船長の声だった。 「あれ・・?船長…?」 おれは上体を起こす。 すぐ横には船長が仁王立ちでおれを見下ろしていた。 「あれ、じゃねぇよ。」 呆れるように言って、起きたなら早く飯行けよ、と促す船長。 おれの頭の中はまだぼーっとしていて、なかなか覚醒できない。 「えーと…。」 見渡すと、船長の部屋だった。 というよりおれは船長のベッドの上だ。 ・・・つまり。 「え!?お、おれ、船長の部屋で寝ちゃったんですか!?」 今度こそ跳ね起きた。 戸棚の前で薬瓶をいくつか取り出しながら、船長は怪訝な顔をおれに向ける。 「お前、覚えてねぇのか?」 その台詞に昨日の記憶を引っ張り出そうと試みたけど、夜みんなで酒盛りを始めたところで止まってしまう。酒盛りと言ってもいつものことだし、自棄になることも無いから適度に切り上げた筈だ。それでも、記憶がスッポリ抜け落ちている事に顔が引き攣る。 「えっとー…みんなで酒飲んでたところまで…。」 「ふーん。」 おれの答えに、船長は適当に相槌を打つ。けれど刹那、ニヤリとした笑みを浮かべた。 「じゃあ、アレもソレも覚えてねぇのか。」 アレ!?ソレ!? 「ちょっ・・・何ですかそれ!?」 「覚えてねぇなら、いい。」 結構積極的だったよな、オマエ。 ぽつりと放たれた言葉におれは背筋が凍った。 お酒をみんなで飲んで、おれには記憶が無くて、船長のベッドで寝ていて・・・・? ぽとりと汗が顎を伝って落ちた。 「おれ、おれ・・・せせせ船長に、何か・・!?」 喉が張り付くような感覚と恐ろしさに声が出ない。けれど船長は何でもない風な顔をして、薬瓶を無造作に机へバラ撒き、椅子にかけてあったタオルを一枚手に取った。おれに向かって投げられたそれを、反射的にキャッチする。 「お前魘されてたぜ。拭いとけ。」 「・・・有難うございま…、って!騙されません!船長、何があったのか教えて下さいよ!」 魘されてたとか、夢の内容なんて覚えてないし、正直どうでもいい。 今はただ船長に何かしてしまったのではないかと気が気じゃなかった。 「船長〜!」 「過ぎた事だろ。覚えてねぇならいいじゃねぇか。」 「よくありません!」 「被害者がイイっつってんのに。」 「やっぱりおれ加害者なんですか!?」 くつくつ笑う船長に、おれは心労が重なる。とりえずベッドから降りて髪を撫で付けていると、ふいにノックの音が響いた。返事も待たず、開かれる扉。 「船長。キャスケット。起きてるか?そろそろ朝飯だぞ。」 「・・・・ペンさん。」 ―その姿が何だか少しだけ、懐かしい気がした。 「キャスケット。二日酔いは無いか?」 「元気に吠えてるから無ぇんじゃねぇ?」 「吠えて…って、また妙な事を言ったんじゃないだろうな、船長。」 「別に?」 ぼーっとしているおれをよそに、二人の話は進んでゆく。船長の上機嫌に、ペンさんは呆れ気味だ。そしておれの方を振り返る。 「言っておくが、昨日、」 「あああ!そうだ、おれ昨日何したんですか!?」 ペンさんが口を開くと同時に、おれはハッとして食いついた。 もう、先程の感覚なんて何処にも無い。 「・・・・やはり覚えてないか。」 船長と同じような台詞に、おれは慌てた。 やっぱり何かしでかしたのかもしれない。もしかして船長に手を出そうとしたおれをペンさんが止めて、それで何か恐ろしい事を・・・。おれがペンさんに敵うはずなんてないけど、酔ってタガが外れていたらとんでもない事を起こしていても不思議じゃない。 「酒に潰れて、船長のベッドで寝たいって言ってきかなかったんだぞ。」 「・・・・へ?」 おれの妄想はそこで途切れた。 ・・・船長のベッドで、寝たい??? 「あー、言うなよな、折角面白くなってきてたのに。」 船長は椅子に座ってペンさんを咎めた。まるで玩具を取り上げられた子供のような表情をしている。 「どうせ妙な事しか教えてないんだろう。」 「妙じゃねぇって本当の事しか言ってねぇもん。」 肩から力が抜けた。 「おれ、そんな事・・・。」 「言ってたぜ。お前にしては珍しくひかねぇの。おれのベッドじゃなきゃ寝ないとか、船長の隣が一番キモチイイだとか、」 「うわああっ!すと、ストップ!やめて下さい!!」 ある意味妙な事をしでかした、よりも恥ずかしいかもしれない。本当に言ったのかどうかは分からないけど、ペンさんが口を挟まないから今度は本当なのだろう。顔から火が出そうだった。まさか、船長にそんな我侭言うなんて。しかもベッドで寝たいだなんて。 ・・・よくペンさんに投げ飛ばされなかったなぁ、と自分の無事を不思議に思う。 「ほら、朝食が冷める。早く行くぞ。」 「おー。言って来い。」 「船長も、だ。」 ひらひら手を振る船長に、眉を寄せるペンさん。渋る船長の右手を掴んで引っ張り上げるその姿に、笑みが漏れる。おれはさっき借りたタオルを首にかけて、ペンさんの助っ人をすることにした。 「船長もまだ顔洗ってないでしょ?一緒に洗って、で、食堂行きましょうよ。」 「なんでそんな連れ立たなきゃ・・・押すんじゃねぇって。」 先程の仕返しとばかりに細い背を押す。 ペンさんが手を引き、船長が諦めたように歩いて、その後ろについて行くおれ。 「ベポが待ちかねてるぞ。」 「朝食か?それともおれか?」 「勿論、船長を、だ。」 そんな会話を聞きながら、船長の私室を後にした。 そんな朝の始まりがあって、おれは夜部屋に戻ってきた。 薄暗い部屋に電気を入れて、カーテンを閉める。 航海術の勉強も今日はやる気が起きず、おれは背の低い本棚へと手を伸ばした。 「日記、書こうかな。」 寝るまでにはまだ時間もあるけれど、日記は夕方以降書ける時に書くようにしている。そうじゃないと、忙しくなったり他の海賊船が襲ってきたりで、中々書けなくなってしまうから。・・・というのは、初めの頃に散々経験済みだ。 「さて、と。」 使い慣れた小さな机に日記を置き広げる。ペンとインクを取って、椅子へ腰掛けた。ギシリと鳴るそれはかなり古くて、船長の私室にある椅子の一つだったものだ。新しく買ってやるよと言われたし、自分で買い換える事も出来たけれど、おれは我侭を言って船長のものを欲しがった。 『しょうがねぇ奴だな。』 そう言って、船長は笑った。 その時の事もこの中に書いてある筈だ、と、分厚い方のページをパラパラと捲る。別に探し出そうとは思わなかったけれど、何だか懐かしい気がした。 「・・・・・・?あれ・・・?」 パラ、と最期に記してある頁を開く。 そこに書いてある内容は、昨日のものではなかった。 昨日の日付。 天候―快晴、のち、嵐。 朝、いつも通り船長を引き摺って食堂に行った事。ベポが船長にサラダを食べさせていた事。おれの"目玉焼きにマヨネーズ"事件。ペンさんが船長のサプリを取り上げた事。 昼、船長に航路の報告をしに行った事。ベポが洗濯物に絡まっていた事。ペンさんが夜中には嵐が来ると言ってた事。船長がシャワー浴びた後、タオル一枚でウロウロしてた事。 夜、まだ海は穏やかだった事。これからだ、とペンさんが準備を確認してた事。ベポと船長が楽しそうに次の島の話をしてた事。おれがその傍で洗濯物を畳んでた事。 「おかしいな・・・。」 確かに、おれの字だ。 朝、船長を引き摺って食堂に行ったのも、目玉焼きにマヨネーズをかけたのも、昼にベポが洗濯物に絡まっていたのも、さっき、洗濯物を畳んでいた事も。 全部、書いてあった。 「・・・おれ、書いたっけ?」 もう痴呆?嫌だな、この事絶対船長に言わないでおこう、からかわれるどころの話じゃないぞ、と思う。 その時、大きく船が横揺れした。 「うわっ!!?」 かろうじて椅子から転げ落ちる事はなかったし、インク壺も開いてなかったから零さずに済んだ。危ない危ない、と一呼吸してると、外からクルーの怒鳴り声が響いた。 「嵐がきたぞ!!!」 やっぱり、きたんだ。 おれは他の海賊船との戦闘よりも天災が一番怖かった。 自然の力に比べたら、人間なんて小さなものだから。 でもきっと、大丈夫。 おれ達には船長が居るから。 こんな嵐なんて、いつも乗り越えてきたんだ。 目を閉じて、小さく深呼吸をする。 「・・・よし、」 おれは日記の末尾に"嵐がきた。"とだけ書き加えて、部屋を飛び出した。 繰り返される唄 END |