の音を立てる。部屋の中を想像している者にどう捉えられるかは想像に容易い。実際には椅子を蹴倒したのではなく、座り直しただけだったが。 そうしてペンギンは再度、読みかけの本の頁を捲る。 ノックの音は、一向に聞こえてこない。 「こんな時間っ、誰か来たらどうすんだよ・・・!」 引き攣るローの声が妙に生々しく、実際に行為に及ぼうとしているような錯覚を起こすペンギン。 行為を進めようとして断られた事やこんな風に慌てられた事など今まで経験に無い。それが余計ペンギンの悪戯心を助長させてゆく。 ギシ、とベッドのスプリングが鳴ると同時に、小さく新聞が捲られる音が部屋に響いた。 「大丈夫だ、今は安定した海域に入っている。何か事件でもない限り、誰も来ない。」 自分が決して口に出さないであろう台詞を言うペンギン。 事件がない限り誰も来ないなんて言い切れる程、慕われていない船長ではない。寧ろ常に誰かが居るのではないかという位この部屋にはクルーが多くやってくる。船長が居ないのにクルーが居るなんていうことはザラだった。それに、いつ何が起きるか分からない海の上で、「大丈夫だ」などと宥めるだけの言葉をペンギンは決して口にしない。 加えて、こんな夕方から手を出すほど青くはない、と自負していた。 全てはこのような時だからこそ言える遊びである。 そう思いながら読み終えた2〜3冊の本を纏めていると、背後からドサドサ、という軽くはない落下音が耳に飛び込んでくる。以前気に入らないと言っていた、重りが入ったクッションを落とした音だろうかと予測をつける。 「しかも、・・床、かよ…!・・・ん、んんっ・・・。」 背後から聞こえてきた声に、ローも"普段有り得ない状況"を作り上げて遊んでいるのだと理解した。 何しろ床の上で行為に及んだことなど、一度もないのだ。 それはなるべく痛い思いをさせたくないと思うペンギンのエゴである。そんな心情をローも理解しているのか、何もないところでそういう雰囲気になれば「ベッドへ連れて行け」などとペンギンに都合の良い命令を下すのだ。勿論、自分の為でもあるだろうが。 「はっ・・・・、たまには、イイだろう・・・。」 なるべく落ち着いた、だが切羽詰まっている様子で返すペンギン。 少し大きめの声でないと外に漏れ聞こえないだろうから、そのあたりも注意しておく。対するローはペンギンよりドアから離れた場所に居るにも関わらず、よく通る声のお陰で心配は無用だろう。 ペンギンがなるべく音を立てず息を顰めて本に挟む栞を選んでいると、テンポが良かった掛け合いの中、次のローの声が聞こえてこない事に気付く。様子をいぶかしんで振り返ると、ローは相変わらず無表情だったが、その視線が新聞の記事からドアの方向へと移動していた。 つられてペンギンもドアの外の気配を窺うと、分かりやすいほどにうろたえているのが感じ取れる。声を上げていないのが唯一の救いだろうか。普段ならばノックをしてもいないのに「失礼しました!!」と叫んで逃げる事くらいはしそうである。 本来ならドアの外にまで漏れるような大きな声を出している点や、微妙に不自然な物音などで本当に行為に及んでいない事が分かりそうなものだ。けれど情事に関しては初心な面を持つドアの外の人物は冷静を欠いてそれどころではないだろう。 そんな事を思っていると、とどめと言わんばかりに一層高いローの声が部屋に響いた。 「んあっ・・ぺ、ペンギ・・・!!ふ、あああっ!」 と同時に、弾かれたように走り逃げる足音。 軽快だった足取りとは真逆のそれに、顔を真っ赤にして逃げたのだろうという事が手に取るように分かる。 そうして乱暴に階段を駆け降りてゆく音が遠ざかり、部屋には再度静寂が訪れた。 少々可哀想だったか、と思う暇もなく、ペンギンは今度こそ湧き起こる衝動のまま唇の端を上げた。 「ふっ、・・っく、はははっ!」 「ははははは!!ははっ、あはははは!!おもしれー!!」 珍しく声を上げて笑うペンギンと、ベッドの上で笑い転げるロー。 「は、ははっ、やりすぎだろう、船長!」 「はははっ、お前だってノリノリだったじゃねーか!」 「だ、だがっ、始めたのは船長だろう!」 お互い笑いが止まらずまともな会話になっていなかった。 ペンギンは手元が震えて本に栞を挟むどころではなかったし、ローも新聞をクシャクシャにして放り投げている。一体何故こんな事になったのかと思考を回す余裕も無い。 「あー、やべ、涙でてきた。」 「全く…キャスケットが可哀想だろう。」 「口元緩んでるぜ。」 潤んでいる瞳を拭うローはまだくつくつと笑いを漏らしている。ひとしきり笑い終えたペンギンも、ローの指摘通り口角が上がったままだった。 ふとペンギンが床を見ると、やはり思った通り、重りが入ったクッションが二つ転がっている。それらを回収してベッドへ持ってゆく間も、ローは悪戯の余韻に浸っていた。 「つーか慌てすぎだろアイツ。」 「ノックの直前を狙っただろう、船長。」 だから余計に慌てたんじゃないか、と言外に含ませる。 ローはニヤニヤと笑みを浮かべたまま、クッションを元に戻すペンギンを見ていた。 「だってよ、たまには二人だけの時間を楽しむのもアリだろ?」 その台詞に、皺が寄った新聞を拾おうとしていたペンギンの手が止まる。 そう、ノックの音が聞こえる直前にこの時間が名残惜しいと思ったのは他でもない自分なのだ。まさかローも同じような事を考えていたとは知らず、ペンギンは驚きのまま口を開く。 「…ただの悪戯かと思ったが。」 「まあそれもあるな。」 アッサリ白状するローだったが、少しでも自分との時間を名残惜しく感じてくれていたというのなら、それはとても幸せな事だと思うペンギン。何日も離れていた訳ではないし、寧ろ常にお互い居場所が分かっているような船上の生活である。それでも二人きりになれる機会は多くないので、今日のような時間はある意味貴重だった。 足取り軽く部屋に来ようとしていた彼には悪い事をしたと思うものの、きっと落ち着いて考えさえすれば、からかわれた事に気付き半泣きでやってくるだろう。元来勘の鈍い者ではない。 だからそれまでの間、そう、もう少しだけ二人きりの時間を楽しませて貰おうとペンギンはゆるりと微笑んだ。 「で?どうだった?」 満たされてゆく気持ちに浸っていると、ローの声がそれを遮る。 新聞を折り畳みサイドテーブルに置いたペンギンは、ローの言わんとしている事を読み取り苦笑を洩らす。耳に残っているのは珍しく大きめの声で喘ぐ、ローの艶やかな声。気分が昂っているのは自覚済みだった。 「どう、とは?」 「とぼけるなよ。」 一応回避をしてみるものの、ローは逃がす気など無いらしい。 笑みを浮かべてペンギンの退路を断つ。 「・・・・・抑えが効きそうにないな。」 正直な感想も込めて先程の台詞を流用すると、ローが声を上げて笑った。 「で、船長は床がお好みなのか?」 「"大丈夫"なら、たまにはイイかもな。」 仕返しとばかりに聞けば、やはり一筋縄ではいかない言葉を返される。しかしローに白状させられたままで昂りがおさまらないペンギンは、そっと近寄り薄い肩に手を掛けた。 「これくらいは許してくれ。」 黒曜石のような瞳と流氷のような瞳がそっと交わり、どちらからともなく唇が重なった。 触れるだけのその柔らかいキスに、数センチ先のローが小さく笑んだ。 「"これくらい"で済むのか?」 「大丈夫"じゃない"から仕方がないだろう。」 「何ならもう一度喘いでやろうか。」 「・・・勘弁してくれ。」 本当に抑えが効かなくなる、とギブアップする。 しかし分かっていたものの触れるだけのキスは昂りを抑えるのに逆効果で、ローが再度声を出さずとも、ペンギンの耳には艶めかしい声がこびり付いていた。さきほどは「こんな時間から手を出すほど青くない」と理性の強さを自負していたのだが、それは儚く崩れ落ちてしまいそうであった。 そんなペンギンの心情を知ってか知らずか、ローは己の唇をペロリと舐め上げる。 「なぁ・・・、もっと。」 人の言う事を聞いていたのかと疑いたくなるほど甘えを含んだ声に、ペンギンは頭が痛くなった。単に足りなかったのか、何か意図があるのか。 けれど最早ペンギンに考えるほどの余裕は無い。 「(求められているのに、返さない筈がないだろう。)」 ベッドに腰掛けたままのローに覆い被さるようにして、顎を取りその唇に口付ける。少々乱暴な気がしたが、こう幾度と煽られてはペンギンの手つきも荒くなるというもの。 拾い損ねた新聞が、二人の足元でガサリと鳴った。 「んむ・・っ、」 「・・・・は・・・ぁ。」 ピチャリと水音が鼓膜を揺らす。抑えていた分だろうか、貪欲に求めるペンギンにローはついていくのがやっとだった。ゆっくりと丁寧に口内を舐め上げる動きに背筋が震え、快楽を拾う。 普段あまりしない性急な求め方に、ローの熱も上がってゆく。 「んっ、ん・・・。」 「・・・・、・・船長・・・。」 混ざり合った唾液を飲むローの喉の音が、やけに大きくペンギンの耳へと届く。互いから小さく漏れた吐息がとても熱く感じられた。 そんな二人きりの心地良い時間と目の前の状況に余裕が無かったからだろうか。 ペンギンにしては珍しく、行為に集中していて気付いていなかった。 ローの耳が乱雑な足音を拾ってピクリと動いていた、という事に。 ダダダダダッ バンッ、 「流石に有り得ない事に気付きましたよ!!二人してまたおれをからかって―・・・!!」 突然の第三者登場により、ピキリと固まる部屋の空気。 入ってきた人物であるキャスケットは勿論、ローに圧し掛かっているペンギンもだ。 今の今まで濃い空気を作っていたのだ、今度は勘違いや冗談で済ませようがない。 「・・・う、あ、その、・・・おれ、」 一歩一歩、後ずさりしながらどもるキャスケット。その顔色は真っ赤か真っ青かよく分からないものになっている。対するペンギンも冷静な顔でグイと口元を拭ってみるが、足音に気付けなかったという失態に頭が混乱していてその場を退く事も言い繕う事も出来ずにいた。 「す、すいませんでしたあああ!!!」 今度こそ謝罪のような悲鳴を上げて、ドアを開けっ放しに走り逃げるキャスケット。 ペンギンの下では、ただひたすらローが腹を抱えて笑っていた。 さて、船長の趣味を認識し直さなければならないな、とペンギンは思う。 特別"キャスケット弄り"が趣味ではなく、"クルー弄り"が彼の趣味なのだ、と。 しかしそれすら幸せだと思えてしまうのは、やはり惚れた欲目だろう。 なるほどキャスケットが弄られている時に不思議と幸せそうに見えるのは、こういう事かとペンギンは一人納得したのであった。 fin. ******** ロー「で?お前結局何しに来たんだよ。」 キャス「あぁ、そういえば!まだ遠いですけど次の島が見えました、って報告です!」 ロー「そういう事は早く言え。」 キャス「箔らせなかったのは船長達じゃないですか!?」 最近アレなネタが続いたので、たまには日常の様子でも。 クルーで遊ぶ船長^^ 091117 水方 葎 |