* 極上時間 *
























それは、船長であるローの呟きによって始まった。



「・・・腹、減ったかも…。」









時間は午後3時、場所はハートの海賊団の談話室の内の一つ。
主に船長がペンギンと航路について話したりベポと遊んだりする用途が多いので、ほぼ船長の第二の私室と化している部屋である。本日も然り、部屋にはいつものメンバー、つまり船長とペンギンとベポとキャスケットが歓談に興じていた時だった。
「何か飲み物を淹れてくる。」
「あ、おれが行きますよ!」
ペンギンが席を立ち、キャスケットが慌てて遮った時にローが呟いた言葉は、その場を凍りつかせるのに十分だった。



「・・・腹、減ったかも…。」



「せ、船長・・・?今、何て・・・。」
恐る恐るキャスケットがローを振り向く。
「あー。別に何でもねぇ。」
ふいと視線を逸らすローに、右隣を陣取っていたベポが詰め寄った。
「キャプテン、も一回言って?」
「・・・。…腹減ったかもしんねぇ。」
ベポにはめっぽう弱い船長に対して、この差は何だ、と思うこと勿れ。
兎に角聞き間違いではなかったことを確認したキャスケットは(本当はあと5〜6回くらい聞き直したかったがキレられるのは目に見えている)、驚いて声も出ない。
「何が食べたい、船長。」
代弁したのか思う事は同じなのか、即座にペンギンが問う。
一見甘やかしている以外何ものでもないこのやりとり。しかし食が細いという可愛らしい表現で済まされるようなものではないこの船の船長は、放っておけば3〜4日何も食べないで過ごそうとするのだ。勿論今日も起きてから水しか口にしておらず、あと数時間後の夕飯でさえ自作しているサプリを夕飯代わりに摂るつもりだったのだろう。何度引き摺るように食堂に連れてきても「命令するな」「お前らだけで食べてろ」の一点張りで、食べたかと思えば野菜を少々。これでは心配を通り越してクルーの胃が痛くなってくるというもので。
他にも寝不足やら何やら、健康に関して色々言いたい事があるものの、まずは食事だ。
これまで栄養不足が原因で敵襲の時に危険だった、ということは勿論一度として無いのだが、あまりに細い船長を心配せずに居られない。
そういう経緯があって、このやりとりは自然なものだった。
まず、ロー自身が("かも"という仮定付きだが)空腹を訴える事など滅多に無いのだから。
「ぁー…少し甘いもの。」
ペンギンの問いに少し考えたローは、椅子の上で刀を抱えたまま控えめに言う。
その言葉にホットケーキやら揚げパンやら、あくまで軽食に近いものを思い浮かべるペンギンだが、あまり時間のかかるものは宜しくない。気軽に食べれて、ほんのり甘くて、手がかからないもの…。
「ふむ。フレンチトーストはどうだ。」
「あぁ。悪くねぇ。」
「何枚食べれます!?」
「・・・・・2枚。」
我に返ったキャスケットが身を乗り出して聞き、その返答に再度声が出なくなるのは当たり前なのかもしれない。何せ冷静沈着を誇るペンギンでさえ切れ長の目を見開いている。



「「(い、いつもの3日分の食事!!)」」



「あ?んだよ…。」
ペンギンとキャスケットが心の中で同じ事を思いながら凍ったまま動かない。そんな二人を目の前にローは首を傾げた。
「あのね、二人は船長が食事するのが嬉しくてしょうがないんだよ!」
ベポがフォローに入るが、ローは眉を寄せて不機嫌をあらわにする。
少食であるという自覚はあるものの、そこまで驚く事を言ったかと自問自答してみる。
「…トースト2枚くらいで大袈裟だな…。」
そう思うなら毎日食べて下さいね!?と思いはしたもののグッと堪えたキャスケットは、とりあえず船長の気が変わらない内に用意しようと踵を返した。
「と、とりあえず、おれ作ってきま―、って・・・。」
ペンギンまでとはいかないが、ある程度料理上手を自負しているキャスケットが部屋を出ようとする。折角ローが食べる気になっているのだ、そういう時に自分が作ったものを食べてもらいたいと思うのはローに心底惚れ込んでいるからこそだろう。しかし、そんなキャスケットの視界に先ほどまで居たペンギンの姿が見当たらない。
「・・・・あれ・・・?ペンさんは・・・・?」
嫌な予感がし、蒼い顔で後ろを振り向くキャスケットに、再度首を傾げたローの言葉が突き刺さった。
「?・・・もうキッチン行ったぞ。」



「先越されたぅぁああああーー!!!」



頭を抱え叫ぶキャスケットを、ローとベポは面白そうに眺めていた。
きっと何故このような状況になっているのか、ローは一割ほども理解出来ていないだろうが。






ペンギンが出来立てのフレンチトーストを持って部屋に戻るのに、10分とかからなかった。
「船長、出来たぞ。」
「あぁ。」
「わ、手伝いますよペンさん。」
器用に片手で皿と飲み物4つを淹れたトレーを持ち、片手でドアノブを回して入る。気付いたキャスケットが先程の小さな恨みも忘れ慌てて手伝いに入り、ゆるやかに湯気を立てているフレンチトーストはローの目の前に置かれたのだった。
「船長が水、ペンさんとおれは珈琲で、ベポがオレンジジュースですよね。」
「ジュース〜!」
ペンギンからトレーを受け取り、それぞれに飲み物を配るキャスケット。ベポは嬉しそうに好物のオレンジジュースを受け取り早速飲み干していた。飲むというより流し込むという表現が近い。
「お代わり!」
「一日一杯って船長との約束でしょ!」
「・・・ッチ…。」
「何スかその舌打ちー!駄目なものは駄目!」
もうちょっと味わって飲めばいいのにだの、キャスケットの癖にだの、ギャアギャア言い争う横で、ペンギンはそっと船長にナイフとフォークを差し出した。料理をしていた所為かいつもの帽子は外しており、普段あまり見る事の出来ない黒曜石の目が上機嫌に食器を受け取るローの姿をとらえる。
「食べられそうか?船長。」
「うまそ。」
「それは良かった。」
まるで答えになっていなかったがペンギンにはそれで十分だった。先程キャスケットが思ったのと同じく、やはりペンギンも己が作ったものを船長に食べて貰えるというのは幸福以外の何物でもない。恭しく一礼するその優雅な仕草はとても様になっていて、未だ言い争っている隣の二人とはまるで別世界だ。
冷めにくいようにと二枚重ねて置かれているトーストには綺麗な焦げ目がついており、見る者の食欲を誘う。
ローは一枚目だけをナイフで半分に切り、フォークでグサリと突き刺してそれを持ち上げる。途端、ふわりと香る卵と砂糖の控えめな甘い匂い。熱さを警戒してか、小さくパクリと端っこへ食い付いた。
ローの向かいの席に戻ったペンギンは満足そうにその様子を眺め、喧嘩という名のじゃれ合いをしていたベポとキャスケットもいつの間にか静かになってローの様子を窺っている。ペンギンの作ったものが不味い筈などないのだが、それでもまともな食事が何日かぶりなのでその反応が気になるといったところか。
集まる視線に、フレンチトーストへ食い付いたままのローが怪訝な視線を向けるが今は食べる方に集中したいのか、もそもそと口を動かし始める。
「まぁ、とりあえず船長が何か食べてくれて良かったですよ。」
「ベポも同感!」
自身が作る事は叶わなかったが、それでも船長が(軽食だが)きちんと食事をしている様子を見ていると安心するキャスケット。次こそ船長のために何か作りたいなぁとは思うものの、ローから今日のような言葉が出るのは滅多にないし、要求されてもいないのに作って持って行ってもそれは単なるエゴになってしまうため考えものだ。
キリのいいところで噛み切ったローがフレンチトーストを飲み込み、まるで子供のように笑う。
「うめぇ。流石ペンギンだな。」
「何年お前の隣に居ると思ってる。」
ペンギンも上機嫌に笑った。



「ベポも料理覚えようかな…。」
「ちょ、喋る上に体術覚えて、これ以上何かする気!?」
「向上心は大切だよ、キャスケットー。」
「あぁ、ベポの言うとおりだ。」
「船長まで…!」





それは日が傾いてきた時刻、場所は談話室の内の一つ。



ハートの海賊団、至福のひととき。









「・・・・腹いっぱい・・・。」
最初に切り分けた一枚の内の半分を腹に収めたところで、ローがギブアップを出す。ロー以外の全員がやっぱり、と思うが声には出さない。普段物を食べない人間が、いきなりこのような時刻に食パンが二枚も食べられる筈がないのだ。
「なぁ、みんなで食おうぜ。」
提案しているものの既に強制となっており、その手は二枚目を半分に切り分けている。
夕刻が近付き腹は減ってきていたし、晩御飯までにはまだ時間があるので、食パン半分を食べても大きな影響は無いだろう。ベポやキャスケットは仕方ない、などと言いながらも嬉しそうにフレンチトーストへ手を伸ばした。
「まったく、せめてあと半分食べれないんですか?」
「無理。」
キャスケットの小言にまるで耳を傾けず、
「フレンチトーストおいし〜!」
「ベポ食べるの早っ!」
「口の大きさが違うからな。」
ベポの早業に笑う。
そんな船長を見てやれやれ、とペンギンも最後に残った半分を取り、口に運ぶ。
穏やかな気候、何事も無い船の中、まぁこんな日常も悪くないと思っていると、ふとニヤついているローと目が合った。
「・・?」
思わず眉を顰める。
隣ではキャスケットがフレンチトーストの作り方を簡単にベポに教えていた。
「美味いだろ。」
含みのある笑いと共にかけられた言葉に、ペンギンも小さく笑って返す。
「・・・・。ああ、美味いな。」
最初からこのつもりで食べれる筈もない2枚も所望したのか、と一杯喰わされた気持ちになるが悪い気はしなかった。





このグランドライン上では珍しく穏やかな午後。



愛しい船長と、大切なクルーと共に、和気藹々としながら同じ食べ物を口にする。



嗚呼、確かにこれは極上の味だ。












fin.





********
きっとペンギンは物凄い形相で「ちょっとキッチンを貸せ!」とか乗り込んだんでしょう。
ハートのクルーは船長を甘やかす事にかけては右に出るものが居ないと思います^^
キャスケットが哀れなのはデフォ。基本みんな船長がよければそれでいい。




090503 水方 葎