* おれの怖いもの *




















「キャスケット。お前、次の島で船降りろ。」




「・・・・え?」




おれは、咄嗟に聞き返した。
何を言われているか分からなかった。




「次の島で船を降りろ、つってんだよ。」




聞こえなかったのか?と、さも天気の話をするかのような口調で軽く言う船長。
それでも、おれは何を言われているか分からない。
降りろ?船を?




「っとに、理解力が無ぇ奴だな。」




船長は苛々した口調で、だから、と言葉を続ける。
そしてその言葉は、おれを絶望させるのに十分だった。




「邪魔なんだよ。」




おれは何も言い返せず、ただ目を見開いて唾を飲み込んだ。
頭の中は真っ白だ。




「夕方には次の島に着くそうだ、船長。―荷物をまとめておけ、キャスケット。」




傍らに立っていたペンさんが、船長への報告を兼ねて、後半の台詞をおれに投げつける。




「ど、して・・。」




こんな時、泣けばいいのか怒ればいいのか縋り付けばいいのか、皆目検討がつかない。
それよりも身体が動いてくれそうにない。
口の中が乾いて、声さえも満足に出なかった。




「役立たずは要らねぇの。」




―いらない。



その単語だけが刃のように心を抉った。
いつもの、耳に心地良い船長の声。
なのに。
その声で、おれを要らないなんて言わないで。




「ぁ、あ・・・・。」




また、いつもの冗談ですか?
悪戯ですか?
どれだけでも騙されますから。
弄られますから。
何でもしますから。
昨日だって皆で楽しく過ごしてた、筈なのに。
お願いですから、



嘘だと、言って。



冗談だと、笑って。



そんな冷たい目を、しないで。




「最後の船長命令だ。」




―キャスケット、船を降りろ。




「い、いや、いやです・・・。」




おれはそれを言うのが精一杯だった。
声は震えているし膝は立っているのがやっと。
全身に力が入らない。




「・・・どーしても乗ってたいのか?」




見慣れている筈の船長の薄い笑み。
だが今はとても余所余所しく恐怖さえ感じる。
おれは声が出ない分、こくり、こくこくと頭を上下に動かした。




「そうだな・・・。頭だけなら、残してやってもいいぜ。」




「・・・・・・ぇ・・・・。」




ニィ、と弧を描く船長の唇を、凝視した。






「他は海に捨てちまうけど、イイんだよな?」






乗っていたいと望んだのは、おれ。
頭だけなら乗せておいてやると言う、船長。
他は捨てる?



殺される?船を降りる?死ぬ?生きたい?



やめていやだおれはまだ船長とみんなと一緒に居たい助けて助けて何でもするからお願いだからこの船に居させて!



船を降りる位なら船長に殺された方がマシだけど!
でも!!!









動かない視界の端で、船長の刀が














キラリと、光った。













「うああああああっ!!」



跳ね起きるように顔を上げると、丸テーブルの向かいで船長が、その右隣に座るペンさんが、ビクリと肩を揺らしたのが視界に入った。
「・・・・・あ、・・?」
自分が、酷く汗をかいているのが分かる。
テーブルについていた掌は熱を帯び、心臓はドクンドクンと大きく動いていた。
「どしたの、キャスケットー。」
後ろから、のんびりとした声が聞こえて、おれは咄嗟に振り返る。
キョトンとした顔のベポが、毛繕いをしていた手を止めて此方を見ていた。おれは次いで、再度勢い良く振り返り正面を見る。そこにはベポと同じように目を丸くした船長とペンさんの顔。
「ぁ、あ、あ・・・。」
つぅ、と頬に汗が流れた。
喉が押し潰されている様に声が出ない。
恐怖とも不安ともつかない感情が渦巻いている。何を言っていいのか分からない。
そもそも此処は?夢?現実?それとも死んだおれが見てる都合の良い妄想―…
「んだよ。驚かせんじゃねぇ。キャスケットの癖に。」
ふ、と息を吐いた船長が、恨みがましくおれを見る。
さっき見た、敵を見るように冷たいものではない。
「悪い夢でも見たのか。」
船長に続いて、ペンさんが苦笑しながら傍らに置いてあったグラスを差し出した。中には水が半分程ゆらめている。
このグラスは、味がついていないものを好む船長の為のグラスだ。
「飲めよ。」
船長が、椅子の背凭れに体重をかけて言い放つ。
おれは震える手でペンさんからそれを受け取り、ゴクリゴクリと喉へ流し込む。冷たくはないが、それがかえって気持ちいい。飲み干してしまうと、おれはそのままの少し呼吸を整えた。
少し、落ち着いた気がする。
「えっと・・・」
「不用品リストをまとめてたのは覚えてるか?」
ペンさんの言葉に、記憶を掘り返す。
そうだ、要らないものが増えてきたから、次の島で捨ててしまおうという話をしていて・・・。



―要らない、もの。



その単語におれの頭の中は再び真っ白になる。
「途中で寝てったんだよ。お前。」
今朝まで見張り当番だったから寝かせておいてやったんだぜ、と続ける船長の言葉は、耳に入っても頭には入って来なかった。
「んで途中からペンギンと二人で・・・聞いてんのか?」
体勢を変え、頬杖をついた船長が怪訝そうにおれの顔を見る。
ペンさんも普通じゃないおれの様子を感じ取ったのか、眉を顰めていた。
おれは恐る恐る、ゆっくりと辺りを見回す。
いつもの談話室に、いつものメンバー。それと机の上に広げられた不用品リストと転がっている羽ペン。リストの中には線引きされているものやメモが加えられているものも、ある。そっと後ろを振り返ると、まだベポが不思議そうにこちらを見ている。窓の外の景色は海ばかりで、天気は快晴。いつもの位置にかけられているシンプルな時計を見遣ると針は午後3時過ぎを指していた。
「ゆめ・・・。」
自分の手を数度握り締め、感覚を取り戻す。
そこでようやく、さきほどの出来事は夢だったのだと実感を得た。
夢、それでも、あまりにリアル過ぎた。
おれの挙動に、珍しく無防備にきょとんとしている船長を見て、何だか泣きたい気分になった。
「キャスケット?」
薄い唇が、薄く開いておれの名を呼ぶ。
それが、こんなにも幸せだなんて。
「あ、はい・・・。すみません、おれ、寝惚けちゃってたみたいで。」
へへ、と笑って頭を掻く。
全くみっともない。船長達との話し合いの最中に居眠りなんて、叩き起こされても文句言えないのに。居眠りした挙句寝惚けるだなんて。
そうかアレは夢か、嫌な夢をみた、大体不用品リストを纏めてるからあんな夢を見ちゃったのか、と一人で納得して小さく首を振った。きちんと目を覚まして、話し合いに参加しなければと思う。倉庫には捨てるものが多々あった。修理できる武器と出来ない武器は以前分けたから、その説明もしなければならない。
ああ、その前に飲み干してしまった船長の水を汲んできた方がいいかもしれない。
「水、有難うございました。代わりの汲んできますね。」
完全にいつもの調子に戻ったおれは、笑顔で席を立つ。
そこで船長が、ああと相槌を打った後、思い出したようにキャスケットを仰ぎ見た。
「そういえば、キャス。」
「え?」
ドアの前で、足を止めて振り返る。






「お前、次の島で船降りろ。」






今度こそ完全に、頭の中が真っ白になった。
船長の隣ではペンさんが、「そうだな、それがいい」と頷いている。




するりと、手の中からグラスが擦り抜けた。



ガシャン、と硝子の割れる高い音が足元で響くけど、おれの耳には届かない。



今日何度目かの驚いた顔を向けられ、おれはふらふらと船長へ歩み進んだ。




「や・・・めて、ください。」




冷たい目、
要らないという声、
ニィと歪められる口、
向けられる刃。











その全てが、一気にフラッシュバックする。












「ああああっ!!嫌だ、嫌だ!!お願いですからやめてください降りろなんて言わないで下さい、おれ何でもしますからこの船に乗っていたいんです!!役立たずかもしれないですけどどうかどうか降りろだなんて言わないで下さい船長お願い助けて頭だけになるのは嫌だ船長の傍に居たいんですこの船が好きなんです此処しか居場所が無いんですだからどうかおれにそんな目を向けないで要らないなんて言わないで船長たすけ―」



「キャスケット!!」



叫ぶように遮る船長の声に、ビクリと肩を震わせた。
もう自分でも何を言ってるのか良く分からない。
けれど要らないと言われ捨てられようとしているのだと、それだけが鮮明になっていて。
いつの間にか床へ崩れ落ち、椅子に座っている船長へ縋り付いていたおれは身体を硬直させた。



「あ、あ、」



船長の氷色の瞳がおれを映す。
完全にパニックに陥っているおれはそれ以上何も言えず、ただ船長の瞳に映っているおれが涙を流しているのを見た。
はらはら、なんてものじゃない。それはもう、ボロボロと、盛大に、みっともなく。
けれどそんな事を気にしている暇なんて無かった。
要らないといわれるのが怖い。
船長が小さく口を開くのと同時におれはギュ、と目を瞑った。



嫌だ、いやだいやだいやだ、これ以上拒絶の言葉を聞きたくない!!!



予想に反して言葉が降ってくることはなく、部屋の中は静けさを保っている。
おれにとって何十分にも感じる時間の中、それでもそれでも何も言葉はかけられない。
それはそれで不安になり、そっと、恐る恐る目を開く。
と同時に、身体全体を包み込む低い体温を感じた。





「・・・落ち着け。」





耳元で、船長が囁いた。



―抱き締められている?



「ぅ、ぁ、・・・ぁ、」



それでもおれの目から涙が止まることはない。
ぼたりぼたりと流れ落ち、船長の後ろ肩を濡らす。頭のどこかでぼんやりと、余計に嫌われてしまう、と思った。
近寄るなと、邪魔だと言われ殺され海に捨てられそして、



「キャスケット。」



今度は言葉だけでなく、思考までをも遮る声。
おれが大好きな、船長の声。




お願いだからその声でおれを拒絶しないで。







「・・・・どうどう。」






「・・・・・・・・。」



おれ、馬じゃないです。





嗚咽ばかりが出て、声が出ない。
それでも船長はおれをゆるく抱き締めたまま、子供をあやすように背を撫でる。
ん?どうどうは馬だっけ?まぁ何でもいいか、などと呟く声が聞こえる。
ああ、軽いこの調子はいつもの船長だ。







おれが大好きな船長だ。











「・・・っ、・・・」




とくんとくん、と至近距離で船長の鼓動を感じ、それがおれを少しずつ安心させてゆく。
「んだよ、いきなり。吃驚するじゃねぇか。」
「すっ、すみま、せ、」
非難の声におれはまたビクリとする。
そんな様子を感じ取ったのか、船長は少し間を置いたの後、まあいいけど、と言った。
「・・・。お前に"キャスケット"っつー名前つけたのは、誰だ?」
「せ、せんちょ、です、けど、」
「分かってんじゃねぇか。」
「・・・、・・?」
「もうお前は、おれのモノなんだよ。」
その言葉におれは一瞬息をするのを忘れた。
小さく笑うような吐息が耳を擽る。



「お前だけじゃねぇ。ペンギンも、ベポも。おれが名付けたから、おれのモノだ。」



キッパリと言い放つ船長に、おれは目を瞬かせた。
「で、でも、おり・・・降りろ、って、」
パニックになっていたおれの思考回路は、いつの間にか落ち着きを取り戻しつつあるらしい。いまだ嗚咽は絶えないけれど、その言葉を口にするところまでは回復している。ここで肯定されたらもう壊れてしまうかもしれない、というところは自覚していたけど。
おれの言葉に船長はおれを抱き締めたまま、小さく首を傾げた。
ああ、そういえば抱き締められてるんだ、おれ。勿論船長は女じゃないから柔らかくなんてないし、肉がついてないからすごく細いのを服越しに感じる。
けれどこの身体だからこそ、おれを安心させるんだ。
そんなことを考えていると、船長が本当に不思議そうに口を開いた。





「・・・?お前、前の島も、その前の島も見張り組だったじゃねぇか。」



だから今回はゆっくり羽を伸ばさせてやろうと思って。





「・・・・・え・・。」
そう言われて、確かに前もその前も、ログが一日や二日で溜まってしまう島だったから見張りを申し出た事を思い出した。特に街に用事は無かったし、見張りをしながら鍛錬していた方が身の為になって満足していたので、その事をスッカリと忘れていた。
「・・・、・・・・ぁ。」




つまり「船を降りろ」という船長の言葉は、好意であって。



先程見ていた夢とは何の関係もなくて。



むしろさっきの夢も不用品リストに影響され、自らが勝手に見ていた夢であって。






一気に、目が覚める勢いだった。






「あ、うああっ!」
あまりの恥ずかしさに、両肩を掴んでガバッと船長を引き剥がす。
いきなり強い力で引き剥がされた船長は、おれの方へ腕を向けたまま、至近距離で再び小首を傾げた。
「・・・なんだよ。次はどうした。」
おれの膝の上に乗ったままの船長が、まだおれがパニックになっているのだろうかと、窺うような視線を向ける。けれど、今視線を合わせる事が出来るほど太い神経を持ち合わせていないおれは、下を向いてぶんぶんと首を振る。
「いや、違、そのっ!!」
もう涙なんて引っ込んでいる。
今思うと自分でもどうしてあんなに混乱していたのか不思議だった。



ただ失う事が怖くて、要らないと言われたくなくて。
ただそれだけが感情を支配していた。



「・・・何でもいいから、一回落ち着けよ。」
全て一人で空回っているおれに、船長はそっと言う。
苛付くようでも焦らすようでもないその口調に、おれは一人その場で深呼吸する。
俯いて何度かそれを繰り返すと、また冷たい視線と声が頭をよぎってしまいそうになり、船長の肩に置いた手に力が篭る。おれは下を向いたまま、とん、と船長の胸へ頭を預けた。
嫌われていやしないだろうか。
邪魔だと思われていないだろうか。
膝の上に乗ったままの船長の腰を見ながら、そんなことばかり思ってしまう。





「・・・・・夢、見ちゃって。」
そのままの体勢で、おれはポツリと呟いた。
船長は軽いからおれの方は大丈夫だけど、人に触られるのがあまり好きでない船長は居心地悪いだろう。けれどピクリとも動かずただおれの話に耳を傾けようとしていた。
夢の内容なんて格好悪くて、本当なら何も無かったことにして落としたグラスを片付けて日常に戻りたい。
けれど無かったことにするにはあまりにも心に深く残りすぎていて、ここまできたら聞いてもらうしかなかった。
これを聞いた上で本当に邪魔だから要らないと言われれば、おれの命はきっとそこまでだ。
大袈裟でも何でもなく、本気でそう思った。
「船長が、おれに言うんです。"次の島で船を降りろ"って。」
「・・・。」
「邪魔だ、って。役立たずだから、って。ぺ、ペンさんも夕方には着くから荷物をまとめろって、」
下を向いているから船長の様子もペンさんの様子もベポの様子も分からない。
けれどどんな顔をしてこんな話をすればいいのか分からないから、ある意味好都合かもしれなかった。



「お、おれ。いやだって、言いたくて。でも、声が出なくて。」



「船長、"最後の船長命令だ"って言って。それから、」



「敵を見下すみたいに…冷たい目でおれを見て、言うんです。」



「どうしても乗ってたいのか、って。」



「おれ・・・頭の中が真っ白で、でも必死に頷くんです。」



「そしたら、船長、あ、あた、頭だけなら、って。他は捨てる、って言って、刀を。」



思い出したらまた震えてきた。
みんなの反応が怖い。
たかが夢ごときで女々しいと思われるだろうか。軟弱者だと思われるだろうか。



「・・・・・それは、」
船長がおもむろに口を開いた。
「・・・お前の願望か?」
「な訳ないでしょ!?」
おれ、超必死なのに一体何を聞いてたんですか!!?
咄嗟に顔を上げると、間近でいつものニヤニヤした笑みを浮かべる船長。
今の話の内容に不釣合いすぎて正直拍子抜けしてしまう。
「夢は願望を表したりするんだよなぁ、ペンギン。」
「…ああ、そうだな。詳しいメカニズムは解明されていないが、潜在意識に反応したりするらしい。」
急に話を振られたペンさんも、否定どころか注釈を付け加えて肯定する。
おれは思わずいつもの調子で突っ込みを入れざるを得なかった。
「だってそれは不用品リストを整理してる途中だったから!おれが寝てる間も二人で話してたりしたんでしょ!?だから余計に、」
「そうだな。」
簡単に頷かれてしまった。
・・・あれ?
そう、さっきも思ったことだ。不用品リストに影響された事だから、って自分で納得したはずだ。
けれど自分で無理矢理納得するのと、みんなに聞いてもらって納得するのとでは度合いが全然違った。
ただの夢だと、それを事実としてしっかりと頭で認識する。
そして頭の中の思考が、急速にまとまっていくのを感じていた。
「・・・・・・おれ。この船に、居たいです。」
「知ってる。」
「此処はおれにとって、家、っていうか、居場所、っていうか。」
「ああ。」
「船長が、この船が、みんなが、大切で。」
「そうか。」
ぽつりぽつりと話すおれに、丁寧に相槌をうつ船長。
「・・・だから、」
「・・・。」




「だから、要らないなんて、言わないで下さい・・・。」




ああもう、涙声になってる。
けれどやっと。やっときちんと言えた。




「キャス。」
「は、はい・・・。」
ずび、と鼻を啜る。
本当格好悪いな、自分。けれどそれを気にする余裕なんて無い。



「降りたいっつっても許さねぇよ。」



くすくすと、船長が笑う。



「この船の奴ら、全員おれのモンだ。」



するりと指を絡められ、船長とおれの手が重なる。



「お前、乗ったからには死んでもこの船から降りれねぇよ。」



そしてまるで熱を測るように、額と額が触れ合った。
もう、船長の顔しか見えない。



お前らの意志なんて関係無い、降りたいと言っても許さない、と。
言い切るその力強さと俺様な態度に、思わず笑みがこぼれてしまう。



「捨て、ませんか?」



「捨てねぇよ。」



「要らないって、言いませんか?」



「くどい。」



お互いの吐息がかかる距離で、船長の言葉に安心する。
そうだ、いつだってこの人はやりたいようにやっているんだ。
そしてそんな船長が捨てない、と言うのなら。
おれはそれを信じていいんだ。
だっておれは、この人のものだから。



「おれ・・・精一杯、船長の隣に居ます、から。」



駄目だ、また涙腺が緩んできてしまう。



「ずっとずっと、傍に居て、守りますから。」



「当たり前だ。」



へへ、と笑う。



「ありがとう、ございます。」





大好きです、船長。





もうおれの世界は、この人無しじゃ成り立たないんだ。
そう痛感した、一日だった。








「あ、お、おれ、水汲んできますね。グラスも、掃除します。」
我に返れば随分と醜態を晒してしまった。
いつかネタにして弄られそうな気もするけど、それはそれで悪くない。
立ち上がろうとするけれど、膝の上に腰を落ち着かせている船長を退けないと動く事が出来ない。鷲掴みにして移動させるのは失礼だし、何よりこの場所が心地良いなぁ、なんて思っていると船長がおれに向かって体重をかけてきた。さっき抱き締めてもらった時と体勢は似てるけど、先程とは違って今はただ体重をかけられているような、椅子にされているような。
首筋に船長の声がかかる。
「ベポー、グラス片付けとけー。」
「アイアイ、キャプテン!」
呟きに似た声だったけれど、ベポには届いたらしい。
とてとてと近寄ってきたベポはいつの間にか手の平サイズの箒とチリトリを持っていて、ザカザカとその場を綺麗にし始める。
「いや、それは、おれが、」
今の今でベポとは何となく顔を合わし辛い。けれどおれが割ってしまったんだから、おれが片付けるのが道理だろう。
船長ちょっと動いて下さい、と言おうとしたけど、それは椅子に腰掛けたままのペンさんによって止められた。
「キャスケット。船長は椅子を御所望みたいだが?」
え、椅子?
椅子だったらさっきまで船長が座っていたところへ、と立ち上がりかけて理解した。
もしかしてこの場所が気に入った、とか?
「お前意外と座り心地良いなぁ・・・。」
ポツリと呟かれた言葉に、喜んでいいのか複雑な気分だ。
「・・・船長。眠いのか?」
「んー…。」
「キャプテン、寝るなら椅子じゃなくてベッドでね!」
「あー…。」
おれは何も言えずおろおろとしていると、ペンさんは溜息をついた。
「キャスケット。悪いが船長をベッドまで運んでやってくれ。」
「え?」
「ついでにお前も寝てこい。結局1日半、寝ずの番だっただろう。」
そう言ってペンさんは、珍しくハッキリとした笑みをおれに向けた後、不用品リストへ顔を落とした。きっと作業の続きをするのだろう。
「えっと・・・。」
「・・・・・おい、キャス。おれの部屋行くぞ。」
連れて行けオーラ全開の船長にそう背中を押されてしまえば、動かざるを得ない。
気を遣ってくれたペンさんに申し訳ない気分になる。きっと泣いた後だから酷い顔にもなっているだろう。居心地が良くないのも察してくれていると思う。
「夜、リストの打ち合わせを再開するぞ。」
明日の夕方、島に着くから。
それを聞いてももうおれはビクリともしなかった。
おれの上でうとうとしている船長の、ペンさんの、ベポのおかげだ。
「はい、分かりました!」
グシャグシャになっているであろう顔に、精一杯笑みを乗せて了承する。
言いたい事を言い終わってスッキリしたのか、欠伸を連発している船長は小さくペンさんに手を振って了解の意を伝えていた。・・・もしかしてこの人、また昨日寝てないんじゃ・・・。
「早く行くぞ。」
「あ、はい!」
そうしてそっと腰に手を回して、器用に立ちながら抱き上げる。器用に、といっても船長は軽いし、おれは普段から身体を鍛えてる身だから苦にもならないというのが本当のところだ。
ドアを開けてくれたベポに照れながらもお礼を言って、廊下に出た。
「お前、毛布自分のやつ持って来いよ。」
「え、船長のベッドで寝るんですか?」
「お前の部屋で二人寝れるか。」
「いや、そういう意味じゃなく・・・。」



「…船長命令だ…。一緒に寝るぞ、キャス。」



眠そうに言うその台詞に、ああ何て素敵な命令だろうと思ってしまう。










泣いてしまったことによって眠気は覚めていたけれど。




今なら眠っても悪い夢は見ないだろう。






だって、船長その人が傍にいるのだから。








「次の島・・・おれについてこい。」
ベッドへ潜り込み、夢現に呟く船長へそっと毛布をかけた。
「了解しました、船長。」
どこまでも、ついていきますから。



そうしておれも、船長の隣でゆっくりと毛布を被った。














おれの怖いものは、船長に拒絶されること。



けれど、もう大丈夫。




おれの怖いものは、無くなった。













あ、でも・・・船長と一緒のベッドに入った事がペンさんに知れたら・・・



ちょっと、いや、かなり怖いかも…。








fin.





********
パニック症候群なキャスケット視点の話。
ペンギンもキャスもベポも、うちのクルーは船長を中心に世界が回っている様子です。


<裏事情>
因みにペンギンは船長とキャスが一緒に寝てるのなんてお見通しですよ。
むしろキャスの為を思って船長と一緒に寝てこいって言ったんですよ。
そして船長の眠気も半分嘘ですよ。
ローとペンギンは視線を合わせないでも阿吽の呼吸だよ!

キャス、愛されてるなあ!(笑)




090525 水方 葎