* 祈りにも似た願い *




















「おはようございます、船長!」
「ん、あぁ。はよ。」
キャスケットが甲板に出た時、既にこの船の船長は起きていて、海の風に当たりながらぽーっと遠くを見ていた。否、正確には"起きていた"のではなくて"寝ていない"のだろう。
「昨日、眠れなかったんですか?」
「まぁな。」
確認すると、案の定肯定されて朝から溜息が出そうになる。
この船長の朝は二極化している。寝ないか、朝方漸く浅い眠りについてギリギリ午前中の時間に起きてくるかという二つだ。寝ようと努力しているとは聞いているが、どうしても眠れないと分かった途端医学書を読み耽ったり研究室に篭ったり海を眺めていたり…兎も角ベッドでじっとしていないのだ。
何か前触れでもあるのか、長年の勘なのか、ローが起き出した時にペンギンが察知する確立が高いのだが、それでも彼だってずっとローに付きっ切りという訳にはいかない。第一船長自身が構うなオーラを出しているので下手に手出しをする訳にいかないのだ。便所だったり目が覚めた時にローを見かけたら声をかけるクルーではあったが、改善される兆しは一向に見えない。
そこで体質だから仕方ねぇだろ、と諦めているのは船長一人だけだが。



朝独特の冷たい風が二人の間を擦り抜けた。
いつものパーカーだけで吹き晒されている身体。一体何時から表に出ていたのだろうかとキャスケットは眉を顰めた。
「何か温かい飲み物と毛布、持ってきますよ。」
「あぁ。・・・毛布はいらねぇ。」
「風邪ひきますって、そんな格好じゃ。」
「その内ベポが起きてくるだろ。」
頑固な船長は譲ろうとしない。ベポを毛布代わりと言い切るのは如何なものかと思うが、当の本人(本熊?)はその役割を気に入っているし、確かに血が通っている分毛布よりも効率よくローを温めてくれそうだ。
「おはよ!呼んだ?キャプテン!」
「ベポ。おはよう。キャスケットが温かい飲み物淹れてくれるってよ。」
話題の熊がタイミング良く、ひょこりと奥から姿を現す。挨拶に軽く片手を挙げて返したローは、何事も無かったかのように先程の話題を流そうとしていた。
「ほんと?じゃあホットオレンジジュース!」
「はは。ベポは本当にオレンジジュース好きだな。」
「うん、だっておいしーよ!」
ちょっと毛布の話はどうなったんですかとキャスケットが口を挟もうとしたが、どうやらその心配は要らなさそうだ。ベポもこの時間に起きているローの事には気付いていたらしく、ゆっくりと近寄って彼の細い身体を抱き締めた。
「キャプテン、冷たい。また朝まで起きてたんでしょ?」
「あー・・・。」
話題を逸らすことに成功したと思っていたのか、ベポの抱擁に顔を背けることしか出来ないロー。きっとベポの体毛の中でバツの悪い顔をしていることだろう。何はともあれきちんと暖を取っている事に安心したキャスケットは、今度こそ飲み物を用意すべくキッチンへと向かうのだった。






「やっぱり、何とかしたいですよ。」
「それはそうだが。」
キャスケットがキッチンへ入ると、そこには起き出してきたコック達に混じり食事の用意をしているペンギンの姿。己の寝室から直行してきた為か、ローが起きていることには気付かなかったという。船長の飲み物作りは手馴れているペンギンに任せ、キャスケットは食堂の椅子に座って今しがたの事を話しながら不貞腐れていた。
「おれだってこの船乗って長いですし、船長のどうにもならないとこは諦めてきましたけど。」
例えばそれは寝る時の薄着だったり、サングラスをむやみやたらに奪われる事だったり、酒が弱い癖にやたら飲もうとしたり、色々だ。けれど食生活と睡眠についてはどうしても諦められない、とキャスケットは思う。
「大体、三大欲求の内二つが見事に欠けてる訳じゃないですか。それ人間としてどうなんスか。」
「その分が性欲にいってるんじゃないか?」
「・・・朝から変な事言わんで下さい…。」
こう見えて下ネタに弱いキャスケットはペンギンの一言に撃沈する。
よくもまあストイックな顔をしてそんな事を朝から言えるものだと関心してしまうほどであった。
「まぁ、性欲と言っても船長の場合、女を買ってどうこう、よりも人をからかって煽って楽しんでスルリと抜け出るだけの愉しみだがな。」
「だからその話題は・・・って、それじゃ結局三大欲求全て空っぽみたいじゃないですか。」
「そう言ってくれるな。」
そうして目の前にホットミルクとホットオレンジを差し出され、キャスケットはややあって受け取り立ち上がった。小さな溜息をつけるのも忘れない。ペンギンだって副船長というだけあってローを大切に想い、何とかできるならしたいと思っていることだろう。だからこの溜息はお門違いなのだ、と分かっていても吐かずにはいられなかった。
「お前の飲み物はもうすぐ朝食だし、いいだろう?」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます。」
「いや。」
そうしてキッチンを後にし、振動に合わせて揺れるホットミルクの表面を見ながら「睡眠薬でも入れてやろうか」と物騒な事を思うキャスケットであった。






「はい、船長。ベポ。ペンさんもう起きてましたよ。」
「ふぅん。」
甲板に戻り、先程の位置から全く動いていない一人と一匹に飲み物を手渡す。ペンギンが淹れたので熱すぎるということはないだろう。
「わーいホットオレンジ!ね、キャプテン、これはホットだから今日のオレンジジュースに入らないよね?」
「オレンジはオレンジじゃねぇか…。」
「え〜?でもキャスケットが言い出したんだし、これで終わりは嫌だよ〜。」
以前好物故に飲みすぎて腹を壊した経歴を持つベポは、それ以来『オレンジジュースは一日一杯』という制約がされている。ベポの腕の中でニヤニヤしながら少し考えたローは仕方ないな、と唇の端を上げた。
「今日だけだぞ?」
「やったあ、キャプテン大好きー!ありがとー!」
「ほら、キャスケットにも礼言っとけ。」
元々自分の為に温かいものを淹れてくると言い出し、それをベポに流した自覚はあるらしい。キャスケットを顎でさすと、ベポはローをギュウギュウ抱き締めていた腕を止め、キャスケットに向き直る。
「ありがとーな!」
「いえいえ…。」
まったくベポには甘い、と思いながらキャスケットは苦笑する。
ベポの腕の中でちびちびと舐めるようにホットミルクに口を付けているローが、何やら考え込んでいるらしいキャスケットの視線を受けて顔を上げた。
「?」
「い、いや。何でも…。」
疑問符を声に出さず、首を傾げて舌で唇をなぞるローの性的な様子を見て、先程の会話を思い出したキャスケットは思わず顔を背ける。そう、睡眠薬を入れればいいと考えていたのに、ペンギンと話していた内容の方へ思考が飛んでしまう。戻さなければと思っても、睡眠薬を盛る思考に戻るってのはどうなんだと自問してしまうキャスケット。
一人で紅くなったり蒼くなったりしているキャスケットを見て、ローがおもむろに口を開いた。
「・・・アトピー性皮膚炎って、知ってるか…?」
「え?まぁ、一応・・・。」
何の脈絡も無い船長の言葉はいつものことだったが、本日は顕著に表れている。自分の態度と何か関係があっただろうかと首を捻るキャスケット。
「遺伝性の、痒みがあるアレルギーの一種ですよね。」
「まぁ、そうだ。…環境が要因の場合もあるけどな。」
主に顔などの皮膚の弱い場所や節々に痒みを伴った炎症が出来、酷いと皮膚が真っ赤になり激しい痒みも止まらず、無意識に掻いてしまう為出血を伴ってしまう。確か昔、故郷の知人がそうだった、などと思い出すキャスケット。
「その炎症に、今一番よく効くとされてるステロイドっつーホルモン剤の軟膏が、ある。」
「はぁ・・・。」
「炎症の度合い等によって、薬の強さはランク分けされてんだよ。」
「軽い症状は弱いやつを処方って事ですか?」
「あぁ。」
なるほど。確かに身体に合わないものを処方されても毒になってしまうだけだ。その為に医者が居る訳だし、ローの話は理解出来るが、意図が掴めない。
「…だがそのステロイドってのも厄介なんだ。確かに痒みは抑えてくれるが、次第に耐性が出来て効かなくなる。」
「へぇ…。え、じゃあどうするんですか?」
「決まってんだろ。次のランクのを使うんだよ。」
中身が少なくなってきたのか、ローはくい、とマグを傾けた。
「でも、そのランクも耐性はできちゃうんですよね?」
「ああ。」
「じゃ、じゃあ一番強いランクまでいったらどうなるんですか?」
最早話の意図などどうでもよくなってきたキャスケットは、気になってローに続きを促す。
しかしローは答える素振りを見せず、チラリと舌を出してマグの中身を飲み干した後、やんわりとベポの腕を退けてキャスケットの目の前に歩み出た。
思わず惚けていると、ニヤリと人を喰った笑みを深くしたローが耳元で囁いた。





「・・・おれみたいに、なるんだよ。」





少し擦れたその声は情事の最中にも似て、心臓の鼓動が早くなる。
しかしそこで初めて、キャスケットは己の失態に気が付いた。
「ごちそーさん。ちょっと部屋で一眠りしてくる。」
そのままマグを渡し、ひらひらと手を振って細い身体が寝室へと去った後も、キャスケットはその場を動く事が出来なかった。
「・・・おれ・・・、」
思わず唇を噛み締める。
確かに運ぶ途中、睡眠薬でも入れたらどうかとは思ったものの、そんなに分かりやすい目でホットミルクを飲む船長を見ていただろうかと自己嫌悪に陥る。例え分かりやすくなくても分かってしまうんだろうな、とか、あれだけ飲み物やら毛布やら言っていたらその位のこと考えそうだとか思われたかもしれない、とか、色々な可能性を考える。
嗚呼、この船長に気を遣おうとすると"構うなオーラ"が出る事なんて学習済みじゃないか、とキャスケットは少し前の己の愚考を責める。オーラで済めば良かったものの反撃された挙句、逆に気を遣わせてしまったらしい。寝室の方向を見て、キャスケットは盛大な溜息を吐くのであった。
そう、つまり今までの話は全てロー自身が呑んできた睡眠薬の話なのだ。
耳に残る言葉が己の心配を拒絶しているようで、居た堪れない。





「それでも・・・やっぱりおれ、船長の事が心配ですよ。」



強い。それは今まで一緒に航海してきた自分が一番良く知っている。



けれど、それとこれとは別次元で。






お願いですから、心配くらいさせて下さい。




祈りにも似た願いは、いつか船長の内側へと届くのだろうか。











「どうした?もう朝飯の時間だぞ。」
暫く海を見て頭を冷やしていたキャスケットに、ペンギンの声がかかる。
「・・・・・すみません・・・。」
いつもなら副船長なのにご飯の支度をさせるのは申し訳ないですから、と率先して手伝いに来るキャスケットが来ないのを不審に思ってか、ペンギン自らが迎えに来た。料理自体好きでやっているから恐縮するなと言ってもキャスケットが手伝う姿は、今では日常になっているのだ。
「何かあったのか?」
先程渡したマグが二つ、空になってキャスケットの手元にあるという事は彼らが飲んだのは間違いないだろう。その間に何かあったのか、その後に何かあったのか。どの道聞き出さなければ動きそうにないキャスケットに、ペンギンはとりあえずマグを寄越せと手を出した。
「ベポはさっき食堂に来てたが。」
「あ・・・。いや、ベポじゃなく…。」
「あの人か。」
てっきりまたベポと下らない喧嘩でもしたのかと思ったペンギンだが、船長絡みと分かると少し目を鋭くする。それはキャスケットを咎めているものではなく、ローに何があったのか、より深く理解しようとしている目であった。
「ああ、食堂に引っ張っていけなくてすみません、・・・実は…」
「寝室だろう?」
「・・・え?」
ペンギンになら話せる、寧ろ聞いてもらいたいと思った直後、彼の口から船長の居場所を先に言われ、唖然とする。もしや擦れ違ったのだろうか、それとも見られていたのだろうかと思っていると、更に驚きの単語がキャスケットの耳に届く。その前に「何だ、その事か」という呟きも聞き逃さない。
「睡眠薬、入れたからな。」
いつまで経っても渡そうとしないキャスケットの手からマグ二つを奪ったペンギンは、得意気にニヤリと笑った。
「は・・?」
その単語は今のキャスケットにとって鬼門であるのだが、どうにも頭の整理が追いつかないキャスケットは混乱気味だ。それもそうだろう、今の今まで船長に自虐的な事を言わせてしまった挙句、心配を拒絶され、あまつさえ気を遣わせてしまったと自己嫌悪に陥っていたというのに。
「す、睡眠薬って・・?」
「ホットミルクにブランデーを垂らした。」
酒に弱いから良い睡眠薬だろう。
しれっと言い放つペンギンに、とうとう事態が飲み込めてきたキャスケットが叫んだ。
つまりローが睡眠薬の話をしだしたのは、キャスケットの表情からではなくホットミルクからという事で。
「あ、アンタが元凶かー!!!」
「何だ。運んでて気付かなかったのか?」
「いや、今日風強いし!匂いなんて飛ばされてるし!」
「そうか。」
ペンギンが淹れたと気付いてローが睡眠薬の話をしたのも、そして珍しくローが寝室へ二度寝しに行ったのも、全てペンギンに仕組まれていたという訳か。
「(という事は・・・耳元で囁いたのは、酔ってたからか…?)」
一人船長の様子を思い出してドギマギしていたキャスケットは、ペンギンの一言によって現実へと容易く引き戻された。
「けどな。お前が考えそうな事くらい、おれにだって分かるぞ。」
「げっ・・・。」
結局、睡眠薬を使ってでも寝かせてやりたいと思ったのは周囲にバレバレということらしい。
「キャスケット。」
「・・・・・・・・はい・・・・。」
やはり自分にも非があるのだと、完全に打ちのめされたキャスケットはペンギンが来たときよりも力無く項垂れた。
「仮におれがそのまま船長へホットミルクを渡しても、きっと飲まなかっただろう。」
「・・・?」
「おれが淹れて、お前が運んで、ベポが気付いていながら知らん振りをしたから、今回の事は成り立ったんだ。」
つまりそれは、2人と1匹分の心配と愛情が篭っているから。
「・・・・成る、程…。」
「確かに船長はお前の心配にも考えにも気付いていた。…その様子じゃ、もしかしたら忠告も兼ねて何かお前に話をしたのかもしれないな。」
う、と言葉に詰まるキャスケット。矢張り先程のはただの睡眠薬に関する話だけでなく、忠告も兼ねていたのだろう。擦れた声が今もキャスケットの耳に残っている。



「けどな。船長は船長なりにおれ達の心配を受け取ってくれてるんだ。」



ホットミルクを飲んで寝室に向かったのが良い証拠さ。だからあまり気に病むな。
そう静かに言い残し、ペンギンは踵を返す。
その言葉にキャスケットは驚嘆した。





届かないとばかり思っていた想いは、自分の知らぬところで受け取られているのだ。



それが例えほんの僅かでも、



一歩間違えれば気を遣わせてしまったんじゃないかと勘違いしてしまう程でも。





確かに想いは、届いている。









「朝飯、ベポに食われるぞ。」
「・・・っはい!今、行きます!」
少し遠くから投げられた言葉に、キャスケットは元気良く返事をした。






今は心配をするだけかもしれないけれど、いつか少しでも頼ってもらえるように。





もっともっと、心も身体も強くなろう。








もっともっと、想いが届くように!










fin.





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何故うちのペンギンは美味しいところばかりを掻っ攫うのか。(←議題)



何か訳分からなくてすみません。
つまりローはローでクルーからの心配をそれなりに受け取ってますよ、って事で。
で、ペンギンは副船長としてきちんとクルーの円滑油を果たしてますよ、って事で。
キャスケットは心配性の気がある。
ベポは引き際を心得てる。



・・・そんな話でお願いします。




あ、アトピーの話は水方自身アトピーなのでこうしました。ローが何の捻りもなく直で話すはずがないだろうし。
ヤク中とかでも良かったのですが、それだとローもキャスも「ヤク中は自業自得」的空気になるのでアトピーに。



090503 水方 葎