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* 美味しいご飯 * 夕飯の刻限になり、食堂への扉を開いたキャスケットは驚いた。 「あれ、船長?」 並んでいる長机の一つに、船長であるローが椅子の上でゆるく膝を抱えて座っている。 大体において夕飯を食べるという選択肢が存在していないローがこの場所に居ることはとても稀だ。連れてくるにしても食事が始まってからペンギンが引き摺ってくるというのが常で、余程のことが無ければ自主的に食堂へ来るのはありえない。 「・・・んだよ。」 「いや、此処にいるのが珍しくて!」 キャスケットの声にゆるりと顔を上げたローは、不機嫌を隠そうともせず彼を一瞥する。 慌てたキャスケットは己に悪意が無いことを伝えるが、ローは突っかかるのをやめようとしない。むしろ八つ当たりの対象を得たといわんばかりの態度だ。 「おれが居ちゃ悪いか。」 「そうじゃなくって!ようやく夕飯を食べてくれる気になったんですね!?」 だがローの不機嫌も何のその、八つ当たりに慣れきっているキャスケットは嬉しそうにローの元へ歩いてゆく。 食生活が乱れている、というより乱れることが出来るほど食べていない船長の事を心配しているのはキャスケット一人ではない。ローが食べる意志をもって此処に来たのならば他のクルーも喜ぶだろう。 「・・・。」 キャスケットの言葉に何も返さず、ただ退屈そうにそっぽを向くロー。そこでキャスケットは、やはり進んで来たのではない事を感じ取る。大方、食堂近くをウロついていたところを、夕飯の時間だからとペンギンに捕獲されたのだろう。 不機嫌な様子がそれを物語っている。 「あー、おれ夕飯の準備手伝ってきます、ね。」 何となくこれ以上話しかけることも出来ず、キャスケットは席を立つ。 ローとペンギンが喧嘩をするのはそう多くないが、少なくもない。基本誰の目から見ても船長を甘やかす傾向にあり、揉める寸前までいっても上手くかわしたりすぐ謝るペンギンだが、彼にだって譲れない部分は存在する。それは食事や睡眠など、日常生活の欠落に対するものが大半だ。 きっと今回の不機嫌の原因もペンギンとのやりとりにあるのだろうと結論付けたキャスケットは、そそくさとその場を離れるのであった。 厨房からは良い匂いが漂ってきている。きっとそこではローを不機嫌にさせた張本人が仕度を手伝っているのだろう。 「イタダキマス。」 ハートの海賊団の食事は二部制だ。約半数が前半、残りが後半に食堂へ交代でやってくる。食堂に入らないからという理由ではなく見張りや有事の際への配慮であり、この危険な海において僅かな隙を作らない為だ。ローの隣に座りフォークへ手を伸ばしたキャスケットは、今週はベポが後半組だという事を思い出した。 どおりで空気が明るくならないわけだ。その場に居るだけで(主にローの)空気が和む存在が居ないのだから。 ペンギンはというと、きっちりキャスケットと反対のローの隣を陣取っているものの、会話がない。食事を始めた今も綺麗な動作で食器を操っているだけで、その口が咀嚼目的以外で開かれることはなかった。対するローも何も言わず、そして先程の不機嫌もそのままに頬杖をついたまま、フォークを片手にサラダを突付いている。 時折カチャカチャと皿に触れる高い音が会話の無い空気を強調している。 キャスケットは瑞々しいトマトを口に入れながら、『これはまずい』という脳内の警報を聞いていた。 カチャカチャ カチャカチャ 三人の間には食器の触れる音しか存在せず、空気が重い。周りのクルーもこの異様な空気に気付いているのだが、口出しするほど愚かではないようだ。三人以外はいつも通りの賑やかさを保っている。 カチャカチャ カチャカチャ チン、チン、 「船長。遊んでないで食ってくれ。」 「・・・・・。」 皿の淵にフォークを当てるローを嗜めるペンギン。 しかしローにペンギンの言葉を聞く気はないのか、音を立てるのはやめても何かを口にする気配は一向に無い。 キャスケットは響く警報が大きくなっていくのを感じながらパンを千切って口へ運ぶ。ふんわりした食感のパンはキャスケットの好物の一つだが、今はまったく味がしない。それどころか喉を通るかどうかも微妙なところだ。押し込むように飲み込んでようやく口の中を空にする。 カチャカチャ カチャ コン、コン、 食器の触れ合う音に混じるのは、水の入ったコップを指で突付いている音。 まるでペンギンを挑発するかのようなそのローの態度に、キャスケットは無関心のフリをしてはいるものの気が気ではない。 「―いい加減に、」 「船長!ほら、食べれるものだけでいいですから、ね!」 ペンギンの語気が少し荒くなったその時、キャスケットが割って入るようにローへ声をかける。言い争いを聞きたくないというよりは、言い争いのとばっちりを受けたくないが為の自己防衛に近い。それに悲しいかな、キャスケットの性格はこういう時、口を挟まずにはいられないように出来ているらしい。 「・・・・・。」 キャスケットの宥めるような言葉に、ローは詰まらなさそうにコップの水を少しだけ口に含む。 あくまで不機嫌を主張するのか、喋ろうともしない。 「・・・・。」 勿論そんなローの態度を快く思わないペンギンも、口を噤んでその様子を見ている。はなから放っておくという選択肢はもっていないあたり、彼も船長の身体を心配しているのだがどうも今日は上手く伝わらないらしい。普段プラスもマイナスも態度に出さないペンギンだが、珍しく彼の周りの温度が下降しているのが手に取るように分かる。 ああもう、とりあえずこの重い空気をどうにかしないと、と半分やぶれかぶれになったキャスケットは己のサラダにフォークを立てた後、ローの目の前に突き出した。 「せ、船長!はい、どうぞ!」 「・・・・・。」 「!」 この行為には少し効果があったかもしれない。ゆるりと顔を上げたローが目の前に差し出されたレタス付きフォークとキャスケットの顔を交互に見ているし、ペンギンは少し驚いたように二人を見ている。 が、今度は自分が何をしているのか我に返ったキャスケットが慌てる番だった。 しまった軽率すぎた、と笑顔が引き攣る。 「あ、あーん、とか・・・あはは、なんちゃって・・・。」 自身の行為にうろたえるキャスケットを呆れたように見ていたローだったが、段々その表情に不機嫌さがなくなってゆく。キャスケットが冗談ですと言いながらフォークを引っ込めるより早く、ローの口が動いた。 「・・・・あ。」 それは『あ』か『ん』か、中途半端な発音だった。 けれどキャスケットの方を向いて目を閉じ、口が開かれていれば意図する事は十分に伝わる。 「・・・え?」 思わず目を丸くしてしまったキャスケットに、今度は言葉で催促するロー。 「食わせてくれんじゃねぇの?―ほら、」 そう言ってまた口を開け、『あ』か『ん』か分からない声を出す。 下らねぇ、の一言か、はたまた無視か、どちらにしろ冷たい反応を覚悟していたキャスケットは思わぬローの行動にしどろもどろ、だが自分で差し出したのだから引っ込める訳にもいかずその口へとフォークを運んだ。 「は、はい!」 薄い唇の少し先へ運ぶと、パクリと閉じられる。そっとフォークを引き抜くと憮然とした表情でローがサラダを咀嚼している。キャスケットは親鳥が雛へ餌をあげるのはこんな感じだろうか、などと少し感動しながら飲み込むまでを見つめる。 「・・・・・あ。」 「はい、」 当たり前のように次を催促するローへ、キャスケットは微笑んで、再度ローの口へサラダを運ぶ。 本当ならばメインの肉料理をその口へ入れてやりたいところだが、そんな事をしたら不機嫌になるどころの騒ぎではないだろう。確実に悪魔の実の能力の餌食になる。折角空気を和らげることが出来てきているのだから、これ以上ややこしくするのはキャスケットの意図するところではなかった。 けれど彼は気付いていなかった。 ローがただの気まぐれで口を開けているのではないという事に。 「ゆで卵、食べれます?」 「ん。」 そうして数回、サラダを運ぶキャスケットと大人しく食べるロー。 「ハム、とか・・大丈夫ですか?」 「ん。」 野菜以外の時は律儀に声をかけるキャスケットが、否と言われることは無かった。それは肉に分類されるハムに触れた時もそうで、流石に嫌と言い出すだろうと思っていたので驚いた。肉を、それも己の手から食べてくれているという事実に嬉しさを隠せない。 「あ!」 ハムを飲み込んだローへキュウリを運ぼうとしていたキャスケットだが、少しフォークがぶれてしまい口元にマヨネーズを付けてしまう。ローが舌で舐め取るには微妙な位置へついてしまったそれに、キャスケットは慌てて手を伸ばした。 「わわ、すいません!」 「!」 そう謝罪して、迷う事なく指先でマヨネーズを拭い、己の口へ入れるキャスケット。 これにはローも驚き、目を見開いて呆然とキャスケットを見ている。その視線に気付いたキャスケットが、己の指をチラと舐めながら顔を上げた。 「・・・え?」 自分も自分でした事に気付いていなかったらしい。唇の近くにある自身の手とローの口元を見、驚きの声を上げる。 「うああっすすすすいません!!つい!!こういう場合普通手拭ですよね!」 真っ赤になって、食事の際一人一枚宛がわれている手拭へ手を伸ばすキャスケット。咄嗟とはいえ無意識にやってしまった事なのでバツが悪く、ローへ顔を向ける事が出来ない。だがローは面白そうに笑みを浮かべてその手を引き止めた。 「いらねぇよ。・・・綺麗にしてくれたんだろ?」 まるで夜の行為を誘うような上目遣いを向けられ、ゾクリと背筋が粟立った。 はい、とも、でも、とも口に出来ずにいると、ローがキャスケットのツナギの袖をくい、と引っ張った。 「それより、ほら・・・。つづき、ヤラねぇの?」 ガターン!! ローが口角を上げて囁くのと、椅子が倒れる音がしたのはほぼ同時だった。 そう、ペンギンが勢い良く立ち上がったのだ。そういえばローにサラダを運び始めたあたりから、ペンギンの方へ視線を向けた覚えが無いキャスケットは一気に血の気が引いた。ローの機嫌が直った事と『はい、あーん』の喜びに、すっかり忘れてしまっていたのだ。 一番怒らせてはいけない人物なのに。 「ぺ、ペンさ」 「船長。」 キャスケットの言葉を遮るその言葉は力強い。 ところがローは余裕の表情、むしろ「漸く乗ってきたか」と言わんばかりだ。 「・・・・・、」 何かを言いかけて口を開いたペンギンだったが、グ、と握り拳を作って感情をやり過ごした。 そうしてローの背中を見つめて静かに言葉を口に出す。 「・・・・・すまない。さっきは言い過ぎた。」 果たして『さっき』に何があったのか知らないキャスケットだが、ローが不機嫌だったのはきっとそこにあるのだろうと考えてハッとした。勢いで差し出したサラダを食べたのも、タマゴもハムも文句を言わず食べたのも、誘うような言葉も全てペンギンへの宛て付けだったのだ。己のことばかりで、ただローが食べている事実に浮かれていたキャスケットはガッカリ半分、理由が分かって安心半分といった心情だ。 そして見事ペンギンから謝罪の言葉を引き出したローは心底楽しそうに少しだけ後ろを振り向いた。 「仕方ねぇな・・・許してやるよ。そうだな、その代わりに…」 「・・・?」 「ソレ、食わせろ。」 言って、ペンギンの半分ほどに減っているサラダの皿を顎でさす。 その一言で溜めていた感情が一気に霧散したペンギンは、呆れたように、だが嬉しそうに小さく笑うのであった。 「了解した。」 そうして再度、食事が再開される。 賑わいながらも成り行きを見守っていた他のクルーも安心して食事を再開したようだ。 キャスケットもまた、ようやっと一息ついて自分の食事を進めることが出来る。先程のローの台詞が頭の中を回らないでもなかったが、今は忘れてしまおうとパンを齧った。だがしかし、いつかもう一度船長の口へ食べ物を運びたいという願望は中々消えてくれそうにない。 何はともあれ、キャスケットはようやく夕飯の味を知る事が出来たのだった。 口に入れたパンはふわりと温かい。 「(・・・・おいしいなぁ。)」 隣では満腹を訴える船長とペンギンがまた何か言い合いをしていたが、もう大丈夫だろうと思う。 「キャス、ちょっと皿寄越せ。」 「って何やってんですか、メイン二つも要りませんよ!ああ!付け合せまで!」 「せめて肉料理一口くらい食ってくれ。」 「さっき食べたじゃねぇか、ハム。」 「・・・ハムは肉料理といえないが。」 「もー、おれこんなに食べれませんって!」 「精神的に成長期だから大丈夫だろ。」 「おれどんだけ低く見られてるんですか!?」 ほら、いつもどおりおいしいごはんのじかんだから。 fin. ******** キャスロでペンロ。 うちのクルーはこんな日常^w^ ローの食事ネタが多くてすみませ! ペンロ喧嘩中みたいですが、まだあんまり喧嘩の域には入ってないです。 そしていつだって被害者はキャスケット。 090524 水方 葎 |