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* Agreeable Smell ! * 天候は良く、海軍にも出くわさず、順調な航海を続けているハートの海賊団。 しかしそんな穏やかな様子とは裏腹に、慌しく船内を歩き回る男が一人。 クルーである証の白いツナギに、トレードマークともいえる白いキャップ。漆黒の髪と同じ色をした瞳は強い眼光を放っており、周囲の者を威圧している。冷静沈着を地でゆくハートの海賊団副船長、ペンギンだ。 普段ならば何があろうと取り乱さずその場の状況を分析し、的確な指示を出す男である。個々のやりたいようにさせている船長に対し、船内の細かいところまで気が回る副船長の組み合わせはバランスが取れているのかもしれない。 だが、今現在の彼は冷静という二文字を見失っていた。 落ち着き無く辺りを見回し、足早に船内を進むその姿に他のクルーは物珍しさを覚える。何かを探している事は明白であったが、この副船長が焦るほどの慌てようは滅多に見れるものではない。声を掛けた方がいいだろうかと悩むクルー達の中、キャスケットが偶然その場を通りがかった。 「あれ?ペンさん、何か探しものですか?」 「・・・・まあ、な。」 探しものが見付からないあまり不機嫌になっているのか、焦っているから曖昧な返事になっているのか、判別が付き辛い。元々不機嫌だったとしても表情に出ない男であるので、余計にクルー達は声を掛けにくいのだろう。その点キャスケットはそういう事に臆するタイプではないので気にせず話しかけたりするのだ。 「何か手伝いましょうか?」 「ああ、いや。・・・そうだな。」 落ち着きの無い返事にキャスケットも首を捻る。何が彼をそんなに慌てさせているのかと、答えを待った。 「・・・キャスケット。お前、船長を知らないか?」 「は?」 質問を反復され、それでもペンギンは船室の扉を開けたり辺りを見回しながら再度その言葉を口にする。 「船長を見なかったか聞いてるんだが。」 「えっと、いや。そういえば見てないですね。」 「そうか。」 「部屋に居ないんですか?」 本当に珍しく酷く焦っているようだったので、一体何を失くしたのかと思っていたキャスケットはとりあえず一息つく。何を言い出すのかと身構えていた他のクルーにも"何だそんな事か"と、あからさまにほっとした雰囲気が漂っていた。 しかし、次の一言に一同が絶句する。 「ああ。部屋も談話室も風呂もトイレも倉庫も探した。かれこれ30分近く探してるんだが…。」 「え。」 30分。 そんなけ時間があれば一通り船内を見て回る事は可能だ。 加えて妙に存在感があるハートの海賊団の船長は、起きていればどこかで騒いでいる事が多々ある。部屋で大人しくしていないのならばその可能性は高い筈。それに、ローの扱いに長けたペンギンがこれほど探して見付からないというのは非常事態ではないだろうか。 「ちょ、それって・・・。」 マズくないですか、と言うキャスケットの呟きは唾と共に飲み込まれた。 そう、ちょうど30分ほど前に、ハートの海賊団は海王類に出くわしている。 船の3倍もの大きさがあり、とても凶暴な海王類だった。唸り声を上げながら海の底から突然出てきたと思えば船体を喰い千切ろうとしていた為、ペンギン含むクルー達が綺麗に仕留め、ローが食料の足しにしようとバラしたのだ。勿論全部は食料庫に入る訳がないので、食べられそうな部分を頂戴しようという算段だった。その時、海面にぷかりと浮かんだ死体の上に降り立ち、嬉々としてバラしていたのは誰だったか。 船長だ。 「そういえば・・あれから見てません、よね。」 青褪めるキャスケットの言葉に、ペンギンは小さく頷いた。 粗方肉を切り分けた所で、海の底へ引き摺られるようにして沈んでいった海王類の残骸。ペンギンの中で最後に視界に入れた船長は、巨大なヒレの付け根を解剖して遊んでいた。ぬめりのある海王類の皮膚に足を取られて―などという考えはぞっとしない。 「お前達、最後に船長を見たのはいつだ!?」 こうなったらのんびり船内を探してなどいられない。声を荒げるペンギンに、クルー達は驚いて肩を竦めた。 「自分は今朝…」 「おれはさっきの海王類の時に、」 「おれも・・」 つまり先程の戦闘からこっち、誰もローの姿を見た者はいないらしい。 事態が重くなってきたと判断したペンギンは迷わず指示を飛ばした。 「今すぐ船を止めろ!キャスケット、お前はクルーを集めて船長を見た者が居ないか調べろ!残った奴は船内を徹底的に探せ!!」 「は、はいっ!!」 「それから操舵室の奴に、さっき海王類と戦った場所を割り出しておけと伝えろ!!」 「分かりました!」 ペンギンの一声で一気に船内が慌しくなった。まるで蜘蛛の子を散らしたように捜索に入るクルー達。キャスケットも指示を全うすべく駆け出したのだが、ふいに足を止めてペンギンを振り返る。 「ペンさん、そういえばベポは?!」 「食堂で寝てる。海王類の騒ぎにも気付いてなかったみたいだ。」 「じゃあ知る筈ないですよね…。とりあえず他のクルーに当たってきます!」 走り去るキャスケットの後姿を見、ペンギンは小さく溜息を吐いた。 クルー総動員で探しても見付からなかったら、最悪の事態を想定しなければならないかもしれない。それだけはどうしても避けたくて、頼むからひょっこり出てきてくれと願うしかないのだった。 だが、船内でローが居そうな場所は既にペンギン自身が捜索済みだ。"海王類に気をとられて"なんて、まさかローに限って有り得ないと思うものの、此処はグランドラインであり、信じられないような事も日常茶飯事だ。新聞を賑わせているのは専ら天候・海域の情報や海王類、珍現象や奇病の記事である。有名な賞金首がありえない死に方をしている記事だっていくつも目にしているのだ。 「クソッ!」 考えている暇は無い、とペンギンは再度ローの私室へ向かった。 四六時中傍に居る訳じゃない。1〜2度しか顔を合わせない日だってある。 しかし、"必ず船に居る"ことが当たり前になりすぎていたのかもしれない。いつも軽く探せば必ず見付かったので今日も勿論そうなるだろうと無意識に思っていた。食料が不足しかけていた時分、海王類に意識が傾きすぎていたのかもしれない。 何にせよ、今何を考えても言い訳にしかならない。 主の居ない部屋の扉を開けながら、ペンギンは己の注意力不足を恨み歯軋りした。 それから数分後。 甲板にはクルーほぼ全員が集まっていた。 「ペンさん、やっぱり船長の目撃は海王類の腹に降りたところで途切れてます!」 「お気に入りの場所にも居ないよ〜!」 「大部屋や倉庫なども隅まで探しましたが・・・!」 ペンギンを取り囲み、キャスケットやベポをはじめとしたクルー達の表情に動揺が走る。報告後、何とも言えない雰囲気が流れて辺りはシンと静まった。 誰もがペンギンの次の言葉を待っている。 その静寂は、あまりにも辛すぎた。 ペンギンは俯きながらキャップの唾を持ち、グッと深く被り直した。 「・・・・。」 「ペンさん…。」 「・・・・・・・海王類と戦闘したあたりまで、戻るぞ。」 捜索は全員で続けろ。 搾り出すように呟き、ペンギンはその場を後に背を向けた。 勿論諦めてはいない。もし海王類と共に海へ引き摺り込まれたとしてもローならば自力で何とかしていそうだ。けれど楽観的な見方が出来る訳でもなく、寧ろ絶望に近い中の気休め程度にしかならなかった。 船長の名を呼びながら再び散らばるクルー達。連絡を受けたのか、船が旋回する感覚が船体越しに伝わってくる。 ペンギンの足は自然とローや自身の私室がある階へと向かっていた。既に何回も探したローやベポの私室を探すより、ペンギンは己の私室で冷静になりたかったのだ。 流石に船長の私室がある階となるとバタバタした騒ぎはあまり伝わってこない。 「―ッ!!」 ガンッ、と拳を壁に叩きつけた。 己の不甲斐無さ、怒り、混乱、全てがゴチャゴチャになっている。 ここで自分が落ち着かなくてはどうする、と己に言い聞かせようとするペンギンだったが、どうにも上手くいかない。今まで数えきれない程の戦闘を繰り返し、その中で何度も船長の命の危険を感じた事はあった。しかし守る暇も無く、唐突にその存在が消えてしまうのは恐怖以外の何物でもないのだ。 こんなにも恐怖が手に取れるような感覚は、ペンギンの中で初めてだった。 絶望に震えそうになる身体を抑えながら部屋の扉を開け、ふらふらと歩き椅子を引いて乱暴に座り込む。 漸く一息吐いたが、心は冷え切って仕方が無い。 「(全力で戻ったとしても30分…風の関係もある。それにもし船長が海王類に巻き込まれているのなら、1時間のロスは大きすぎる・・・!)」 クルー達の前で目深に被っていたキャップを乱暴に脱ぎ捨てる。 左手で顔を覆い、搾り出すように息を吐いたけれど、それは少し震えていた。 「(どうか、どうか頼む。)」 神になど祈らない。 祈るのは、我が船長にのみ。 「(頼む、ロー・・・!)」 どうか、愛する人よ。 その瞬間、ペンギンはとても近くで小さく人の気配を感じた…ような気がした。 顔を上げて見回すが、そこはいつもと変わりない自分の部屋だ。 しかし、ひとつだけだけ朝起きた時とは違う点を見つけ、口元へ手を当て目を細めた。 「(・・・・羽毛布団、朝、きちんと三つ折りにしなかったか・・・?)」 冬島の海域に近付いている為、数日前から船員の寝具は羽毛布団に切り替えられている。ペンギンも例外ではなく支給されたそれを使っているのだが、汗でベタつかないように起きた時は干すように畳むのが日課だ。 だが目の前のベットの上にある毛布はぐしゃぐしゃに丸まっている。 加えて言うのなら、微かにその羽毛布団が上下しているように見えた。 途端頭が真っ白になったペンギンは、ガバッと立ち上がり、だがゆっくりとした動作で布団の裾を捲った。 「・・・・ぅ・・。」 「!!!」 求めていた人物が、居た。 人の気も知らないでいる船長が、滅多に見せる事の無い寝顔をペンギンに晒している。 余程眠かったのか暇だったのかは定かではないが、この騒ぎの中起きないとなると余程のことだ。ペンギンは思わず起こそうとした手を引っ込めながら、身体が体温を取り戻してゆくのを感じていた。 「(・・・人騒がせな船長だ。)」 無事ならば、いい。 冷たく暗い海の底じゃない。 海王類の腹の中でもない。 言い知れぬ安堵がペンギンを包み、へたり込むように再度椅子へ腰掛けた。随分古くなった椅子がギシリと音をたててもローが起きる事は無く、小さな寝息が漏れるだけだ。寝ている癖に気配を感じさせないのはどうかと思うが、気が動転していたとはいえ部屋に入ってすぐ気付かなかった己にも過失があると溜息を吐く。 過去、ローがペンギンの部屋に入った事が無い訳はないのだが、それでも共に夜を過ごす時は広いのを理由にいつもローのベットである。船長以外のベットや男部屋のハンモックは成人男性がギリギリ眠れるサイズなので二人で眠るなど到底無理だからだ。そうなると当然朝までローのベットで過ごすので、基本的にペンギンのベットというのは個別で寝るとき以外使用しない。 ゆえにペンギンは己の部屋に船長が居る、まして睡眠を貪っているなどとは微塵も考えなかったのである。 「・・・ん…。」 ごそり、とローが動いた。 次いでそっと瞼が持ち上げられるが、ペンギンが近寄りその視界を遮るように掌を被せた。 「ゆっくり寝ててくれ、船長。」 「・・・・かいおうるいの・・・かいたい、は・・・?」 「食える部位は全部倉庫に入った。」 意識が覚醒していないのか、少し掠れ気味の声で訊ねるローにしっかりと返事をしてやるペンギン。 「・・おまえずっと、いそがしそう、だったから・・・すこし、ひまで、」 「悪かった。」 周りに他の海王類は居ないか、進路に異常がないか、肉の運搬についての指示など、バタバタしていた記憶はある。ローを見失ったのもその時だった。 素直に謝ったペンギンに小さく笑い、ローは再び睡眠に堕ちた。 規則的に動く小さな息遣い。 会話をしたことで一層"近くに居る事"を実感したペンギンは、改めて胸を撫で下ろす。安心や愛しさが込み上げ、薄く開く唇に小さくキスを落として立ち上がった。柄じゃないと思ったものの、たまには悪くない。 「本当に・・・無事で何よりだ、船長。」 キャップを手に取り、クルー達に早く船長の発見を伝えねばと廊下へ続くドアを開ける。 しかし己の部屋で見付かったとは言い出しにくい状況で、どうしたものかとペンギンは本日何度目かになる溜息を吐くのであった。 fin. ******** 普段冷静な人が取り乱す様子を書きたかった(過去形) どうにも切羽詰った時だけペンギンに"ロー"と呼んで欲しかった(過去形) 今は反省している。 落ち着いた後、ペンギンに火がついちゃってがそのまま致しちゃう裏モノを書きたい…な…。 090510 水方 葎 |