* 不協和音 *
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「愛って・・・何だ?」
静かな部屋に、その呟きは落とされた。
それは独り言のようだったし、不意に口をついて出たような感じでもあった。
おれは雑誌を捲っていた手をピタリと止めた。
たまに船長は、人を試すような事を口にする。
今回の標的は勿論、今この部屋に居るおれか、ペンさんか。
もしくは本当に独り言のつもりかもしれない。
ペンさんを見ると、聞いていなかったかのように帳簿らしきものを付けていた。
夕飯を済ませてからの時間、それぞれ好きに過ごしているから当り前だろう。
今の船長の言葉だって聞こえていない筈はないのに、黙々と手を動かしている。
とりあえずおれは、自分がどうすべきか手を止めたまま考えた。
もしここでおれが反応してしまったら、標的は固定されてしまう。
それだけは避けたい。
試されるならペンさんだって試されるべきなのだから。
おれはここまで考えて、船長の発した言葉について考えてみた。
その言葉に、おれはビクリと肩を震わせた。
船長もキャスケットも手元の読み物の方を向いてくれていて助かった。
こんな失態、見せられたものではない。
呼吸と変わらぬ程度の溜息を吐いて、おれは帳簿をつける手を再び動かした。
今心を乱すのは得策ではない。それが船長の言葉になら、尚更だ。
どういう思考であの質問になったかは理解出来ないが、時折こういった事がある。
何かが心に引っかかった時だとか、理由は様々だろう。
そういった時はいつも以上に気を付けて発言しなければならない。
いらぬ誤解を与えぬように。気に病ませる事のないように。
手を動かしたまま、同じ境遇に立たされたキャスケットの気配を探ってみる。
面白いくらい中途半端なページの捲り方でピタリと動きを止めている。
きっとあいつなりにも答えを出そうと必死なのだろう。
そこまで考えて、おれも船長の発した言葉について考えてみることにした。
別に読んでいた本に影響された訳じゃない。
手元にある本は何という事はないただの医学書だ。
飽きるほど読み返したその内容は頭の中に叩きこんである。
だから、そう、本に影響された訳じゃない。
ただ、ふいに顔を上げた時のこの部屋の空気―雰囲気というのか―に、疑問を感じた。
夕飯を済ませてから、談話室かおれの部屋にペンギン達が集まるのは日常の事だ。
まあ、ベポは見張りに行ってるから今此処にはいねぇけど。
キャスはお気に入りの雑誌のバックナンバーを読み返しているみたいだった。
ペンギンは前回の島で買い物した分の帳簿整理をしてる。
いつもの光景だ。
だからこそ、おれは何となくこの空気に違和感を覚えた。
あまりにも当たり前のように、こいつらが、此処に居るから。
だから不意に聞いてみたくなった。
『 愛 と は 何 か 』
また抽象的な事を、と思う。
定義するのは簡単だ、広辞苑でも何でも引けばいい。
けれど船長が欲してるのはそんなものではないと分かっている。
ならおれはおれの全てを持ってして思考しなければならない。
愛とは、何か。
まず第一に浮かぶのは、質問をしたその人、船長の事だ。
おれは船長を愛している。
船長は強いけど、もしその身が危険にさらされるのなら、守る。
あんな場所に居たおれを、救ってくれた人。
おれを、赦してくれた人。
ずっと傍に居たいと思う。細い体にも触れたいと思う。
触れたい・・・。
そう、愛は「欲求」だ。
愛。辞書を引けば、慈しみ合う気持ちだと書かれているのだろう。
大切に思う気持ちが、愛。
けれどそれは船長が欲しているものではないな、と即座に切り捨てた。
ならば、欲しているものは何か。
―そもそも、言葉を欲しているのかが怪しい。
確かに問い掛けをされているのだから、言葉で返すのが妥当だ。
けれど愛という単語は言葉で表すには不便すぎる。
常日頃からおれが船長にその単語を抱いているのなら、尚更だ。
最早おれのなかで問いは、「どうやって船長に愛を伝えるか」に変わっていた。
しかしこれは強ち間違いではないだろう。
愛とは何か提示してみせろ、と言うのだから。
けれどそれは無形物で、不確かなもの。
そう、愛は「感情」だ。
すぐにペンギンとキャスから反応は返ってこない。
聞こえてない訳じゃないだろう。
キャスなんか雑誌を捲る手が不自然に固まっているし、ペンギンも落ち着きが無い。
きっと試行錯誤して自分の答えをおれに提示しようとしている。
なんだかその様がひどく滑稽だった。
おれの一言に、思考の全てを持って行かれている、その様子。
もしかしたらその態度で答えは出ているのかもしれない。
けれど敢えておれは、黙っていた。
そっと二人にバレないように、唇の端を上げる。
どんな答えが出てくるのか楽しみだ。
既にさっき感じたようなこの部屋の違和感は霧散している。
要は二人の意識を向けさせたいという、おれの勝手な衝動だ。
そう、愛は「自己満足」だ。
「どうしたんだ、いきなり。キャスケットが固まっているぞ。」
ペンギンが帳簿をつける手を止めて顔を上げた。
ズルい、と同時に上手い、と思った。
自分一人だけが標的になること無く、且つ思考する時間を稼いでる。
・・・こういうところ、ペンさんに敵わないなぁって思う。
とりあえず、おれは船長の次の台詞を待つ事にした。
なるべく自然に、キャスケットにも話を振っておく。
船長にはおれの意図など丸分かりであるだろう。
早々に次の手を考えなければならない。
おれがしたいのは時間稼ぎであって、質問を有耶無耶にする事じゃないのだから。
どうしたもこうしたも、分かってる癖によく言うぜ、と思った。
けれどペンギンが時間稼ぎをする事は珍しく、少し面白い。
奴も考えあぐねているんだ、この質問の答えを。
そしておれは、何でもない風を装う。
至極ゆっくりとした動作で、ローが分厚い本を閉じた。
「別に?答えなんて求めてねぇよ。」
「そうはいかない。何が何でも答えさせて貰う。」
挑戦的なローの笑みに、ペンギンは憮然とした表情でそれを返す。
キャスケットはただひたすらに、二人のやりとりを見守っていた。
今のは完全に売り言葉に買い言葉だったと思う。
躊躇する暇もなく返したペンさんの言葉に、おれは思考を再開させた。
どのみち避けたい問いだなんて思ってない。
もし船長が気に食わない答えだったとしても、それがおれの答えだ。
だから、もうちょっと待って下さい、船長。
しまったな、と思った。
これでは何の時間稼ぎにもなっていない。
答えなんて求めてない、これは確かに船長の本音かもしれないが。
同時に、時間稼ぎをさせないための言葉であるかもしれなかった。
頼むから意地悪をせず少し考えさせてくれ、船長。
何が何でも答える、そう言ったペンギンが少し意地になっているのを感じた。
元々、この二人におれの質問をスルーする気なんて無いことくらい知ってる。
だから敢えて言ってみたかっただけだ。
キャスケトは既に思考を再開しているみたいだったし、ペンギンも頭を捻ってる。
・・・・・愛、か。
「勝手にしろよ。」
そう言って、ローは立ち上がり自身のベッドへと寝転がった。
キャスケットがそれを目で追い、ペンギンが諦めたように手元へ視線を落とした。
ベッドに突っ伏した船長を見送って、思う。
愛は欲求だと思ったものの、別にそれだけが愛じゃないなと感じた。
何せ、愛=欲求ではないから。
ああしたい、こうしたい、それは欲求だろう。けどそこに愛が無いものだってある。
逆を言うなら、憎悪だって欲求だ。殴りたい、殺したい。
それなら、憎悪と愛は一緒かというと、勿論答えはNOだ。
紙一重的なものがあるかもしれないけど、おれの船長に対するそれは違う。
もっと暖かくて、優しいもの。
いや、優しく在りたいもの。
おれが送ったそれをどう捉えるかは船長次第だけど、温かなものでありたい。
ここで、おれは再度船長の問いを思い出す。
船長の言葉に、勝手にするさと心の中で呟いた。
愛とは形の無い感情、確かにそう思っている。
喜怒哀楽と一緒だ。それは変化するし膨れ上がったり萎んだりもする。
けれど船長に対して、というのならそれはまたおれの中で違ってくる。
何せ変化する事がなければ、萎むこともない。
・・・膨れ上がったりはあるかもしれないが。
そこで、おれの中の何かが一つの線で結ばれた。
分かりそうで分からない質問をする意図、しかもそれを発したのが船長自身。
答えられそうで答えにくい質問の答え、その特別が目の前に居る意味。
ああ、なんだ。そうか。簡単なことだ、目の前に居るのなら。
ここでおれは再度船長の問いを思い出す。
ベッドのスプリングがおれの身体を軽く受け止める。
愛なんて所詮、在って無いようなもんだ。
自身が過去に得られなかったものや、欲しかった情を無意識に求める。
そう、得たかった奴から、他の奴へ転移し欲する。医学用語で言う、感情転移。
本来おれに向けられるべきじゃないそれを許してしまうと、転移性治癒になりかねない。
否、もう遅いのかもしれない。
こいつらがおれを求める事で安定しているのなら、おれは。
・・・・・・・・・。・・・・・・・・おれ、は。
そう、だから愛しいという感情なんて、元々が動物的本能の延長戦でしかない。
より良い種を残すための本能、執着、不安解消、性的欲求をぶつける為の言い訳。
ああ、こいつらはおれに愛なんてものを、向けるべきじゃない。
『 愛 と は 何 か 』
(常に隣に在りたいという、特別な欲求。)
船長がどうしてそんな問いを仕掛けたのかは、分からない。
けれどこの答えが、今のおれには精一杯だった。
同時に、これしか無かった。
合ってるか間違ってるかなんて、どうでもいい。
おれの素直な気持ちだった。
離れてちゃ守れない、伝えられない、傍に居たい。
だから、これがおれの答えです。
さあ、どうやって船長に伝えよう?
(愛とは、つまり。)
言葉で何を伝えても、行動でどう表現しようとも、きっと船長には伝わらない。
いや、伝わらないというのは語弊がある。
理解できないだけだ。
ならおれは、おれたちは、伝え続けるしかないだろう。
それをやめることなんで、出来やしない。
疑っても否定しても構わない。
愛、その感情を持ってるのはおれ自身なのだから。
・・・・・・・。
(本能を言葉に転移させただけのもの。)
実際、愛なんてものに明確な答えがあるとは思えない。
形は人それぞれ、そして変化するもの、合って無いもの、どれもが当たりで外れだ。
そんなものをこいつらに問うなんて、おれも馬鹿だなと思う。
でもまあ、言ってしまったものはしょうがない。
慌て悩むキャスケットもペンギンも見れたし、部屋の違和感も無いから。
時は、確実に、無情なほど過ぎている。
もういい、この場を取り繕うだけの言葉なんていらない。煩わしい。
寝かせろ。
カタ、と音を立ててペンギンが腰を上げた。
キャスケットが弾かれたようにそちらへと顔を向ける。
ペンギンは至って気にせず、ローが突っ伏しているベッドの傍まで歩み寄った。
規則正しく、薄い身体が上下しているものの、完全に寝入っている訳ではないらしい。
「・・・・・なんだよ。」
不貞腐れたような声で、ペンギンへ声がかけられる。
答えを出すのが遅かったからか、煩わしいからか、それは本人にしか分からない。
ペンギンはそんなローの様子にふと微笑んで、それから厚い毛布を捲ってその中へと潜り込んだ。
「っ、おまえ…!」
ローが少し慌てた声を出すが、ペンギンは全く素知らぬ顔で隣へ入る事に成功する。
「何のつもり、」
「あー!ペンさん、ずるい!!」
だよ、と言おうとしたローの声は、だがしかしキャスケットのそれに掻き消された。
ベッドの端へ走り寄るキャスケットに、思わず溜息を漏らす。
「・・・・なんなんだよ、お前ら。」
大体さっきの問いの答えはどうした、なんて無粋な事は口に出来る筈がない。
ローはしれっとしたペンギンの表情に妙な腹立たしさを覚えた。
「ねえ、おれ、そっち側行っていいです?」
「だから、」
「なら船長はもう少しおれの方に寄るべきだな。」
キャスケットの言葉に反論しようとしたローだったが、次はペンギンに邪魔をされた挙句、しっかりとした腕に身体を引き寄せられる。
この状況に何の疑問も持たないキャスケットは喜々としてローの反対側を陣取ろうと回り込み、先ほどのペンギンと同じようにベッドの中へと潜り込む。
「狭い。暑い。むさ苦しい。」
「こんなに冷たい身体をしておいて言う台詞じゃないな。」
「ていうか3人で寝るのなんて、今更じゃないですか。」
ローの言葉にペンギンとキャスケットが返す。普通ならばもう少し傷付いても良さそうなものだが、今の二人には何の痛みも感じない。
まだ寝るには早い時間だったが、寝る準備は済ませてあった為、このまま眠ってしまっても悪くないかという空気が3人の間に流れていた。
現にキャスケットは潜り込んで早々、サングラスを外して寝る体勢を整えている。
普段は咎める側のペンギンですら、帽子を外していた。
「ねえ船長。―おれは、此処に。…ずっと傍に、居たいです。」
離れろって言われてもいますけどね、と笑うキャスケット。
「つまり、こういうことだ。」
そう言って、ローの額に軽いキスを送るペンギン。
そんな二人の様子にローはペンギンの腕の中からグイと離れ、溜息をついて仰向けになる。
「・・・・ったく・・・、しょうがねぇ奴ら。」
そうして色々なものを諦めたように、ローは「もういい、寝る。」とだけ呟いた。
おれは馬鹿だけど、でも、少しでも船長におれの愛が伝わればいいな。
結局のところ、船長に対する愛とは、おれの存在そのものだろう。
感情転移してるのは、もしかしたらおれの方かもしれない。
そう思ってから、ゆっくりと目を閉じた。
書き手の独り善がり文章というのはこういうものの事を言います^^
あー楽しかった!
ブラウザの関係で見づらかった方はすいませんorz
それにしても、当家のハートの海賊団は眠ってばかりですね!!
つーかこいつら、本当に馬鹿だなあ・・・^^
2009.11.07 水方 葎