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* イトキリ * その男は産まれた時から不自由でない代わりに、自由でもなかった。 産まれる人間に選択肢など無い。 時代、場所、親、全て決められている。 それを知っているからこそ、不平不満を口にしない。 男を知る少数の人間からすれば諦めに見えただろう、けれど知らない人間からは出来た人間だと称賛を送られる。それで都合は良かった。 食器の触れ合う音が、絢爛豪華な調度品で埋められた部屋に響く。一般市民は到底足を踏み入れる事が出来ないであろうその広い部屋の中央で晩餐をする者が二人。 片方の壮年の男が純銀製のグラスに入った液体を傾けて、口を開いた。 「この前の武術大会は良くやった。」 向かいに座る端正な顔立ちをした黒髪の男が、ナイフとフォークを置いた。 年頃はまだ若く、二十と少しを過ぎた頃だろう。 「・・・有難う御座います。」 凛としたテノールは無感動だ。 体格の良い壮年の男はそれを気にする風でもなく鼻を鳴らし、グラスの酒を飲み干す。 「まあ、私を継ぐのはお前なのだから、当然と言えば当然だがな。」 「・・・。」 「最近の我が軍は少々気が抜けておる。軍曹とはいえ私の息子だ、この調子で皆に喝を入れてやれ。」 「はい。」 傍で控えていた給仕の者が空になったグラスへ酒を注ぎ足す。 トクトクと空気が瓶に送られる音と共に濃厚な果実酒の香りが広がった。 「それでだ。急な話だが、お前に一つ護送を任せる。」 「はい。」 若い男は眉一つ動かさず応える。 「先日、お前の隊があの厄介な賞金首を捕縛したろう。」 「はい。」 「本部が寄越せと言っている。諦めの悪い奴だからな、道中の監視はお前が適任だろう。人員は十分充てる。ついでに本部への挨拶も行って来い。」 「分かりました。」 詳しい事は書類にして今日中に届けさせる、部屋で準備していろ。 そう命令し、再度杯を空にして立ち上がる。 「本部が私の古巣とは言え、粗相はするなよ。」 「はい。戻りましたら報告へ参ります。」 「うむ。」 給仕の者が開けたドアから出て行く男の背を、漆黒の双眸が見詰めていた。 いくら何でも急すぎる話だとか、何か隠してる風にも見える壮年の男にはどこか違和感を感じるものの、考えても仕方ないと膝の上に置いた拳を緩めた。 ―好きで言いなりという訳じゃない― その後男は祝いだという食事に手を付ける気にもならず、部屋へ戻った。 「明日か。」 小さく呟き時計を見ると日付変更線まであと数時間というところだった。 自覚無しに湧き出る反論は理性と諦めによって殺される。人生というのはこういうものだと結論付けてから、もう長い時が経った。身体を鍛えると親の命令を実行するのが楽になるし、勉学に励めば周りがついてくる。それはこの家柄に産まれたからには生きる為必要な武器であり、術だった。 「・・・。」 小さく頭を振る。 明日の為に残された時間が数時間ならば、堂々巡りの思考に堕ちるよりもやるべき事がある。 武器と礼服の準備。 引き渡し書類の作成。 航海中のルート確認。 人員整備。 どう考えても足掻いても身体と脳は親の意志に沿うよう調教されているが故に、いつの間にか男は黙々と明日の準備を進めていた。 武器を確認し、礼服を洋服棚から出しておく。昨日クリーニングから戻ってきたばかりなので問題ないだろうと少し点検だけしてケースへと放り込んだ。他の武器や服は遠征用のもので大丈夫だろうと部屋の隅に用意してある鞄へ目を向ける。 そうするとあとは書類の作成だ。 部屋には簡単な書式のものしかないので、取りに行かねばならないだろう。 ついでに護送する奴に一言声でもかけておくか、と男は己の部屋をそっと出る。時間も時間だ、とっとと済ませてしまおうと、重厚な絨毯の上を進む。 軍内部の居住区の中では人はもうまばらだ。街に出ればそうでもないのだろうが、規律厳しい内部では夜に馬鹿をする者はそう居ない。まして平日、見張りや事件でもなければ静かなものだ。 男の皮靴が、下層へ行く為に降りる階段と触れ合う度に音を立てる。 この島の軍ではそれなりの地位がある為それなりの部屋が用意されているので書類一つ取りに行くのも随分な廊下を歩かねばならない。部下に取りに行かせれば良いのだが、たかが紙一枚の為に人を使うのも評判に触る。それに歩くのは小さな気分転換でもあった。 「ねぇねぇ、明日の話聞いた?」 「あの囚人運ぶんでしょ?」 ふと、角を曲がろうとした時に話し声が聞こえる。 聞き覚えは無いが、どこかの小隊の女らしい。 「軍曹さまが直々に就くそうよ。」 「捕まえたのも軍曹さまの小隊だものね。」 「他の小隊長とか今任務に就いてるしねー。」 噂話などいつもの事で、己の名が女の話に上がる事は少なくないと男は理解している。別に偶然噂話の所に居合わせたとてやましい事など無い。そう思って男はそのまま足を進めようとしたが。 「でもでも、それだけじゃないらしいの!」 一段と顰められる声に、男は上げた足をピタと止める。 「なんでも、結婚のために本部に行かれるって話よぉ!」 「えー!?ほんとー!?」 「ショックぅ、アタシ狙ってたのに!」 「政略結婚ってやつみたい。まぁお父上が大尉ならしょうがないんじゃないかしら?」 そこで男は理解する。他に適任が居ないとは言え、急な話。わざわざ挨拶をしろと父が念を押した理由。己に何も言わなかったのは退路を断つためと、断る筈がないという自信からか。 女の噂話というものは主観を覗けば正確で早い。今回の護送の話に感じた違和感は、見事合致し消え失せた。 「(見合いの名を借りた結婚、か・・・。)」 女遊びも恋もしていなかった訳じゃないが、結婚となると話は別だった。相手くらい自分で選びたいという気持ちがあり、面倒だという気持ちもあり、男は今まで見合い話を有耶無耶に流してきた。言い寄ってくる女はどれも代わり映えなく空っぽで、ただ己の身体を楽にする道具でしかなかった。適当に甘い言葉を囁けば相手には困らない。普段無表情だ鉄仮面だ何を考えているか分からないと散々陰で囁かれていても、それを帳消しにしてお釣りがくるほど男の素材が良かったからだ。 結婚。傍に居る女が決まるという事。 いずれさせられるのだろうな、と他人事のように考えていたのが案外早かった。 それだけだ。 「でもこれで早くに亡くなったお母様も安心なんじゃない?」 「随分可愛がってらしたって聞いたしね。」 他人の、まして亡くなった者の幸不幸を勝手に決め付けて満足したらしい女達は、話題を軍本部の男の嫁になるらしい人物について話している。もはやその話に興味の欠片すら無い男は顔色一つ変えずに、通路を迂回すべく静かにその場を後にした。 ―結局どこまでいっても、何をしても、おれは― 「(・・・当然だ。おれは傀儡なのだから。)」 ただ、自分でも気付かない程の小さな自重を浮かべながら。 next? 110411 水方 葎 |